救世主(ヒーロー)と英雄(ヒーロー)
第19話 静かに灯る紅い月
英雄とは何か?
大量殺人鬼か大嘘つき――
◆ ◆ ◆
少女は路地裏にて月を見上げていた。
星空はぼんやりとしていて浮かない。
雲に月は隠れていて辺りは薄暗い光に照らされる。
「温かい」
ぽつりと呟いて少女はナイフを振るう。
ピッとナイフに付着した血液が振り払われて。
壁に点々と赤いシミ作る。
「冷たい」
夜の帳は重く平等にのしかかる。
誰にだって救いがあるわけじゃない。
逃れられない鎖が雁字搦めにまとわりつく。
「……どこかに行きたいなあ、遠い所へ」
雲が流れ月が見える。
三つある月のうち最も輝く星。
最も人を狂わせる紅い月。
この世界は素晴らしく作られているわけがない。
誰にでも平等に不幸が降り注ぐ。
そして同じく死も隣に――
◆ ◆ ◆
「紅月の日が近いですね」
大陸北西部の辺境、ムーナの村。
魔族と人間の領分を分ける北の山脈付近に位置するこの村は天候が変わりやすく、秋前のこの時期から既に雪が降り始めるような地帯である。
しかし、ここ数日穏やかな天気が続いていた。
いつもは吹き荒ぶ寒い北風が吹くとこはなく凪の日が訪れている。
この世界にある三つの月のうちの紅い月。
十数年に一度昼夜問わずその紅い月が昇る現象がある。
それが紅月の日である。
この紅月の日が起こる数日前からこの星全体が穏やかな凪の天候に包まれる。
そして徐々に昼間に紅い月が浮かび上がるようになり、夜間の紅い月以外の月が見えなくなっていく。
紅月は一か月近く続き、地平線から水平線の彼方まで赤く染まる。
「早く準備をオワラセナイト」
ムーナの村に住まう一人の少女は自分の身に起こる異変を自覚しながらも紅月の日を耐えるための準備を行う。この村では昔から紅月の日は月が沈むまでの期間家から出ることなくじっとして過ごすのが習わしであった。その準備として食料や暖炉の薪、その他の生活用品を溜め込むのだが、この少女は若いこともあってか経験が浅くまだ準備を終えていなかった。
それに彼女は食料品を集めるだけでは足りない。
「薬草も採ってこないと、あと清らかな水も――っ、ぐ、ごほっ!!」
少女はせき込みながら喉元を抑える。
時間が足りないことは分かっているがそれでもでき限りのことしなければならない。
皆のために――ではなく、自分のために。
「早く、早く、はやく、ハヤク――ぐるるるる、あはっ」
少女は笑う。
笑ってしまう。
瞳から光が消える――否、紅く染まる。
それはまるで空に浮かぶ月の様に――
◆ ◆ ◆
「月が紅い」
一か月後のことである。
樹海から出て僕は数名の同行者と共に旅をしていた。
樹海を北側から抜けて人気のない街道を山脈に沿って歩いていた。
「紅月の日が近いのかもしれませんわね」
前方を行く宙を浮く絨毯に乗る栗色の髪をした女性が空を見上ている。
見た目はお転婆な富豪の令嬢と言ったところだろうか。白のワンピースに薄緑色のカーディガン。癖のあるショートヘアーを魔女らしい三角帽で隠しながら頬杖をついて宙を飛ぶ絨毯に寝転がっている。首から銀のチェーンが伸びていて何やら魔法陣のような幾何学模様が細工されてる懐中時計がぶら下がっていた。
彼女は今回の旅に同行している一人で、マリー姉の魔術結社の幹部、
「紅月の日ですか。僕が生まれる前にあったらしいですね」
「ワタクシも生まれていない十七年ほど前に起こったのが最近らしいですわ。伝聞や書物でしか知りませんけれど火や炎、それに狂気や本能を使う魔術に影響を及ぼすらしいとのこと。ワタクシでも炎が出せるかもしれませんわね」
「月が紅い日は魔物がおかしな動きをしますからねー。狩りがいつもと違って楽しくなりますねー」
紫の瞳の彼女が言う。
紫の髪と瞳が最も先に目をひくだろう。粗雑に肩先まで伸ばされた髪と前髪の奥からのぞく垂れ眼の瞳は森の中で出会ったら山姥を彷彿とさせるかもしれない。ワンダ特有の褐色の肌には大小さまざまな傷跡がいくつもついているが、左腕の指先から肘の近くまで焼け
アンブロシア・ウィークエンド。今回の同行者の一人にして僕の故郷の集落の大戦士の一人。母さんとほぼ同格の大戦士であり、最も集落で嫌われている大戦士である。
彼女は本来この旅に同行するワンダの戦士ではなかったのだが、無理矢理その枠を押しのけて入ってきたのである。大戦士だけあって実力は確かで、僕の護衛の役目や樹海の外を出るということを加味しても申し分ないと言えば申し分ない。けれど大反発があった。押しのけられた戦士もそうだが、ローズ姉やマリー姉、その他アンブロシアを嫌っている集落の人々から批判を受けた。しかしながら、同じ大戦士である母さんと師匠――大婆様がアンブロシアの同行に太鼓判を押したのだ。性格的にもやって来た行いを鑑みてもアンブロシアは信用がおける人間ではない。ただ、僕よりも付き合いの長い母さんや大婆様からするとその実力に関しては信用がおけるのかもしれない。まあ、母さんや大婆様にも物怖じしないのはマリー姉を除けばこのアンブロシアくらいなものだ。そして、樹海の外に出ることから経験豊富な大戦士のアンブロシアを母さんたちは選んだのだろう。他にも意図はあるのかも知れないが――例えば、ローズ姉を女帝として変革をしていくうえでアンブロシアが邪魔だったからとか。……ありえそうだ。
「…………。」
そして同行者の最後の一人が先ほど――と言うより、この旅が始まってから全くと言って良いほど喋っていない彼女である。
黒髪をポニーテイルに結い、細い狐のような目つきをしている。ワンダの戦士の例に漏れず筋骨隆々なのだが、彼女は大分痩せているというか細身の体形をしていて手足が長い。淵と同じかそれ以上に背が高いので、傍目か見ると褐色の肌をしたスレンダーマン(黙っていることも相まって)に見えなくもない。
スイトピー・B《ボーダー》・クドラク。ワンダじゃ珍しいミドルネーム持ちの彼女は、もともと彼女が樹海の外にて奴隷として売られていたのを大婆様が拾ってきたという経緯がある。どうにもスイトピーの祖母が人間に捕まって母と娘を合わせて三代にわたって奴隷として過ごしてきたらしい。幼少期の五歳ぐらいまでを樹海の外にて過ごし暮らしている彼女はある程度人間のことを知っている。大婆様に拾われた後は僕の家に暫く滞在しており、その時ぐらいから僕とは面識がある人物でもある。また、ローズ姉の親友でありローズ姉がお目付け役として彼女を選んだのだろうと推測もできる。実力はローズ姉とほぼ互角で、ローズ姉が大戦士になるかスイトピーが大戦士になるかで一度本気の決闘を行ったことがあるらしい。いま、ローズ姉が大戦士となり女帝となっているので決着はついたのだろう。
因みにワンダの衣装(腰巻と晒)では流石に注目を引くとのことで、マリー姉が手配して人間が着る服(人間の街でよく出回っている服と言う意味。他意はない)を何着かチョイスしてもらっている。ただまあ、長袖の服などはお気に召さなかったようで、アンブロシアはタンクトップにホットパンツという旅を舐めているとしか言いようのない軽装、スイトピーは晒はそのままでその上に黒いシャツを着て二の腕まで腕まくりをして下はデニムパンツのような凄い短いズボンをはいていた。アメリカンのキャンギャルみたいだな。或いはブラジルで見かけそうな格好だ。
で、僕たちが旅の目的は何かと言うと基本的には敵情視察と言う名の僕が旅をしたいという我儘を通すためのものであり、マリー姉の率いる魔術結社と合流するためでもある。目下の指針としてはこの北の街道を通っていきとある村にてマリー姉と合流することだ。魔術結社は魔族の領地を除く世界各地に散らばっていて全員を一堂に集めるのは困難であるため、幹部のみを先に合わせることにしたらしい。スターさんはもともとグリーン・グリーンと共に樹海に侵入する予定だったようで、色々と計画変更はあったが丁度良くその場にいる幹部だったため僕との旅に同行することになった。転移とかの魔術を使える人員は少ないらしくグリーン・グリーンやマリー姉を除くと五人にも満たないらしい。なのでマリー姉は一番最初に魔術結社内で最も強い人員を合流させ、順を追って重要な人物を引き合わせるとのこと。
グリーングリーンは幹部じゃないらしい。
「それにしても樹海の外は相も変わらず暇ですねー。たいして、強い魔物も出ないしー。火を噴くトカゲ(ドラゴン)とかー、一つ目の木偶の坊(サイクロプス)とかー、でてこないですかねー」
アンブロシアは妙に気の抜ける喋り方で話す。
常時脱力している彼女には集中という状況はないのかもしれない。
「物騒なことを言わないでください。そんなのが出たら大変なことになります」
主に僕が。
「それに食料も余りあるほどに荷車に積んできたでしょう。狩りをする必要はないですし、無駄な殺戮は止めてください」
スイトピーが引っ張る荷車には大小さまざまな荷が詰まれているがその中身はほぼ食料である。端にチョコンと衣服と結局履かれること無かった靴が詰まれている。
「この辺りはあまり強い魔物は出ませんわよ。ドラゴンやワイバーンなどはもっと北側の山間部を根城にしておりますし、サイクロプスの生息地は南方。このあたり出てくるのは狼の魔物か猪程度でしょう」
スターさんが補足する。
樹海が異常なだけで、本来強い魔物は人里近くには表れないし、街道は強い魔物の生息地を避けて敷かれるものだ。
「ははー、それくらい知ってますよー。何度も樹海の外には出てますからー。でも、これだけの戦力があるのならばー、紛争地帯の緑の国を突っ切ていってもよかったのではないですかー?」
「わざわざ、避けられる戦いに突っ込んでいく必要はないかと。時間にも余裕がありますし」
「ただ合流することが目的ですわ。本末転倒にならないでくださいまし」
「まあー、でもー、お客さんが来たみたいだよー」
ニヤニヤしながらアンブロシアが言う。
「え?」
僕が聞き返そうとするのとほぼ同時、察知できない速さで鋭い獣爪が襲い掛かっていた。
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