幕間 次元の魔女

 卯野水晶うのすいしょうは魔女である。

 彼女は『次元の魔女』とも呼ばれることのある魔術師界隈でも名の知れた魔女であり、その名の通り時間を巻き戻し時空を超える魔法を得意とする。とはいえ、彼女は時間空間にかかわる魔術だけではなくおおよそ全ての魔術を使いこなせるし、『次元の魔女』と呼ばれるような時空間の魔術に特化した魔女だとは彼女自身思っていない。他者が勝手につけた呼称であり、彼女自身は名乗っていない。全ての魔術を使いこなせるし、全ての魔術知識に関して造詣が深い。

 彼女にとって魔術とは手段であり学術に過ぎない。研鑽はすれど偏ることはなく、論は述べても誇張することはない。ただひたすらに研ぎ澄まし、遍く全てを学びあげ、己がものとした後に更に改善していく。

 魔術師はおおよそその殆どが魔術を極めて真理を解き明かすことを目的としている。しかし、彼女は違う。その溢れるほどの才能から魔術を独学で納め切ってしまった彼女は真理に到達できないことを自力で突き止めてしまった。

 どんな魔術師でも魔術は万能であり極めれば全てを思いのままにできると考える。考えてしまうのは無理もないことだし、魔術の万能性は水晶もよく知っている。けれど万能ではないこともまたよく知っているのが水晶でもある。水晶は有能過ぎるその才覚をもって、そして魔術の師がいないという環境により真理への到達を他者とは違う視点で考えていた故に真理への到達は魔術のみでは無理と結論付けた。

 その結論を出した時点で卯野水晶は魔術界隈から総スカンを受け、ただでさえ異端として避けられいた彼女はそれを機に完全に魔術師の世界から去ることになった。


 そんな彼女が流れ着いた先が極東の島国の至って普通の高等学校だった。

 賞賛どころか恨みばかり買っていた彼女は大陸で真っ当に活動できず、そのため身分も姿も年齢も偽って日本まで渡り歩いてきた。

 日本は魔術界隈としては迂闊に手を出せない土地であり隠れるにはもってこいの場所と言える。日本が生まれ故郷であり細いものではあるが伝手も持っている水晶は潜伏しながら一般高校生女子として生活することになった。


◆ ◆ ◆


「卯野さんてさ、大人びているよね。落ち着いているし、場数を踏んでいる落ち着きがある。実は留年してたりする?」


「失礼だね。君と同時期に入学しているし、何なら入学式に君のことを見かけた覚えがあるよ」


「そうかあ、まあそうだよね。僕は家庭の事情で色んな大人の人を見てきているから、なんとなくだけど卯野さんもその似ているというか大人っぽい雰囲気を出しているんだよね」


「ふうん、大人の女性っぽいってこと?それなら悪い意味ではないかもしれないね」


「うん、でも多分だけど卯野さんって大人だよね」


「………。」


「友達が少ないのはまだ分かるけど、誰かと喋るときに自分から話さないし、流行の話のときは聞くことに徹しているし、話題が脱線するとそれとなく戻すし。正直、女子高生っぽくはないよ」


「ただの推測じゃん」


「帰国子女にしても流行に疎すぎる、スマホの扱いに慣れていない、偶に化粧や香水の匂いがする。お酒の匂いとかもしているときがあるし、何よりもクスリやってるでしょ?種類は分からないけど、昔に合った中毒者ジャンキーと同じ匂いがする」


「……はあ、だからこんな人気のないところに呼び出したわけか。少なとも喫茶店でできる話じゃないね。若気の至りでこんな錆びれた廃屋に呼び出したのかと期待していたんだけど」


「僕の家です」


「え?」


「今回の保護者とは少し折り合いが悪くて。誰も買い取らない立地の悪い殺人事件のあった家を用意されただけです」


「へ、へえ……」


「地雷を踏んでしまった、みたいな顔をしないでくれると助かります」


「ごめん」


「いえ、悪いのは僕なので」


「……誰にだって詮索されたくないことはあるもんね」


「詮索されたくないほどのことではないけどね。卯野さんが大人であることを隠していないのと同じことだよ」


「隠しているつもりなんだけどなあ」


「表面上はね、でもバレてもいいとは思ってるかな」


「間違ってないよ、でもクスリの匂いを知っている高校生がいるとは想定してなかったよ。そこら辺のチンピラが持ってるメジャーなクスリじゃないんだけどねえ」


「一般人向けではない、それどころかただの人間が飲んだら即廃人になる劇物。そんなもの飲んでも神様には成れないし、一時の快楽を得る前に脳が壊れますよ」


「大丈夫、クスリに対する耐性はあるから」


「――人間でないのなら、確かに問題は無いのかもしれませんね」


「……人間じゃないなんて、面白いこと言うけど。君みたいな高校生が真面目な顔して言うのは傍から見ると痛い人にしか見えないね」


「付け焼刃の様に現代知識を持ち出さないでください。いや、卯野さんの時代でも似たようなことはあったのかな?」


「時代って、いや、間違えてはいないんだけどさあ。……はあ、どこまで知ってるの?」


「大体全部です」


「……なんで詰問してきたの」


「反応を見たくて。誤魔化すのか、逃げるのか、敵対するのか」


「そのどれでもよかったと」


「できれば交渉とかしてくれるとありがたいです」


「交渉ね……力づくの方がいいんじゃないの?そこの悪魔を使ってさ」


『私のことはお気になさらず』


「淵、帰ってたのか。声をかけてくれればよかったのに」


『三秒ほど前でしたし、それに御学友との談話を妨げるわけにもいかにかと思いまして』


「御学友かな、取引相手って思っているんだけど」


「取引ねえ、脅迫の間違いじゃなくて?そんな物騒な悪魔を呼び出しておいて持ちかける言葉じゃないよ」


『私のことはお気になさらず。ただの侍女です』


「淵、紅茶入れてくれる?」


『かしこまりました』


「完全に手懐けているのね……」


「契約なので」


「契約ねえ、魂を捧げる代わりに願いを聞いてとか?」


「はい」


「……冗談のつもりだったんだけど。まさかそんなことをしている奴がこのご時世にいるとは。極東らしいというのかなあ」


「僕が死ぬまで護衛であり侍女です」


「それ以上の契約はしていないと」


「そんな事していたら寿命が持ちませんよ」


「そう、かな……うん、そうだね。信頼はできないけど」


「信頼は難しいですからね。利益や損得で結ぶことはできないですから。なのでまずは取引からかな、と」


「信用が築けていると?」


「利害の一致です。僕は卯野さんの秘密を隠匿できるし、庇護することができます。僕は卯野さんとできれば友好関係を結びたいし、少なくとも敵対はしたくない」


「庇護ねえ」


「僕は都木野花の孫です」


「ツギ……?ああ、不明の悪魔を叩き潰したって言う――え!?もしかしてっ!!」


「恐らく考えている通りです。祖母ちゃんに言えば少なくとも祓い屋関係からの圧力はなくなると思います。あと、日本国内でも屈指の強者である都木野花からの追跡を今後受けることはなくなります」


「それは魅力的な提案――ってほどではないね、ツギっていうのは見たことはないけどゴーストバスターだというのは聞いたことがある。ウィッチハンターならともかくゴーストバスターが狙ってくる理由がない」


「まあ海外の常識がどうなのかは知りませんが、祖母は祓い屋で対象は魑魅魍魎全般と同じ祓い屋や呪術師、外法の異能を使う者をぶち殺すのも仕事らしいです」


「……物騒だね」


「利益は薄いですけど、僕に巡り合って離れなかったのならばいずれあなたは否が応にも祖母に追いかけられることになります」


「脅し文句としてはかなりダサいね」


「ダサくても命がかかっているので。正直、貴方ほどの人がこんな身近に現れるとは思ってもいなかったので。『次元の魔女』或いは『異端なる魔導』、『島落とし』『深海の宇宙』『三重世界』、そして――『森羅万象』」


「うわー、ヤバい、すっごい恥ずかしい。え、何、そんなに私の通り名あるの?『次元の魔女』とか『異端なる魔導』はともかく他は知らないんだけど。噂が独り歩きしちゃったのかなあ。全く気にしていないかったことが逆にあだとなってしまった。うーん、これからは『次元の魔女』で一辺倒にした方がいいなあ。自分から名乗っていく形で」


「手遅れです。あなたの場合その神出鬼没の性質とも合わさって一種の伝説と言うか崇拝対象のように見られているところがあるんですよ。魔術という神秘の使い手としては間違ってはいないんでしょうが、やることが一つ一つが崇められてもおかしいことではないですからね」


「崇められること?ああ、あれか干ばつ地域に週に一回のペースで一か月間雨を降らせたことか」


「それはまだ奇跡の使い手ぐらいの評価でしかなかったですけど、まずかったのは魔獣を倒すときに使った氷山を落とす魔術と潜水艦の救助の時に使った海を引き上げる魔術が色んな尾ひれを残しています」


「ああ、でもあれは頼まれたからやっただけじゃん。ていうか詳しいね。もしかして私のファン?」


「ええ、テレビの向こう側の存在のままなら純粋なファンでした。今は警戒の対象です。幻術を使うなり暗示を使うなり、とれる対策はあったのかもしれないですし僕は僕であくまで情報として調べたことしか知らないので当時の状況なんて知りませんが、大規模な魔術を使うならば配慮してほしかったです。大きすぎる力を持つ人の行動のツケは本人ではなく周りの人が払うことになるので」


「ツケって?君と私は無関係じゃん」


「卯野さんと同じクラスメイトと言う理由だけで既に三度ほど魔術師に襲われています。また、僕以外のクラスメイトも数名誘拐されかけました」


「っ、それは」


「なので、全員淵に殺してもらいました」


『紅茶をお持ちしました』


「ありがとう、淵。卯野さんを殺すか殺さないかでまた色々とあったんですけど、僕への風評が酷いことになりそうなので止めました」


「……あっさり言うんだね。ここで明かすってことは殺さないでおくから私に何か要求でもするのかな」


「最初はそのつもりでした。でも調べれば調べるほど殺すことの方が現実的では無くなってきたので、僕があなたを庇護下に置くことで他の魔術師を納得させました。あなたにとっては庇護下に置かれるというよりも僕の――淵の監視下に置かれるという形ですけど」


「……その悪魔と戦わされるよりは幾分かマシだけども。隠す気がなかったのは交渉を有利に進めるため、かな」


「いえ、もっと穏便済ませるつもりでした。しかし、予想よりもあなたへのヘイトが溜まっていたみたいで、穏便済ませようとする姿勢が僕が怖気づいているのではと過激な人たちに想われてしまったみたいで」


「暴走した連中がいたと。そんなのひねりつぶせばいいじゃないか。その悪魔の敵じゃないだろうに」


「そうすると今度は僕が標的ですからね。それに過剰防衛です」


「過剰防衛ね。別に潰してそれ以上余計な真似をされ無くなればそれで完結じゃないか」


「間違ってはいませんよ。その後僕の親族とかが襲われたり、他の何の関係もなクラスメイトが誘拐されたり、そういう事件が恐らく僕のあずかり知れないところで起こるだけです。だったら、立場を明確にして僕はあなたと仲がいいわけではなく、あなたを脅してあなたを無理矢理従わせている、とした方がまだ被害が少ないんです。僕が悪魔に保護されていると知れ渡れば迂闊に手を出してくる人たちは減りますし、あなたを従わせるだけで手を出してくる側の鬱憤が少し紛らわせるので」


「簡単に言うね。私がその話を聞いて素直に『はい、従います』、と言うとでも?」


「いや、フリだけしてくれれば結構です。あと、高校にいる間はできるだけ近くにいてくれると監視しているように見られるので、そんな感じで。なにか特別なことをやらせたいわけでもないので」


「…………。」


「安心してください、庇護下に置く以上卯野さんのことは絶対に守り切りますので」


「はあ、ごめんね。拳握って震えを抑えているような男の子に疑いをの目を向けるのは大人げないね」


「すみません、怖いものは怖いので」


◆ ◆ ◆


 最近、気になる男ができた。

 卯野水晶は半世紀以上ぶりにそんなことを考える。

 昔の男は色男だったか、優男だったか、もう覚えていない程度には長生きしている彼女は、自分が恋愛感情を抱いていると自覚していた。男女間の友情は基本的にあり得ないと考えている彼女にとって男女と言うのは利益や損得の関係か色恋の関係のどちらかと割り切っている。

 魔女は惚れやすいものだ、とも彼女は考えている。

 なんせ惚れ薬を作るのも魔女だし、美しさにこだわるのも魔女だし、嫉妬に駆られて姫を毒殺するのも魔女である。

 色恋に魔女あり。色欲に魔女あり。嫉妬に魔女あり。


 恋に嵌るのは魔女の普通。

 ただまあ最近の魔女はどうも真面目に過ぎる、とそんなことを考えながら卯野水晶は意中の彼を眺める。



 平凡な男の子だ、と評価せざる負えないほどに意中の男は平凡だった。

 尖ったところはない。

 特技もない。

 賢いがずば抜けて賢いわけでもない。

 力も魔術も取柄はない。

 


 だけども、彼にはそれ以外は悍ましいというほどの何かがある。

 力はないが力を呼び寄せる。

 魔術は使えないが魔の者を引き付ける。

 尖ってはいないが尖っているものが魅せられる。


 かく言う、卯野水晶も彼には実のところ偶然近づいたわけではなく打算をもって近づいたのだった。

 

 卯野水晶は魔術によって真理に近づけないという結論に至ったときに、同時に魔術以外のプロセスを組み込めば真理に到達できるという確証にも至っていた。ただ、純粋な科学技術では時間がかかり過ぎるし、呪術や禁術に手を出すと真理に近づく前に身が朽ち果てる。そこで目を付けたのが魂魄――もっと言えば魂を使って超常の術を発動させるというものだった。

 魔術の儀式や生贄に近いところはあるが、魂を使う術は悪魔や神や精霊の使うものに酷似している。魔力を用いない超常の力。それを利用できれば真理にたどり着けるかもしれない。

 あくまで仮説だが、と但し書きを付け加えながらぼんやりと彼のことを見やる。


 そう言えば名前は何だったか、と思いながら卯野水晶は思い出にふける。


 彼に初めて出会ったときは、それは本当に偶然だった。

 街中ですれ違っただけ。

 出会いなどそんなものだが、彼女はしっかりと覚えている。


 魔女として彼女は人並み以上には魂について調べてきている。当然、他人の魂の格や質や大きさを見ることもできる。 


 人間とは思えない、悪魔のような、いやそんなものではない。

 到底地球上に存在できるとは思えない魂が目の前に現れた。

 そのとき彼女は絶命を覚悟した。

 

 ただ、そんな魂の持ち主が魔術も使えない、何の特殊な力もない平凡な男の子だという事実におかしさすら覚えたのも同時に思い出す。


「この問題を、そうだな、ツギハギ解いてみろ」


「はい」


 ツギハギ――都木萩、そういえばそんな名前だったか、と漸く記憶から引っ張り出す。名前を覚えるのは苦手ではないどころかむしろ普段から電話帳のような魔術書まるまる暗記する彼女は、記憶をするのは得なのだが彼の名前は何故が印象に残らなった。

 

 と言うよりも、名前など憶えなくとも彼のことは忘れないという自信があるから、と考え直す。

 恐らくは一生忘れない。 

 人間の寿命を超越した魔女の寿命の長い長い一生でも彼のことは忘れない。


 微笑みながら魔女は黒板の前に立つ彼を見る。


 学校など通ったことがなかったが、こんな日々も悪くない。

 そう、思いながら魔女は日常を過ごす。


 同じ明日が来ると信じ切って――

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