第14話 決(情)

「ワンダを裏切る、か。お前らしいな」


 おや、木の上からもう一人。


「母さん……。久しぶり」


 しなやかな肉体。僕より少し背が低いが女性にしては高身長。僕と同じ黒髪。手入れしていないはずなのにやけに艶がある。ローズ姉とよくにている体つきで背格好は殆ど一緒。だけれども全身の傷が歴戦の猛者であることを語っている。本人は武勇伝どころか日常会話ですら難があるほどに語るのが下手だというのにね。背中で語るというのは女性がやることではないよなあ。地球的には。差別用語かもだけれど。まして傷で物事を語るなんて地球人の感覚としては、平成育ちとしては少し感性が追い付かない。


「五年か」


「母さん」


 ローズ姉が今気がついたかのように反応する。ローズ姉にも気が付かれなかったのだから流石母さんというべきか。


「いつ来たの?全然気が付かなかったけど」


「ボクは気が付いていたけどね。ずっと前からいたよ。ボクたちの話をやけに楽しそうに聞いていた。懐かしんでいるって感じかな」


 春は気が付いていたらしい。言えよ。だから信頼しづらいんだよなあ。


「思い出すな」


「私より早くに来ていたのか……」


 ローズ姉が地味に落ち込んでいる。年季の差だよ。やっぱり母さんの方が早かったわけだ。伊達に長年大戦士をしているわけではない。僕らが生まれるずっと前から戦士をしていたのだからな。仕方ない。実力差は明確だ。


「で、なんで母さんは変な仮面をつけているの?呪術なんて使えもしないでしょうに」


 母さんはこっちから話を聞き出さないと全く喋ってくれないので困る。ほんとに会話ができない。

 僕が母さんの容姿をつぶさに説明しなかったのは面倒だったからではなく、母さんが如何にも祈祷師シャーマンがつけていそうな動物の骨と角とかで作られている呪術めいた仮面をつけているからだった。しかしまあ、変な仮面をつけていることに関して実のところはそんなに違和感を覚えなかった。なんでだろうね。


「変な仮面だなあ」


 赤い能面の様な仮面を着けた春が呟く。

 コイツのせいか。


悪戯いたずら避けだ」


 と言いながら母さんが仮面を外す。黒目黒髪。マリー姉から軽薄さを取り、ローズ姉の無表情さに武骨な雰囲気を纏わせた感じ。美女の武士とか職人かな。頬に一つ切り傷があるが、それすらも美しいと感じさせてしまうくらいにはとてつもない美貌。これ五十の母なんだぜ。子供五人も生んでいるっているね。ある意味人間外れなので、初めて母さんの顔を認識した日から数か月は怖くて近寄れなかった。動く石像みたいなんだよなあ。笑顔とか年に一回も見せないし。


「悪戯?ああ、僕の惑わし対策か。母さんが作れるわけないから大婆様にでも借りたの?」


「ああ」


「悪戯に気が付いているってことは、多分僕が拠点にしていた場所にも気が付いているってことかな」


「お前が隠れそうな場所の当たりはついていた。だから敢えて近づかなかった」


「そりゃ、配慮ありがとう。できれば拠点の場所を特定するようなこととか、どうやって隠れているかとかを調べてほしくなかったけどね」


 やっぱり、母さんレベルから隠れきるのは無理だったわけか。多分他の大戦士(ローズ姉を除く)も同じようなものだろうな。

 ローズ姉は対人戦とかあまり頭を使うことになると途端にポンコツになる。頭はいいんだけどポンコツなんだよね。発想が貧困というか。


「……すまない」


「…………。」


 珍しく母さんが頭を下げる。僕と同じ黒曜石のような黒い瞳が揺れる。へえ、母さんにも謝るという機能があったのかと失礼なことを考える。別に母さんが謝罪ができない人というわけではないんだけども、大戦士として或いは母としてかあまり頭を下げることをしない。間違ったことをする人でもないからなあ。失敗はそりゃあするけど、どうにか自分で手に負える範囲で勝手に解決してしまう。マリー姉とはタイプがまるっきり違うけれどこの人も自分だけで何でもできてしまう。

 化物じみているなあ、と思いながらそういえば化物の女子高生とか前世にいたなあと遠い記憶を思い出した。アレはともかく妹の方は元気だろうか。多分前世で彼女に護身術から始まる武道講座を受けていなかったらこの世界で生きていけ無かったろうな。


「――何に対して謝ってるんだい?」


 と、そこで春が割り込んでくる。


「何ともまあ言葉足らずだねえ。君の家族という奴は。君は君で敢えて大切なことを話さないって言う面倒くさい話し方をするけど、君のイカレテいる姉もそこにいる君の母もあと如何にもポンコツそうな姉も皆会話しづらくて仕方がないねえ」


 それが面白んだけども、と春はくつくつと笑う。楽しそうだ。こんなに一度に人間と出会ったのは初めてだろうからはしゃいでいるのかもしれない。ずっとボッチだったからなあ。


「お前は?」


「ボクかい?ボクの名前ってやつは白木春。君の息子に名前をもらった。名前の由来はよくわからないけど耳障りがいいよね。ボクのことは春とでも呼んでよ。君の息子とはここで出会ったんだ。随分と前の話だけれども。それ以来こうして仲良くやっている――」


「春、必要以上に喋らないでくれ。母さんたちは味方ってわけじゃないんだから」


 僕は楽しそうにしている春を咎めた。


「それもそうだね。敵の可能性もあり得るし、喋り過ぎは良くないか。ごめんね、はしゃぎ過ぎていたよ」


 春はうっかりといった具合に頭を下げる。春は過ちをすぐに認めるタイプだ。淵に似ている。


「人ではないな。大婆様のような魔術師でもないか。かといって獣でもない。夜の者達でもない。山の向こうの魔の者でもない。となるとクロハが使っている精霊か」


 母さんがすぐに分析を始めた。独り言だ。こうして唐突に推理をし始めるから会話がしづらい。ほんとに必要なことしか(自分にとって)話さないからなあ。


「精霊。本当にいるのか」


 ローズ姉が目を丸くする。ローズ姉は感じ取れていないみたい。感覚は経験で研ぎ澄まされていくのかもしれない。


「精霊ではないけどね。それに使われているわけでもない。何だろうなあ、まあボクたちは仲間だから助け合うのは当たり前だろう」


「仲間」


 ローズ姉が羨ましそうに春を見つめる。


「だからまあ、仲間としては思うところはあるよね。そりゃあ家族なのかもしれないけど、気安く会いに来る関係なのかもしれないけど、何しに来たのかなあって。今更どうしてここに来たのかなあって」


 …………。

 多分悪意はないのだろう。

 ただまあその言い方は捉えようによってはこう聞こえる。


 どの面下げてここにやって来たのか。


 春はそこまで人間の感情に詳しくはない。けど僕の状況に、過去に、環境に、納得しているわけではないのだろう。


「っ……!」


 ローズ姉が俯く。ローズ姉のいつもは虎のようにぎらぎらとしている瞳が今日は借りてきた猫のようにおとなしい。

 ローズ姉らしい。


「――連れ戻しに来た」


 ただ母さんはそんなことはない。物怖じないし、たじろいだりしない。


「先日、帝(女帝)から勅命があった。お前を――クロハを連れ戻せと。特別にしきたりを気にせず集落の一員として認めるそうだ。そして……、そしてクロハに戦士の儀を受けさせると言っていた」


 ふうん。やっぱり追跡命令は出していたか。それにしても男子を受け入れて戦士の儀も受けさせるか。妙に目を付けられているよな。何かしたっけなあ。


「僕は別に戦士になる気はないよ。クロハ・グレイ、何の変哲もないただのクロハ・グレイでいいよ。だから、だから集落に戻る気はない――」


 僕は断る。ワンダにいたいという気持ちはない。


「なんだっけ、こういう状況を表す言葉を悪魔ちゃんが言っていたような。よい虫?都合の話?まあいいや――」


 多分虫がいいと都合のいい話だろうなあ、と春の言葉を訂正しておく。言葉にはしない。


「勝手に追放しておいてさ、勝手に戻そうとしている。なんて言うのかな、神みたいだね」

 

 或いは悪魔かなと春は嘯く。


「……私は悪い話ではないと思っている。少なくとも昔みたいにクロハを見下すものはいなくなる」

 

 母さんは憮然と反論する。

 特例で戦士に認められる。それも女帝に見初められてか。まあどうだろう。ワンダは実力主義だから力を見せろって言われそうだけど。


「それは君たちにとって悪い話ではないってことじゃないの?というかさあ、もう君たちの物じゃないんだよ」


 春は、白木春は後ろから僕のことを抱き寄せる。

 顔を近づけて頬ずりをする。


「勝手に手放した。昔は確かに君たちでどうにでも出来たろう。守っても抱きしめても頭を撫でてもいいさ、昔ならね。でももう君たちのものじゃない」


 春が僕の頭を撫でながら、甘い声で言う。


「君たちは勝手に追い出した。理由は知らないし興味もないけど、放棄したわけだ。じゃあボクがこうしてもいいわけだ。頭を撫でるのも、抱き着くのもボクにはできる。君たちにはできないけどね」


 とっておきの宝物見せびらかすかのように。

 

「もう君たちは家族じゃないよ。家族を追放した時点でもうそれは成立しないのさ」


 ……もしかしたら春は怒っていたのかもしれない。ずっとずっと怒っていたのかもしれない。ここに来てから、僕に力を貸している間、初めて出会ったとき。春は人間ではないしワンダでもない。家族の概念についてもあまりよく分かっていないが、独りぼっちの寂しさを一番よく分かっている。僕と出会う前、果たしてどれほどの時間を独りで過ごしたのだろうか。神にも等しい春が孤独によって精神が壊れることはありはしないだろうけども。けれど孤独がないわけではないのだろう。だからこそ春は僕を抱きしめる。絶対にはなすまいと。そういうことなのだろう。


「……春」


「うん?何だい」


「ありがとう」


「……ほえ」


 春の抱擁から抜け出す。いい加減春におんぶにだっこのままでいるわけにもいかない。そのために五年間の準備があった。何もしないままでいたわけでもない。ただ震えながら隠れて五年間生きてきたわけじゃあない。


「僕は出ていこうと思います。この樹海を。その際恐らく何人かワンダの戦士を引き抜きますし、場合よっては敵対もするし、何なら帝(女帝)とも争うことになると思います。なので、戻りません。僕はワンダと決別します。母さんにはいろいろと恩がありますが、ここで改めて言おうと思います。――さようなら」


 僕はもう母さんと話す気はなかった。

 そもそも母さんは待ってなかったし。

 何より母さんは母さんで僕の言葉で容易に意見を曲げるような人物でないことは知っている。五年前、僕が出ていくときもそうだった。同意してもらう必要もない。


「……そうか、そうだな」


 母さんは僅かに沈黙する。


「強くなったな、クロハ。――すまなかった、お前を強くしてやれなくて」


「……別にいいよ」


 強くなりたかったわけじゃないから、というのは流石に憚られた。

 母さんは僕を強くしたかった。でもそれは多分、強い戦士にしたかったわけではないのだろう。僕が生きれるように。生きていけるように。それだけしか考えていなかった。


「わ、私はクロハを連れ戻す気はないっ!!」


 ローズ姉が大きな声を出す。


「クロハがこの森を出るというなら止めない。クロハここにいたくない理由は分かる。ごめん、本当に、ごめん。何もしてやれなくて。何もできなくて。クロハが私を嫌うのだって当たり前だろう。でも、クロハが出ていくというなら私もついていく。あのときも、ついていきたかった。いや、ついていくべきだった。だから今度は一緒に――」


「ワンダを裏切る覚悟があるなら、どうぞ――」


 ワンダを裏切る、という選択肢はとらないでいることは恐らく無理だ。マリー姉の手を取った以上、ワンダとは必ず対立するだろう。ならば裏切ってもらわなければ困る。そうでないと信じられない。


「……ワンダを裏切ることは、できない。私は大戦士だ。未熟だが大戦士となっている。そうである以上、いくら森を出ていくとは言え刃を向けることはできないし、刃を向ける者を放置するわけにもいかない。だから――」


 ローズ姉は僕を見る。

 虎のような眼差し。

 

 強い意志が宿る瞳だ。


「私と決闘しろ、クロハ」


 ローズ姉は臆することなく言い放った。

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