第13話 言葉にしても伝わらないもの

 とある樹海の中のスポット――倒木などでその場だけ木々が生えていない空間のこと――にて僕は新たに白木春≪しらきはる≫と名付けた化物と共に時間を潰しながら、ふと家族のことを思い出していた。


 センチメンタルな感情がないと言えば嘘になるが、今更家族のことなど考えてもどうしようもないことぐらい僕にも分っている。マリー姉と再会しなければ家族のことなど気にも留めずに樹海の外へと旅立っていただろう。マリー姉のおかげでこうして家族のことを考える時間ができたともいえるわけだ。いや、感謝なんてしてないが。マリー姉が僕のことを忘れずに考えてくれていたことは純粋に嬉しいし、再会できてよかったと心から思ってはいるが多分僕から会いに行くことはなかったと思うと、自身の薄情さを少しだけ自覚させる。気にはしていないが。


 今思い出すのはローズ姉のことである。

 まあ、とは言っても大した思い出があるわけでもない。僕の思い出は殆どが母さんの児童虐待じみた教育と大婆様の魔法の授業(魔法は使うことができなかったが)で終わる。精々無理矢理狩りに連れ出されたことぐらいしかローズ姉との思い出はない。その僅かな回数の狩りで僕は何度も死にかけたわけだが。僕が死にかけた理由の殆どが僕と周りのワンダの人々との身体能力の差が、認識のズレがもろに出てしまったからなのだが。具体的には猪と追いかけっことか、豹と取っ組み合いとかね。脳筋一族に一般人がいても異世界無双はできないということだ。


 それでもまあローズ姉は一度僕が狩りに向いていないと分かると、直接戦わせることを避けて荷物持ちにしてくれたのでまだましな方ではあるのだけれども。


 ローズ姉は母さんに次いで口下手であり、母さんの次に無表情であり、母さん以上に考えることが苦手な人である。母さんが寡黙な職人でローズ姉は寡黙な兄弟子(姉弟子)みたいな感じである。話を聞いてくれるだけ二人の妹よりは随分とマシなので、ていうか家族の中ではなんだかんだ一番話が通じる人(ワンダ)なので実のところ一番家族の中では気にしていた。だからというわけではないがせめてローズ姉には会っておきたいと思っているわけだった。


 母さんや妹たちはどうでもいいけど。

 大婆様に挨拶する必要はないだろう。



 そんなわけで僕は待ち人を待っていた。


「ここに来れるとは限らないんじゃないかなあ」


 白木春は僕を後ろから抱きながら言う。

 名前を付けてもらってからというもののこの化物はやたらと僕に引っ付いてくるようになった。

 何でも魂の距離を調節しているだとかなんだとか。

 よくわからないがどうも調整を失敗すると僕がどんどん人間離れしていくらしい。なので特に拒絶する必要もない。


「ワンダの戦士は樹海の中で獲物を罠に頼らず追い詰める狩猟のプロだから、隠蔽を一切しないでいるとすぐに見つかるよ」


 足跡を消すのはそこまで難しくないが残り香や草木を掻き分けた跡なんかですぐにバレる。


「でも、君は五年間も隠れきったわけじゃないか」


「まあね。春に出会ったことや大婆様から隠蔽の魔法をある程度教わっていたからどうにか隠れていただけだけど」


 春に出会わなかったら獣に食い殺されていただろうな。

 やはり一般人の身体能力で異世界を生ききるのは少し厳しい。日本でだって樹海の中で五年間暮らすというのは中々にシビアだろうけど。


「ボクさえいれば何てことはないだろうけど、最初からボクの力を使えていたわけじゃないだろう?なんなら出会った頃はまともに知覚すらできていなかったじゃないか。君が隠れきった理由はソイツらが君が思うより無能であったからじゃないのかい?」


「……過大評価している節はあるけど、それよりも彼女らがプロであることが隠れきれた一番の要因だとは思うよ」


「というと?」


「基本的に彼女らは獲物が通らないような場所には近寄らない。そういう場所を拠点に選んだから」


 戦士たちが樹海を徘徊するのは狩りのときである。経験を積んだ戦士ほど獣が徘徊しない地域には近寄らない。場所を選んで隠れれば思いの外見つからない。それでも違和感とか直感で場所を見つけてくるやつらもいるのでそういった連中にだけ魔法とか使って誤魔化せばいい。別の獲物に誘導するとか、森の外へと迷わせるとか。


 ワンダの戦士たちの弱点の一つとして、魔法についてほとんど知識がないということである。攻撃魔法とか幻覚とかの悪意がある魔法には超感覚で察知して反撃まで行う彼女らなのだけれども、ちょっとした誘導とか草木で迷路を作ったりすると簡単に引っかかる。彼女たちも簡単な魔法ならば使えるが知識があるわけではないので、見破ったり魔法のほつれを見つけたりすることができない。そこをうまく利用すれば隠れること事態は難しいけれどできないことではなかった。


 彼女らの常識外の感知能力を魔法で上回れば勝ちという構図である。


 勝率は三割五分くらい。春の能力に頼らなければならないことは多々あったし、一度拠点に招かざる客が来たこともあった。……いや今回のゴタゴタを含めると二度目か。両方ともイレギュラーだし、片方は外部から来た人間だし。ワンダは行動がある程度読みやすかったからうまいこと隠れられたけどこれから人間相手にやり方を改める必要はあるかもしれない。


「ふーん、でもこれからは逃げ隠れする必要なんてないんじゃないの?悪魔ちゃんに任せれば敵も味方もどうにかしてくれるでしょ」


「淵はそこまで万能じゃないよ。燃費が悪いから活動限界がある。それに全員相手にしてたらきりがないし、命が持たないよ」


「それこそ悪魔ちゃんがどうにかしてくれるんじゃないの?」


「僕はそれで一回死んでるからね」


 前世は淵に任せすぎて失敗した。淵に頼らない自衛手段を用意しておくべきだった。実家から追放されていた僕がそう簡単に戦力を手に入れられるとは思わないけど。

 それに敵を作りすぎたのもいけなかった。懐柔策とか交渉とか。もの知らぬガキだった僕だけど、とれる手段はいくつもあったはず。

 今思えば魔女辺りと契約結んでおくべきだったかな。……それはそれで魔術師界隈の連中に目を付けられたかもしれないから考えどころか。

 勢力を作るとなるとどうしても色んなところを刺激してしまうので迂闊にはできない。前世じゃ悪い意味で目立ってたので下手に動けなかった。淵と契約したのだって僕をよく思わない、命を狙う輩や、僕を担ぎ上げて祖母に害をなそうとしていた奴らから身を護るためだったわけだし。


「仲間を増やすこと自体は悪くないんじゃないかな?群れていたほうが生物って基本強いだろうし」


「まあね。本来なら旅に出てから仲間集めをしようかななんてぼんやり考えてたんだけどね」


 マリー姉がその辺りのことを二手三手先読みして魔術結社なるものを作ってきてしまったので、正直マリー姉に頼れば仲間を集める必要がなくなってしまう。というか、マリー姉を味方に付けた時点で戦力としては過剰なくらいなのだけども。人格はアレだけど。それに戦力以外は何もないに等しいので、これから地道に活動する必要はあるのだけども。


 そういえば、結局マリー姉が具体的に何をするのか聞かなかったな。人間と魔人の戦争にちょっかい出すようなことを言っていたけど、どうするんだろうなあ。何も考えてないなんてことはマリー姉に限ってないだろうけど、あの人理屈に合わない行動や破綻した策略を無理やり通すからなあ。


「そういえば、結局君が何故ここで待ってるのか、理由を聞いてなかった気がするよ」


 思い出したかのように春は言うけど、最初から聞きたかったのは何となくわかっていた。淵とは違い会話を楽しむ性質がある春は遠回りしてから本題を聞いてくる。会話がないのは確かに物寂しいけど、春の話し方は少々以上に迂遠に過ぎる。


「別に大した理由はないけど、強いて言うならば勧誘と力試しかな。ちょっとした心残りがあってね」


 重要なことではないのでここまで後回しにしていたのだ。いや、後回しにしていたというよりは忘れていた。淵が来てからバタバタとしていたため考える暇もなかったから。何よりもマリー姉と再会しなかったら恐らく本気でやろうと思わなかったからだろう。


 ――ワンダ相手の力試しなんて。


 ……マリー姉はともかく、よくよく考えるとローズ姉と再会したことでワンダの女帝に目を付けられたので、僕の姉は良くも悪くも厄介ごとを引き連れてきている気はする。僕の平穏無事に生きたいという性質とはなんだかんだで相性が悪い。相性が悪いというよりは考えが合わない、なのかもしれないが。


「力試しって……戦うのは嫌いなんじゃなかったのかい?やけに好戦的だね」


「嫌いというか苦手かな。基本的に事なかれ主義だしね」


「うん?世界征服するとかだったよね。事なかれ主義なのに世界征服なのか」


「世界征服するのはマリー姉が勝手にやることだよ。僕はマリー姉の庇護下に置かれた方が安全だと思ったから話に乗っただけ」


 世界征服は勝手にやっててほしい。そりゃあただ飯ぐらいは嫌なので片棒ぐらいは担ぐけど、本気で世界征服なんてする気が起きない。


「ふうん、楽しそうな顔をしていたのは嘘だったわけか。或いは気分が変わったのかな?ボクと出会ったときよりもうれしそうな顔をしていたってのにさ」


「気のせいだよ。世界征服は趣味じゃない。そりゃまあ世界中のメイドさんを侍らせたいって言う野望はあるけど、あくまで野望どまりで実行に移すつもりはないし」


「野望を抱いている時点で実行に移したい願望があるってことじゃないか」


「行動しなければ未遂にすらならないからセーフだよ。殺人未遂は行動しているけど、殺人計画を練っている時点ではまだ犯人じゃないのさ」


「でもそれって潜在的な人殺しじゃないかな。なんか聞いたことあるよ。悪魔ちゃんが我が主はなんとか軍だって」


「…………。」


 多分それは、犯罪者予備軍かな。あの悪魔は僕に忠誠を誓っているし、従順だし、なによりも僕は彼女に魂を渡せるくらいには彼女を信頼はしているんだけども、どうにも僕を異常者扱いしている節があるからなあ。流石に自分のことをどこにでもいる一般高校生――それこそライトノベルの主人公のような人物――とは思っていないけど、だけど僕みたいなやつは、僕程度の考え方をしている人間なんていっぱいいるだろうに。


「悪魔ちゃんは悪魔ちゃんだからだろう。彼女――彼女でいいのかな?――まあいいか、彼女の根本は悪意とか混沌としたものからきてるから、君のその悪性に惹かれてるんじゃないかな?」


「そんな大層なものじゃないと思うけど」


「破滅願望。それも明確な理由は何もない。復讐心でも憎悪でもない。嫉妬や劣等感でもない。足があるから立っている、口があるから喋る、脳があるから考える。君のそ終焉への執着は本能に近い。恐ろしいくらい雑味がなく純粋だ」


「恐ろしいって……怪物である君が言うか」


「純粋無垢に人間とかだけじゃなくて、獣も植物も悪魔も神も無くなってしまえって願っているのは君くらいのものだよ。――とは言っても伝わらないか。自覚するのは難しい。比べる対象もないし。ボクだってずっと一人だったから君が真っ当なのかそうじゃないのか正直分からないし」


「わかりたくもないけどね。皆一般人でいたいと、心の底では願っているのさ」


 犯罪者予備軍とは言われたくないわけだし、ごく潰しとか、ニートとかそうありたいわけでもない。しかしながら、突出も怖いのだ。英雄とか王様とか。そうでなくても何者かの代表になど誰も成りたくない。なってしまったが最後、一生普通には戻れない。…………。なんてね。


「後戻りできないのが怖いのかい?それとも――」


「――クロハ、ここにいたんだね」



「…………。」

「…………。」


 間が悪いなあ、この愚姉ローズ姉は。


 木漏れ日が彼女を照らす。

 まあローズ姉が一番最初にここに来るだろうとは分かっていた。……予想していたぐらいで、多分母さんの方が先に来るんじゃないかと思っていたけど。意外と優秀なんだな。


 ワンダとか蛮族アマゾネスがよく着ている毛皮装束。裁縫技術が碌に発展していない本当に最低限戦闘行為ができるよう――主に狩猟を邪魔しないように手縫いで作られた毛皮のまとい

 こう見るとあれだね。


「大きくなったね、ローズ姉」


 前に再開した時は気が付かなかった。五年以上も前のローズ姉姿を勝手に自分の中で再生していたような気もする。

 五年前は僕は十歳、ローズ姉は十三ぐらいかな。正確な年は分からないけど、多分それくらい。マリー姉の年は実は知らない。母さんはもう五十近い。でもまだ子供が産めるらしい。ワンダの神秘。大婆様も子供が産めるらしい。ワンダの怪奇。

 昔のローズ姉は戦士としては既に一流に近かったけど、体が追い付いていなかった。骨格も筋肉も。今は違う。ワンダの人々はあまりゴリゴリとした筋肉はつかない。密度が高く凝縮された、女性らしい体つきのまま肉がついていく。細身の女性がやけに重いのだ。地球の女性とは文字通り体つきが違う。

 故に、今のローズ姉もすらっとした細身の女性だ。スポーツ女子のような、褐色肌で、健康的な肉体美。


 そして何よりも五年前は絶壁に等しかった胸襟が、たわわに実っていた。


 ワンダの奇跡。


「……最近、太った」


 言って胸を困ったかのように隠す。

 違う、それは発育だ。

 脂肪の塊ではあるけど、人によっては筋肉よりも、或いは黄金よりも価値がある。










「……ローズ姉、あのさ――ワンダを裏切って一緒に来ない?」


 さてと、ローズ姉に言葉は通じるのだろうか?

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