第9話 狂気に沿う

『申し訳ありません、遅くなりました。我が主』


 淵がいつもと変わらず静かに言う。

 僕は宙を跳ぶ魔術師の首に目を奪われながら、淵の話を聞いていた。


「淵、あいつを殺すな」


『……かしこまりました』


 淵の淡々とした声はいつも通り聞きなれているが、少しだけ不機嫌なようにも思える。

 何かあったのか。

 まあ、いきなり自分の主人がどこかに行けば慌てるのは当たり前か。

 

 渋々、といった様子はなく淵は手を振るう。

 地面に転がった魔術師の首と首の離れた胴体、そして飛び散った血液が逆再生しているかのように元に戻り、五体満足の魔術師が出来上がる。


「……多分死んでいないと思うけど、間に合ったかな」


 ギロチンで首を飛ばされた人は数秒の間生きているとは言うし。正直なところ死んでいようが死んでいまいがどちらでもいいが、殺すなとつい指示してしまった手前死んでいると少しだけ嫌だった。

 恥ずかしいというか――いやよそう。

 人が死ぬか死なないかを軽々しく扱うのはいくらこの世界に来て生死の価値観が変わったと言え不謹慎だ。命が軽い、死が身近にある世界だが弔いや死者への礼儀は存在している。自分が殺したのならば尚更。たとえ敵であっても。


『問題ありません、脈拍、瞳孔、呼吸、異常なしです。それよりも――』

 

 そこで淵は一度首がくっついた魔術師を一瞥し、再び僕に視線を合わせる。


『怪我はありませんか? ありますね。治します』


 と、流れるように近づき抱き着かれ、胸に顔が埋もれると同時に体のあちこちの傷がもぞもぞと蠢く。

 むず痒い感覚はほんの数秒。

 特に痛みも疲労も感じることなく戦闘で受けた傷は癒されていた。


「ありがとう、淵」


『どういたしまして。それで、アレはどうするのですか』


 淵が魔術師の方をチラリと見てまた僕に視線を戻してから尋ねてくる。

 僕は相変わらず淵の胸と淵の両腕に挟まれたまま(尚且つ淵のよくわからない粒子が僕の体の中に入り込んできていたりするのだが、割とよくあることなので説明は省く)、首を動かすこともままならず、しかし不思議と息苦しくない淵の体を堪能せざるを得ない。


「できれば仲間にしたいんだけどなあ」


 『異世界創造』の魔術。

 そんなもの本当に一生かかってもお目にかかれない。

 僕には再現不可能。多分淵も厳しいんじゃないかな。

 淵ならば億単位で年月をかければ不可能じゃなさそうだけど。


『成り代わればよいのでは?』

 

「あーそういう手段もあるのか。説得は試してみて無理ならそれでもいいかもねー。でも、淵にはできればメイド姿のままでいてもらいたいし。ふむ」


『体を分けましょうか?』


「止めとく。ややこしいし、人形遊びみたいで気持ち悪い」

 

 趣味じゃない。

 淵が分身するだけならば特に問題ないけど、中身が淵で姿かたちは違う分身体が何人も周りにいることは想像するだけでも気が滅入る。


 淵は基本的に何でもできてしまう。

 説得も説得せずとも完了させるだろうし、僕の気が付かないうちにあの魔術師に成り代わることも可能だろう。


「自殺しないように、逃げれないようにだけしておいて」


 自殺はともかく、淵に視認されている時点で逃げることは不可能だろうけど。この不明の悪魔から逃げきるにはそれこそ輪廻転生でもしないと無理だろう。……輪廻転生しても無理だったな。地獄やら天国やらも容易に行き来し、異世界だって無理矢理入り込んでくる。敵からすればこれ以上ないほどの最悪な悪魔である。

もといた世界では淵を知っているものは、関わらない、出逢わない、敵対しないを忠実に守るものばかりだった。ていうか、淵に目をつけられるというのは燃料にされる魂を抜くというのと同義である。義務でもなく生きる糧とするわけでもなく、ただ力を使うときにエネルギーが必要だからだという理由で淵に殺される人たちは正直たまったものではないだろう。その片棒を担いでいた僕が言う話でもないが。



でもまあ、淵は見たもの全てに襲い掛かるわけでもないし、割りと話し合いと交渉で引き下がることも多い理性的な悪魔なので大分マシではあるのだけれども。対話もできねー悪魔とかよくいるからなあ。人間と悪魔の感覚はズレているが、人間を見下しまくって喋ってくれない奴や会話は出来ても交渉や取引の類いを一切しない奴、言語が無い奴、脳無し、ただの災害等々。


悪魔と交渉すると言うのは人間にはとてもとても難しいことになる。人間にとっての難題は悪魔にとって赤子の手を捻るようなもの。悪魔が求めるようなものを人間は提出できないし、人間が求めるようなことで悪魔は悪魔の欲する物を要求できない。要は釣り合わないのだ。悪魔のよくやる三つの願いと引き換えに魂を寄越せという文言は悪魔は3つ願いを叶えて漸く悪魔は魂を要求できるという裏返しでもある。交渉は公平でなければ行えない。力の強い悪魔との交渉はだから破綻しやすい。

その点において淵は交渉に応じやすい悪魔である。淵は長いこと人間世界に顕現しているせいか人間社会に馴染んでいる。人間との交渉を人間程度の見返りで執り行う稀有な悪魔なのだ。まあ、淵にとって大抵の無理難題は片手を振れば終わるような些事なので恐らく商店街での福引き感覚で交渉しているのだろう。


話を戻す。

淵が僕の命令に従い魔術師に視線を一度向けるだけで黒い茨のようなものが魔術師の手足に絡み付き拘束していく。

多分あの茨も物理的拘束だけでなく魂を縛るとか魔力を使えなくするとか、或いは座標を固定し動けなくするとかの付与効果がたくさんついているんだろうな。


淵が扱うあれやこれやを考察するのは時間の無駄だ。考察して得られる結果が淵には敵わないことが分かるだけで淵の行為から糧になるような知識や経験を得られないからだ。人間にはできない技術なのはもちろんのこと、悪魔や神のような存在であってしても再現不可能な事象を引き起こすのが淵である。


魔術師もついていない。何が目的でこんなことをしたのかはわからないが、一歩目で地雷を踏み抜いたようなものだ。僕と淵を攻略する上で僕を狙うのは間違えてはいない。けれども、僕を人質にとるとか僕を始末するとか、そういった定石は淵を相手取る場合は意味をなさない。おおよそ淵がどうにかするからだ。どうにかするというのは、僕がいくらピンチに陥っても――もしくは僕がたとえ死んだとしても、淵は僕を救いだし蘇生し敵を殲滅して敵意を叩き潰す。


僕と淵に関わったことが既に間違い、と言う他にないが、それでも僕と淵を攻略するならば僕を狙うしかないのもまた事実。つまるところ、僕の友達か仲間になればいい。その時点で淵の戦闘力に関しては無力化できる。淵を攻略するのは難しいが僕の攻略はかなり簡単だ。なんせ僕は所詮は最強の悪魔に寄り添う無能な人間に過ぎないのだから。……なんてね。


「なあなあ、なんで悪魔ちゃんは喋らないんだ? そりゃあボクたちぐらいの化物なら声に出さずとも相手の意思を読み取るのは簡単だけど、わざわざ日頃から思念を送って意志疎通する必要もないと思うんだけどなあ」


猩々を象ったような赤い面を付けた名前のない怪物がひょっこりと目の前に現れる。相も変わらず距離が近い。


「ああ、いたんだ」


「ひどいなあ、忘れてたのかい? まだボクは"ナマエ‘’というものをつけてもらってないからねえ」


「ごめんね、まさか行きなりどこかわからないところに飛ばされるとは思ってなくてね」


よくよく考えるとこの怪物さんも淵と同じくこの作り出された異世界へと渡ってきている。淵とほぼ同等とは思ってたけど、やっぱり規格外だ。分かってはいたけれどやたらと僕の周りには常識外の連中が集まるな。今世の家族やなんかよくわからない女帝とか。何も意図していないのだけど。

アマゾネスの集落に男として生まれ変わるなんて誰が想像するものか。いや、それを言うなら輪廻転生したことが想像の外のことなのだが。生まれ変わり事態はそこまで珍しくはない。魔術や呪術に関わると転生の方法は聞き齧ることはある。しかも実際に何世代も生まれ変わっている術師もいる。生まれ変わろうとして生まれ変わるのはおかしいことじゃないが、なんの準備もなくただ死んでたまたま転生するなんて聞いたこともない。生き霊が乗り移ったならよくある話したが。


「淵は思念を送って意志疎通を図っていた悪魔だからね。関係性が逆で、思念を送るだけから発声をするようになったんだよ。もとから発声器官がないから」


「んん? 喋れるなら喋るもんじゃないのかなあ。会話がせっかくできるんだし」


「君みたいに前人未到の樹海の奥地で独り寂しく生きてきた訳じゃないから淵は。人に常に携わって、利害関係を築いているのが悪魔だから」


無論、淵と関係を築いて無事だった人はまずいないのだけれども。



「ふーん、贅沢だね。人と出会うなんてそれこそ千載一遇の出来事だっていうのに」


「それは君くらいさ。人知れず生まれて、独りで生きていくような状況がまず珍しいことだから」


「そうかなあ、ボクみたいなのもたくさんいると思うけどなあ」


「いても気がつかれないから。人目に触れないから珍しいのさ」



前世にも似たような存在はいた。淵があまりにも突出していたため興味は沸かなかったけれども。

障らぬ神に祟りなしとは言うが、人に発見すらされていない神様なんて虚しい存在だ。


「ま、君は人目につかない方がよかったのかもしれないね」


 ちょろいし。すぐ騙されそう。


「おっと、またひどいこと考えているな。ボクには分かるんだからな。すべてお見通しだよ」


「知ってるよ。……いつも思うんだけど、思考が読めるならば僕みたいなやつと契約しない方がいいと思うんだ」


 自分でも自分の頭の中が屑だということ自体は分かってるし、そんな人間の中身を覗いてなお付いてくるとは(憑いてくる)とは奇特な人――人じゃないけれど――だと思った。


「初めて会ったのが君だし、君は凄い面白いなとボクの直感が騒いでいるからね。それに、ただの屑だったら出会った時点で森の肥料さ」


「僕以外の人間に会ったこと無いからそんなことが言えるのさ」


「だとしても、ボクは今割と幸せだと思うんだ。君に出会えたのは間違いなく幸運だ」


 そう納得しているなら特にいうことはないが。

 

『この後はいかがなさいますか? この世界も3分24秒後には崩れますが、脱出なさいますか? それともこの世界を維持しますか?』


 あ、維持できるんですね。他の人間が作り出した異世界を崩壊しないようにできるんですね。凄いっすね。

 ほんと、規格外過ぎて凄さがよくわからなくなる。

 異世界を作るこの魔術師も間違いなく強いし、チートなんだけれども。

 それを片手であしらい、超越する淵の存在を見ると霞んでしまう。


「うーん、維持するぐらいならこの世界を乗っ取ってボクらだけの世界に作り変えてしまえばいいんじゃないかのかい? そっとの方が楽だし、無駄がないよ」


 このお面の怪物さんもなかなかに規格外。


 規格外と規格外が被ってしまった。

 どうしようもないね、これ。


 ジャンボオムライス(淵)頼んだらジャンボエビフライ(ボッチの怪物)が付いてきた感じ。おまけにバケツプリン(異世界創造の魔術師)が出番を控えている。


「とりあえず維持で。乗っ取るかどうかはこの魔術師さんが協力してくれるかどうかでいいんじゃないかな」


 どっちにしても安全な拠点ができるのはありがたい。

 まさか異世界を作るなんて考慮もしてなかったけれど。


 この後どうするか、ということに関しては実のところよくよくは考えていない。

 ただまあ、ワンダの集落には帰れないし、とは言っても森を出てすることがあるかと言えばそうでもない。

 

 淵が付いてきてくれたおかげで当面の目標だった自身の戦闘能力の強化も急ぐ必要がなくなってしまったし。

 強いて言うならば淵の強化――魂集めの目途を付けることかな。

 人間の魂がベストだが、この世界では人間以上に数がいる魔獣とかでも多分代用が効くだろう。

 そこらへんは淵との相談に寄りけりだが。


「まあ、まずは怪物さんに名前付けでもしようか。魔術師が起きるのも待ちつつね」


 のんびり行こうか、人生は。


 少なくとも今は平和なのだから。




「あらあら、負けちゃったのね。平和な世界の創造主グリーン・グリーンは。だから、ワンダの部族には注意しなさいって言ったのだけれど。って、あれれ。……嘘。クロハちゃん!?」


「……マリー姉」


 金髪に黒と金のオッドアイ、ワンダ特有の小麦色の肌に発達した女性とは思えないほどの筋肉。ボディビルダーみたいだが何故かおっぱいもちゃんとついている辺りファンタジーだなーと現実逃避。


 僕らの目の前に唐突に現れたのは、僕の今世の一番上の姉、マリーゴールド・グレイだった。

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