第7話 グリーングリーン


 油断はしていた。

 淵が傍にいるというだけで僕はすべての事象が些細なことで、淵の傍こそが完全なる安全地帯であると確信していた。


 ――ただ、これには少し語弊がある。

 油断というよりも想像していなかったのが正しく、淵の傍は安全地帯だが淵の傍を離れればそこは危険地帯である。


 警戒はもちろんしていたさ。僕は今も昔も弱く愚か。人一倍考えて人一倍臆病になる必要があること自体は自覚していた。ただ、淵と再会したことは僕が思っている以上に僕に安心感を与えてしまっていたようで、また僕が想像しているよりもこの世界は危険な場所であると僕は漸く気付かされたのだ。


 時刻は僕が割と真剣に名前を考え始めた直ぐ直後のことだった。

 

 僕が気が付いた時には淵と仮面の怪物さんはいなくなっていた。


 この時点ですでに僕の理解の範疇を超えていた。しかしながらも表情を固めることも思考を停止することもせずに僕はただただ、目の前を見つめ口を動かすことだけを優先した。


「誰?」


 目の前には人物がいる。それは認識した。まるで画面が切り替わるように淵と仮面の怪物さんがいなくなり、樹木の生い茂る密林から草木一本も生えていない荒野へと風景が変わり、そして目の前にはダボダボのロングコートを着た人物が一人立っている。――という詳細は後から頭に入ってきた。混乱し困惑し昏倒する――ことはないが冷静にはなれず当然まともに考えることもできていない。だけど、だけれど、だけれども――


 目の前の奴が敵だということはなんとなく僕にはもうわかっていた。


「誰と言われるとなあ、名前を言っても分からんだろーし、所属を言っても伝わるかどうか。――つーか、おたくは本当は分かってんじゃないの?」


 

 

 俺が敵だって。


 目の前の奴はそう言った。


 僕は腰に手を回す。ナイフを探る手つき。無意識な動き。猛獣や魔物と対したときに必ず行う体に染みついた動き。獣や魔物なら楽だったと、思わざるを得ない。なんせ対人経験殆どと言って良いほど僕にはなく、そして――


「へえ、思ってたより一般人だったけど、思ってたより一般人じゃないなあんた。ヤバいのを引き連れている奴がいるのがわかったからもっとやばいであろう引き連れている本体を狙ってみたけど、予想外だわ」


 思考を中断するかのような発言。いや、しているんだろうな。

 恐らく向こうのタイプは――


「魔法遣い、キャスター、ソーサラー」


「呼び方なんざどうでもいいね。八割方あたりだよ、残りの二割は当たんねえだろうけどよ」


「……軍人か」


「おお、すげえ。よくあてるね。会話でばれたかな。いや、確信が持てるようなことは喋ってないけど」


「所属、一般人、そしてほのかに他に行動している奴がいるような素振り、あとは経験則」


「ふうん。俺はよく軍人らしくないって言われんだけどなあ」


「魔法遣いはもともと軍人らしくはないだろ。……偏見かな」


「うにゃ、俺もそう思うよ。ま、俺も異端とか変人とかって呼ばれている方だけどさ。――それにしてもここまで何もしてこないところを見るにあんた戦い方分かってるな?」


「さてね。作法や礼儀を僕はよく教わらなかったからまずは頭を下げるのか握手からするのか戸惑っているだけかもよ」


「……すげえよ、一般人らしいのに全くそう思えねえ。割と真面目にあんたがヤバい奴に見えてきた。おっかねえよ、あんた。俺の上司みてえだ」


 コイツ僕の姉によく似ているなとは言わない方がいいと思ったので言わないことにした。

 トラウマを思い出す。


 で、僕はそのあたりで真横に跳んだ。

 地面に違和感を感じたからだ。


 僕がさっきまで立っていた場所から緑色の棘が生えていた。

 それも人を串刺しにするのには丁度いいくらいのサイズの大きさのものが。

 串刺し公かな。


「……ま、そりゃ避けるよな」


「なんだろ、精霊系ではないってのは分かるけど……」


「おいおい、珍しいもの知ってんな。んなもん知ってるのは学者の極一部だと思ってたんだけどよ」


「何だ、君は学者なのか?」


「うにゃ、外れ。研究はしてたことはあるから広い意味では学者だけど、それは趣味みてーなもんだ。……つーか、もしかしなくても思考誘導してるのか、お前」


 少しだけ。バレているとは思ってたけど。


「別に興味本位だよ」


「自分のことを全く喋らないと流石に怪しまれるってな――とまで言う必要もねーか、分かってそうだし」


「僕は一般人でたまたまあそこにいただけだ、と言って見逃してもらえる?」


「たまたまだろうと何だろうと、あそこにあんなヤバい奴連れている時点で見逃したくねえよ。ことと場合によっては俺の首が飛ぶ。空中で三回転はする」


 物理的にか。そこそこの地位かな? 或いは魔法遣いの優遇か。


「精霊でもなく、ましてや単純な草木を生やす魔法でもない。そうなるとこの魔法自体には意味はない。そもそもどうやってこの状況を作り出した、か」


 淵がいない。景色が変わった。

 この二つの状況を作り出したということが一番眼前にいる魔法遣いのヤバいところ。

 推測しろ、推察しろ。

 


 弱いものは頭を動かし続けろ。動揺も混乱も困惑も驚愕も恐怖も心配も配慮もすべて後に回せ。後先考えるのは後でいい。現状を打破し続けなければどうせ死ぬ。


「……小鳥は謳い、翠は萌える」


 詠唱、ではないな。

 詠唱をするのならば口元は見せないし、タイミングもずらす。

 それぐらいは魔術を使うものならば、魔術を使って戦争をしているものならば当たり前に行う。

 そう教わったし、実際に見たこともある。


「……なんだ、これ?」


 四方八方から小鳥の囀りが流れ出し、荒野の大地に雑草が伸びだす。


 攻撃的な魔術ではない。だが、わざわざこの規模の範囲で魔術を行使しなくてもいいはずだ。対人戦の一対一ならば人を一人殺せる程度で十分。先ほどの足元からの奇襲の方がより効率的。

ならば、この魔術を放つ意味がある。攪乱、あるいは何かの準備。若しくは魔術的必要性。


「儀式」


 僕のつぶやきを拾ったのかニヤリとそいつは嗤った。


「気づくよなあ、精霊なんて埃被った知識を持っているような奴ならば流石に知ってるよなあ」


「――だけじゃない、儀式をここで行う理由がある。僕を連れる意味。これはあれかキルサイト、か。……転移魔術? その程度を淵が防げないはずがない、となれば……『異世界創造』」


「……。そよ風吹き、緑は揺れる」


 僕は走り出した。

 凡そ相手のやりたいことが分かったからだ。

 ならばその思惑を邪魔しなければならない。


 魔術を扱う者との戦いは相手が何をするかわかるまでは下手に動いてはいけない。

 可能な限り相手の逆を突き裏をかき、策を狂わせ試みを阻害する。

 

 魔術は万能ではないが、発動さえすれば生物を殺すことぐらい容易にできる。


 即死の魔術はごまんとある、が発動は難しい。

 ただ、邪魔の手順を間違えれば当然こちらが死ぬし、即死の魔術をブラフにして立ち回る奴もいる。

 殺せばなんでもいいというのならばもっと爆破とか病魔とかあるんだが。


 魔術師は形式にこだわる。

 つまるところすごい魔術を使える者ほど格が高い。


 格好つけて勝つ、だからこその魔術師。


 それを邪魔し合い、罠に嵌め、自分の魔術を発動させて殺す。


 だからこそ魔法遣いなんてものは戦争には向かない。だけれども魔法遣いは戦争に参加し浪漫を創り上げるものだ、と師匠が言っていた。

 剣戟交わされる戦争にて悠々と単騎で戦場に降り立ち、杖を振り上げて一撃にて勝利を掴む。

 それこそが魔法遣いであり魔法遣いがわざわざ戦場に赴く理由なのだとか。


 絶対嘘だろうけど。


 一切風の吹かなった荒野に穏やかな風が流れ、繁茂した雑草が揺れる。


 儀式はありふれた魔術の一つだが、目にかかることはまずないと師匠は言っていた。

 本来儀式は目的のための過程であってそれ自体が攻撃になるものではないらしい。

 例えば、魔力の増幅、例えば、運気の向上、例えば、上位存在の召喚。

 発動してしまえば覆すのが難しいのは魔術全体に言えること。

 儀式は特に面倒で効果は強く広いものが多いが戦場で使えるほど簡単ではない。

 やること、条件、そして時間、そのどれもが揃えるのが難しく前線ではとてもとても使えない。

 ただ、発動してしまえば爆破よりも病魔よりも防ぎようのない死の魔術や呪いをかけることができるのが儀式である。


 爆破は石壁の中にでも籠ればいい、病魔は薬を飲めばいい、なら死そのものをどうやって退ける?


 儀式は発動させてはいけない。

 止めるのは簡単、発動する前に本人を殺してしまえばいい。


「やべえな、恐ろしい。よくわからなくても仕組みを理解しちまう。そういう相手は苦手なんだよなあ」


 僕のナイフが届くまであと五歩。

 僕はそこでぶっ倒れた。


「……雲が走り、緑が騒ぐ」


 突風が吹きすさび、緑の騒めきで音が拾えなくなる。

 だが、そんなことはどうでもいいほどに頭が痛かった。

 なんだこれ、何かが流れ込んできやがる。

 悲鳴のような慟哭のような、気持ち悪い何か。

 精神攻撃? テレパス? 呪い除けが発動した様子がない。ならば呪いではない。

 それ以上に僕の動作を強制的に止めさせてくるこの衝動。

 自発的であるため逆らいようがなく為す術がない。


「瞼には、涙あ――」


「負けました、降参します」


 僕はこれ以上無理だと悟り、両手を挙げた。

 倒れ伏したままで。


「僕はあなたに抵抗しない、誓約をかけてもいい」

 

 誓約。口では何でも言える人間でも書状に書くと法の効力によってせねばならなくなる(法治国家に対して反抗的な人を除く)。魔術師とか魔法遣いとか、そういった者たちの誓約は意味合いが変わり、単純で短絡的で即応するものになる。誓約を魔法遣いが交わした時点で期間が過ぎるか効力を解除する条件を満たさなければ誓約をたがえた瞬間に相応の罰か或いは分かり易く死が訪れる。死刑宣告される前の時間の短縮と思えば理に関っている様な気がするが、本人の意思にかかわらず、行動の善悪を無視して罰をかすという時点で倫理とか悪用されるとか問題ばかりだが、魔術師とかの間では重宝される。魔術師の間では正当性とか倫理に反しているかなんてことは基本気にしないのだ。大切なのは制約に違反した時点での罰を与えられるかもっと言えば公式なる取引をできるか、それの方が重要である。魔術の行使やそれに伴う犠牲に於いてどう処理するか。結局、魔術師は自分の利益ばかり追い求めるため目の前の怨恨を断ち切れる方を優先するので誓約が一時期流行ったのである。


「……涙あふれる」


 頭の中で慟哭が響く。悲しくもないのに悲しみが溢れ涙が止まらなくなる。

 言葉の途中で止められる儀式ではないようだ。


「――今、僕を殺すと君は淵に必ず殺される」


 ただ、儀式を完成させようとさせまいと僕が今やれることは限られている。恐らくこの儀式の効力は完成した時点で対象者に対して即死の効果を与えるか、それ相応のマイナス効果を与える者だろう。


「淵にとって僕は枷だ。君がどうやってこの別世界を生成したのかは分からないけど、君がずっとこの世界に籠るつもりがないのならば僕を殺すのは最後にした方がいい。僕を殺した相手をかならず淵は殺す。魂の欠片を残すことなく来世など許すこともなく、生きていたという事実さえなかったことにして殺す。もし、君が自殺をしたいならば僕を殺した方がいい。けど、生き残りたいという意思が少しでもあるならば僕を殺さない方がいい」


 説得モード。確率は四割。八割言っていることが出鱈目だからだ。

 まあ、出鱈目だからって嘘ではない。結局のところ僕は淵が何をしているかなんてわからないのだから、何となくの妄想で淵がしそうなことを考えると僕を殺した相手の復讐はいの一番に行うだろう、と根拠もなく考えただけだ。そして淵が全力で復讐を始めればそれを止めることなんてできないないのだ。


「だから、どうした。殺したことがばれなければ――」


「ばれないって、本気で思ってる? 僕は十秒も隠し通せないと思うよ」


 場合によってはもう、今この場所を突き止めていて、世界を渡る方法を模索しているのかもしれない。


「世界を渡れると? 本気でお前は信じているのか?」





「信じているも何もねえ――」


 実際に追いかけれた身としては、世界を買えたぐらいじゃあ淵からは逃れられないと僕は断言できる。


「――淵にできないことはないから」

 

 結局、僕が言えるのはただそれだけであった。

 

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