第6話 大きくもない枯木の下のフェアリーテイル

 月光が導く大樹の下、僕は淵とともに野営をしていた。静寂が包む辺りはまさに一寸先は闇と称せるほどに暗く足元すら覚束ないほどである。


 位置関係を示すならばここは僕が追放された集落から北東に当たる、森と北の平原の境目当たりの場所で一キロくらい歩くと平原へ出る。森のみに住んでいる魔物と平原にも出現する魔物が半々くらいで出現する、ワンダの兵士の気分転換の場所である。森の外に出るのは村の長と大戦士一人以上の許可が必要なため一般的な戦士は平原の魔物や平原から流れてくる獣をこのあたりで待ち構えて狩ることになる。偶に人間もやってきて狩られている。男なら万に一つ生き残れるんだけど女は即死である。ワンダの戦士を振り切って生き残れるような猛者はまた別の意味でヤバいけどその末路は割愛。どちらにせよ集落に外来人がいないという時点でワンダの閉鎖的社会状況は推して図られるべきではあるが。原住民が外来人に容赦しないのは前世でもよくあることである。文明の差によって外来人が勝つことが殆どではあるが文明の差を覆すヤベー奴がいると外来人は負けるのである。ワンダとかね。


 夜目は効く方ではないため周りは何も見えない。そうでなくとも夜は出歩くことを控えるべきであるため大樹の下で火も焚かずに静かに寝ころんでいた。温暖で湿潤な気候が一年中続くこの森では上着や毛布などの必要はない。ただこの森の夜特有のひんやりとした気配が常に漂っており体感では涼しいくらいである。


『何故、野営をするのですか? ――いえ、それよりも何故夜の間に平原へと出てしまわないのですか?』


 もっともな質問を淵が聞いてくる。

 淵がいるならば夜だろうが獣がいようが確かに障害にはならない。


「夜は基本的には出歩かない方がいいんだ、この世界ではね」


 僕はそう教わった、姉たちもそう教わり妹もたちも同じく、母さんも恐らくそう教わったのだろう。


「夜は彼らが見ている。僕ら昼の生き物は静かに眠るべきなんだ。淵ならばもう感じ取れているだろう?」


『|あれ≪・・≫のことですか?』


 淵が僕の横に佇んで指をさす。僕はそれを半ば瞼を閉じた目で追う。ぼんやりとした視界に映るのは暗闇のみ、もしくは暗闇でも光る獣の目がこちらを窺うように茂みを出たり入ったりしている。しかし淵が指をさすのは見当はずれな明後日の方向。宙を彷徨う指先は何もないように見える。


 淵には恐らくはっきりと姿かたちが見えているのだろう。


 僕にはそこにはただくらやみが映っているようにしか見えないが。

 ただ、見えなくとも気配は分かる。これは別にワンダの種族が五感が鋭敏であるからというわけではない。生きとし生けるものは全てその存在を認知する。形容はしがたい。なんせ地球にはない何かなのだから。それでも近しいものを挙げるとするのならばそれは太陽に近い。見なくとも見えなくともあることは分かり存在を感じる。


右目には相変わらず暗闇しかないが、眠気が混じり始めた左の眼は朧気ながらも見えないはずのなにかを写し始める。

爛々と輝く月ノ輪のようでそうではない。


それはもっと恐ろしく禍々しい。



『……魔物とやらの瞳ですか?』


「淵にはどう見えているのか僕にはわからないけど、僕には無数の巨大な眼球が暗闇の中から僕らを監視しているように思えるよ」


『……見えているのですか?』


「いいや、でもわかる。分からされている、というべきかな?」


覗く瞳の持ち主は如何なる姿をしているのかは僕にはわからない。


けどかなわない、関わるべきではない、大人しく彼らが消え去るの待つのがマシだと少し賢ければ思い至る。


ワンダの大戦士をしてなお戦意を抱かせない何か。ならば僕のような弱い生き物はなにもしないでいた方がいいに決まっている。怯えるように縮こまるように居なくなるのを待つ。それはつまるところ睡眠であり夜を耐えるということだった。


「淵にとっては退屈かもしれないけど。この世界の夜は過ぎるのを待つものなんだ」


そいつらがいる。

だから人は眠るのだ。



「淵、眠くなってきたから膝枕してくれ。あと誰かが来たら起こしてくれ」


『……誰か、とは?』

 

「さあ?」


来なかったら寝過ごすことになりそうだなと思いながら僕は瞼を閉じた。僕は淵に守られながら久しぶりに安眠を貪った。


朝が来なければいいと、密かに思った。



◆ ◆ ◆


『ーーおはようございます、我が主。よく眠れましたか?』


「おはよう、今は何時だい?」


『日の出から二時間と四十七分二十七秒が経過しております。凡そ九時前後かと』


「日の出と共に起こしてくれてよかったのに。誰も来なかったのかい?」


『来訪者おりましたが、起こすに値しないと判断しました』


「淵が言うのならば、そうなんだろ。で、誰が来たの?」


「やあ、よく寝たね。――それでいったいどうしたんだい?」


「君か……怪物さん」


『――排除しますか?』


「いんや、寧ろこれ以上ないほど丁寧かつ上品にもてなしてくれ。なんせその子は前世で言うところの――神様だからね」


◆ ◆ ◆


「――ほう、それはこのボクを差し置いてそこの気味の悪い雌と組んだって事かい?」


 仮面を被った大きな人型が僕の目と鼻の先に顔を近づけて喋る。

 白い装束のような衣を纏う姿はワンダの衣装(ワンダの衣服は毛皮が一般的である。場合によっては全裸)とは明らかに違う。言ってしまえば和風。場違い感が半端ないが眼鏡ツインテールメイド秘書というわけのわからないレベルの場違いが僕の隣にいるため突っ込みを入れるのは自粛する。


『差し置かれるのも当然では? そのような猩≪ましら≫のような見た目は我が主の性癖には刺さりませんから』


「刺さらないことはないけど、落ち着いている見た目の方が好きかな」


『でしたらツインテールではない方がよろしいのでは?』


「メイドツインテが見てみたくて」


 つい。


「見た目の問題でこのボクは君に捨てられた、というわけかい? これは酷い、十年も尽くしたというのにいらなくなったらポイか」


 気丈そうでからかっているような口ぶりにでありながらわずかに声が上擦っている。

 泣き声に近い。

 しかしそれを慮るのもまた傷つけてしまいそうで憚られる。


「見た目なんてどうでもいい、これは信頼の問題だ。簡単に言えば、僕は君に信頼を置けていない。とてもじゃないけど僕の体を君に明け渡そうなんて思えない」


「何もその身全てをボクに捧げろと言っているわけじゃない。幾分か生気を吸わせてくれればいい。そちらにとっても悪い取引ではないだろう?」


「うん。寧ろそこまで破格の条件で協力してくれることに感謝はしてる。僕に相応しくないほど譲歩してもらっているのも理解している。だけど違うんだ。僕が求めているものは利害の一致による関係じゃない。そんな浅い関係で契約したいとは思わない」


利害の一致は人間らしいが浅く浅ましい。

安っぽくてチープで人間同士ならそれでいいのかもしれない。短い一生の数ある契約なのならば。僕が高校に通っていたときなんてそんな稀薄な関係で繋がっている奴ばかりだった。僕もまた否応なくそういった関係を結ばれたけれども。


「……それはボクの誠意が足りないってことかい。だから君はボクを信用できず、契約できないと。そういうことかい?」


「いいや。誠意は伝わる。けど信用ではなくて信頼の問題。利害の一致はどちらかに被る不利益が傾いたらそれで破綻してしまう。とてもじゃないけど危うすぎる」


「損したくらいじゃ君を裏切ったりしないよ、ボクは」


「だろうね。だけれども僕が損しても僕は君を裏切れない。これは単純に僕が弱いから。君ほどの存在になってくるとちょっとやそっと小狡い真似をしたところで潰されるのがオチだ」


能力だけで言えば淵とくらべても遜色ない。ムラはあるし経験も少ないが淵と同等に近い動きを期待できる。


 だからこそ信頼が重要だった。


 対等な関係でもなく、人種どころか生物としての種類が違い、こちらは蚊トンボで向こうはドラゴン並みの力量差がある。


 ここから信頼を置くというのはなかなかに難しい。


「……たとえ、たとえ君がボクを裏切ろうともボクは君を裏切らない」


 泣きそうな声で言う。

 泣かせている理由が僕にあると思うと僕は少しだけ辛くなる。

 だけれども僕は言葉を止める気はなかった。


「誠意だけじゃ信頼しきれない、利害の一致もまたそう。心から信頼をするっていうのは心を差し出すのと何ら変わりない。だから例えば、お互いの全てを差し出す契約ができれば、そこにどんな隔たりがあろうと対等な契約ができる」


 願いをかなえる代わりに貴様の魂を寄こせ。

 ありふれた悪魔の契約。

 しかしこれは悪魔は全力で願いを叶え、契約者は必ず魂を差し出すという絶対の契約。

 伝承によって様々だけれども、願いを叶えられない悪魔は酷い目に遭ったりもする。


『……契約を結ばれるのですか?』


「うん、まあね。淵より使えなかったらお断りしていたけど、淵程度には強いし。何より悪くないかな、と思ってね」


 本来ならば、この怪物とは憑かず離れずの関係を続けていこうかなと、僕は考えていた。

 多分、暫くはそうなると互いに互いが思っていたと思う。

 でも、僕は淵と再会し、そして今やワンダから追われる身となった。

 広く狭い森の中でまったりゆったりとしたスローライフは気が付けばなくなっていたのだ。


 僕は少しだけ高揚していた。


 前世では何もできずに終わった。


 親元を離れることになるであろう高校卒業を機に僕は色々と人生を楽しもうと画策していいた。


 けれど、僕は死んだ。

 別に後悔はない。何かやっておきたかったことがあったわけでもない。

 将来への展望もどうせふわふわとしたものだったわけで。

 夢物語であり、ある意味では真剣に考えてすらいなかった。


 前世は駄目だった。

 行動が遅かったし、何よりも縛りが多すぎた。

 

 だから今行動する。ワンダとの柵はもう断ち切ったといってもいいだろう。向こうは追う身、こちらは追われる身。親も姉も妹も、師匠や上司も誰も僕に期待も信頼もしていない。


 なら、僕は自由である。


 そして僕のもとへと淵は駆けつけてきてくれた。


 これは続きである。

 何もなかった昔の続き。

 

 荒唐無稽なお伽噺。


 僕はちょっぴり口元が緩んだ。


『――っ!! 我が主……』


「うん? どうかした?」


『いえ……なんでもございません』


「そう。ああ、そうだ忘れる前にやっとかなきゃ」


 僕は仮面の怪物さんに向かってこう言った。


「君はなんて名前なんだい?」



 怪物さんはそれを聞いて少し固まった。

 そして答える。


「“ナマエ”とは何だい?」


 首を傾げながら言った。


 ふむ。

 また名前付けか。


 妖精小話も名前がなければ始まらない。


 しかしまあ、名前を付けるのも楽なことじゃないんだけどなあ、と心の中でぼやき僕は周りを見渡す。










 大きくもない枯れ木の下に僕と淵と名無しの怪物、そして何かを期待する眼差しに囲まれながら僕は頬を掻く。


 異世界生活も悪くないのかもしれないと僕はこの瞬間ちょっとだけ思った。

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