幕間 たとえ世界を敵に回しても

 グレイの一族の長男でありローズマリア・グレイである私の男の妹(弟)、クロハ・グレイはワンダの部族でありながら例を見ない男児として生まれた。生まれた当初は誰一人として話題にしなかった。私は初めての妹ができたことを純粋に喜びマリー姉さんは『これは可愛いショタになる』などとよくわからないことを言っていたし母さんはクロハが一人で歩けるようになるまでの二年ほどを片時も離れずに可愛がっていた。正直母さんには引いた。それはともかくとして最初の三か月間ほどは穏やかな日々が続いた。部族の皆も祝福してくれたし大きな問題も起こらなった。

 急性の腰痛によって自宅待機を余儀なくされていた大婆様(推定二百五十歳)が復帰し三か月遅れの母へ出産のお祝いに訪れたときにそれは発覚した。


『ん、コイツ男じゃん』


 私は生まれて初めて見た男が自分の妹(弟)だった。大婆様のおかげで皆が漸く私の妹(弟)が男だと気が付いた。

 男を知っているはずの母様に黙っていたのかと尋ねてみた。

『ワンダでも男が生まれることはあるだろ?』

 母さんは男と気が付いたうえで特に気にしていなかったらしい。母さんらしいができれば妹(弟)は男だと生まれた直後には皆に言って欲しかった。

 大婆様の言うことにはワンダにおいて男が生まれることは前例を見ないことらしい。私も男が生まれたという話は聞いたことがない。ワンダの女性が男に出会うには森の外に出て狩ってくるしかなく、狩ってきた者にその男を自由に扱う権利が与えられ基本的に森の外に出ない限り男を見ることはない。ある一定の年齢になると強さとともに男を体が求めるようになるらしく(発情期)勝手に森を出て勝手に男を狩って勝手に子供を産むらしい。母さんはつまるとこ三人もの男を狩ったことになる。後に生まれてくる妹たちを合わせて五人もの男を狩ったのは大婆様曰く『オレが見てきた中でも三本の指に入るぐらい男を捕まえている』とのこと。やっぱり母さんはおかしい(頭が)。

 妹(弟)が男だと分かると皆がこぞって集まってきた。何かにつけては可愛がりいろんな知恵やら技術やらを幼いころから教え始めた。まだ言葉を知らない幼児だというのにも関わらず、だ。当時の出来事をクロハに聞いても何も覚えていないらしい。当たり前である。クロハが生まれて三歳程度になるまではそのようにして皆が注目し皆がクロハに付きまとった。

 三歳になったクロハは母さんから戦士としての手ほどきを教えられ始めた。三歳という年で始めるにはあまりに過酷な内容ではあったが、私もマリー姉さんも通り悉く挫折した道である。母さんは子供を三人も生んでいるのに教育がポンコツであった。ちなみにクロハの後に生まれた妹たちにも同様の手ほどきを行い失敗している。やっぱり母さんは駄目な母である。

 しかしまあ、クロハに限った話であるのならばクロハは挫折などしなかった。寧ろ折れたの母さんの方である。

『全く才能がない』

 クロハは教えたことを十全に理解はしているようだった。しかし一つとしてこなすことができなかったのだ。

 頭の出来は良い方なのだろう。母さんよりも母さんが教えたことを詳しく説明できた。

 ただ実践できなかった。

 才能がないだけでなく貧弱でもあった。

 筋力がなく持久力もなくすぐに熱を出した。

 母さんは困り果てたがクロハが諦めない限り教え続けると言って教え続け、結果として母さんの方が先に諦めた。

『これ以上やってもクロハが傷つくだけだ』と言ってそれ以来教えることを辞めた。


 匙を投げた母さんは『頭はいいのだからきっと魔法が使えるはずだ』と大婆様にクロハを預けることにした。大婆様は昔(二百年以上前)女帝の座についたこともある豪傑であり戦士を退いた後は魔法遣いとして魔法の使い方を若者に教えている。今では戦士としての力を振るうことはなくなったが母さんが語るには凄まじい戦士だったらしい。


 大婆様の話は母さんからよくよく聞かされているので語ればそれだけで一晩中語り尽くしても終わらないような長話になってしまうため割愛するが、聞くところによれば師としても優秀な方らしく私はクロハがまともな師に当たれることに安堵を覚えた。

 私達のような頭の出来の悪い姉妹と違ってクロハは物覚えが良く利口である。獲物の待ち伏せの仕方、痕跡を辿る追跡の方法、薬草の見分け方、保存食のつくり方、調理の仕方、道具の手入れの方法。頭の悪い私は覚えるのに一年かかり、マリー姉さんは『面倒だからやらない』と投げ出したこれらの所作を僅か一月で習得しときに、知らないことを尋ねて母さんを困らせるほどだった。


 魔法を習いだしたクロハは更に膨大な知識を習得した。大婆様もその呑み込みの早さに驚いたようで『まるで大地が雨を受けるがごとく』とクロハを表した。心なしかクロハも狩りに出ているときや母さんに教育されているときよりも楽しそうだった気がする。


 しかし、クロハは大婆様から教わった魔法を何一つ使うことができなかった。


『正しい知識の元正しいやり方で間違うことなく魔法を発動させている。だから厳密にいえば魔法は成功しているが、その規模があまりにも小さく変化に気が付かないほどだ。有体に言えば魔力が足りていない。魔法を現象として目に見える形で引き起こすほどの魔力がコイツにはない』


 結果、大婆様も匙を投げた。

 魔法についてはクロハに期待をすることは無くなり、代わりとして薬師としての技術や知識を重点的に教え込むようになった。


 魔法が使えないことを大婆様に宣告された夜、クロハは寂しげに三つの月を眺めていた。

 膝を抱えてぼんやりと夜空を眺める様子は何処か儚げで消えてしまいそうにも思えた。


 地面を指でつついては再び夜空を見上げる姿を見て少し可愛いなと思った。

 キュンとした。


 後ろから抱き着こうとしたらマリー姉さんに先を越された。

 マリー姉さんは戦わないだけで母さんともまともにやり合える実力者であることを私は知っている。更にクロハに次いで家族の中で頭が切れるため軽くあしらわれてしまうことを私は思い知らされているのでその場を引くことにした。

 マリー姉さんはクロハに頬ずりをしているのを見て私もいつかは、と期待を胸に抱いた。


 ――そのいつかは現在までおとずれていない。



 クロハが魔法を使えないという話は次第に広まっていった。

 大戦士である母さんが才能がないと言い放ったことも併せて広まった。


 大戦士と魔法遣いが見放した男児。

 見た目も弱弱しく気弱な表情や発言をいつもするためそれをよく罵られ蔑まれていた。

 基本的に寡黙で大人しい私の妹(弟)らしい妹(弟)だが、その力のなさは私の家族とは似ても似つかないほど。

 その弱さだけは擁護できない。 

 

 クロハは弱い。

 幼子にも老人にもかなわないほどに弱い。

 狩りもできない。

 精々囮か荷物持ちになることしかできない。

 魔法も使えない。

 魔力がないから真っ当に火も起こせない。


 使えないと言われ始めるのに時間はかからなかった。

 同時に強くもない男児を置いておく必要があるのかと疑問が湧き立つようになった。


 最初は戦士の誰かがこぼした言葉なのだろう。

 誰かがその言葉を拾った。

 また誰かがその言葉を呟き、また拾う。


 気が付けば集落の半数近くの人がクロハを排斥すべきという意見に賛同していた。


 クロハが弱いこと以外にも幾つかの事情がある。

 それはクロハが成長するにつれだんだんと男らしい体つきに育っていっていることだ。

 筋肉のつき方、胸板、顔つき、少年であるクロハはしかしながら私達女とは違う逞しい体つきに成長しつつあった。


 だからこそ余計にその弱さが目につき、弱い男など置いておく必要はないという意見が生まれ始めた。


 そして――


『男児は厄災を齎す。この集落から追放せよ』


 集落の長である一人の大戦士の宣告がなされた。

 ワンダの一族は厄災など恐れるような軟弱な者はいない。つまるところ建前で弱い男児を集落に置いておくことに耐えられなかった者たちが賛同した結果なのだろう。


 当然私は反対した。母さんもまだ幼いクロハの下の妹たちも大婆様も猛抗議した。特に恐ろしかったのはマリー姉さんだった。


 荒れに荒れたマリー姉さんは抗議が通らないと分かるや否や、排斥に賛同した戦士たちを片っ端から叩き潰していった。いつも余裕ぶった顔をしているマリー姉さんから想像ができない憤怒の形相を浮かべ、格下だろうが格上だろうが容赦なく血祭りにあげていき、排斥に賛同したものの半数が沈んだところで母さんが止めに入り、両者とも大けがをして暫く狩りに行くものが十人に満たないという惨事となった。


 クロハの追放が覆ることはなく、十歳の戦士の儀式を受ける年になって集落から追い出された。

 同時にマリー姉さんも姿を消した。


 マリー姉さんはどうでもいいが、クロハがいなくなってから我が家は寂しくなった。

 母さんは目に見えて落ち込んでいたし、妹たちもいつもの明るさが消えていた。


 クロハが追放されて以来、私は狩りの際に寄り道をしてクロハのことを探すようになった。

 クロハと狩りに出たときよく通った獣道、休憩に使った大木、帰り道に寄っていた川辺。しかしながらクロハの姿はおろか痕跡すら見つけることはできなかった。


 それから私は日々クロハを探し続ける毎日を過ごした。

 もしかしたら明け方になればひょっこりと帰ってくるのではないかと。

 一年経ち、二年経ち、色褪せた毎日を過ごすうちに気が付けば私は大戦士となっていた。

 クロハは見つからない。


 クロハはいつの間にか死んだ者扱いされるようになっていた。

 母さんは昔よりまして無口になった。

 大婆様は弟子を取ることを止めた。

 妹たちは明るさを取り戻したが、クロハが教えていた魔法の鍛錬をしなくなった。

 

 マリー姉さんも結局一度足りとて姿を見せていない。


 森で命を落とすのはよくあることだ。

 熟練の戦士でも帰ってこないことはある。

 一切の音沙汰も発見の報告もないのであれば誰もが死んだと思い話題にすらしなくなった。

 

 集落に男児が生まれたことは無かったことになっていた。誰もが皆忘れていることさえ忘れた。


 私は私だけは忘れなかった。無かったことにしなかった。

 私はずっと探し続けた。

 時間があれば狩りに出掛け、クロハの跡を探した。

 五感すべてを使い、鍛練の時間すら惜しんで探し続けた。


 クロハ見つからなかった。

 狩りの腕前は母さんをも越えて集落一となった。長からも一目置かれるようになった。

 クロハは見つからなかった、がクロハが生きているという確信を持つようになり始めた。集落から全方位を探索して回ったが足跡一つ見つけられないことを不審に思った。隣の集落の者の話を聞いたりしてもクロハらしき人物を見たものはいないと言う。では獣のエサになったか。いや、それならば多少なりとも遺留品が見つかるものだがそれすらない。


 おかしい。

 追放された次の日には探し始めているというのにもかかわらず、ここまで何も見つからないことを私は三年近く経って漸く気が付いた。そして私はクロハが生きているという確信を持ち始めた。


 クロハの姿、痕跡が見つからないのはこの森に既にいないか、或いは完璧にいることを隠しているかのどちらかとなる。

 この森を出ているのならばクロハでも生きているだろう。母さんの話ではこの森の外の方が危険な生物が少なく安全らしい。

 この森の中で隠れているのならば恐らくだが大婆様から教わった魔法を使い痕跡を隠蔽し、拠点に近づけぬよう人払いをしているのだろうと私は考えた。クロハは魔法を殆ど使えないが精霊や妖精に呼び掛けることで魔法に似た効果は発揮することができると、クロハ自身が大婆様に教わったことを語っていた。後に大婆様に尋ねたところ確かにクロハは精霊に呼び掛けることは得意だったらしい。精霊自体は人の集落に住み着かないという性質があり、集落で見かけることはないが、森のなかならば私でもたまに見かけることがあるくらいにはよくいる存在だ。クロハはこれを使って隠れていると私は思い至った。


 そして私が探しかたを変え、精霊がいた痕跡を探し始め、クロハらしき者の跡を見つけた日と同じくして、クロハが集落を訪れたとの騒ぎを聞いた。


 私は集落中を駆け回り、姿を見たものから話を片っ端から聞いていった。不運なことに私が話を聞いたときには既にクロハは去って行った後だったが、私はクロハが去った方角を追い隈無く探し回った。


 結果としてクロハは見つからなかったが多くの精霊の痕跡や妖精がやけに木の上で囁きあっているのを見受けた。


 もう一歩で見つけられると直感した私は大婆様の元へ向かい協力を仰いだ。

 最初から大婆様に頼ればよかった気もするが、クロハと違い利口ではない私はそこまで来て漸く思い付いたのだ。


『アンタは本当にクロハを見つけることがアイツの幸せになると思っているのかい?』


 大婆様は私に冷ややかに言った。


 クロハが身を隠しているのは見つけられたくないから、家族の元へ報告すらしなかったのは会いたくないからだ。

 大婆様はそんな意味のことを遠回しに言った。


 そんな大婆様に私は告げた。


「クロハが帰りたくないのならば、私も共にこの集落を去る。なぜならば私はクロハ・グレイの姉だからだ」


 大婆様は私のことを眩しそうなものを見る瞳で見つめて、協力することを約束した。


 その次の日、女帝が集落にやって来た。


 女帝は何故かクロハのことを知っていた。


 私たち戦士はクロハを見つけたら女帝の元へ連れてくるようにと命令を受けた。


 私はその翌日の早朝まだ暗い時間にふとクロハが近くに来ているような気がして集落を出た。


 戦士としての勘か、本能か。


 ここで出会わなければ二度と会えない気がした。


 人気のない川辺。


 いつも使うところよりも上流。


 そういえば昔、クロハと二人きりでこの場所に来た覚えがある。


 忘れていた。

 忘れていることさえ忘れていた。


 そして暫くして人の気配が近づいてきたのが分かった。


 懐かしい気配だった。


 私は何故か泣きそうになるのをこらえて出迎えた。


 いっぱい喋りたいことがあるはずなのに言葉にでなかった。いつもよりも無口で静かなまま、私はクロハを連れて帰った。












 今思えばクロハと一緒に逃げればよかったと思う。


 あのときクロハを逃がしたくないという思いでクロハ連れていった。私は臆病で馬鹿だった。





 クロハは再びいなくなった。


 何が起きたのかは私にはよく分からなかった。


 ただ何をするべきかは私にしては十全に理解した。



 私はクロハを誰よりも早く追いかけた。



 女帝も長も母さんも知らない。



 私はもうやることを決めたのだ。



 邪魔をするなら薙ぎ倒す。


 かかってこい。



 私はクロハと一緒に逃げてやる。

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