第3話 無為無銘の悪魔 

 悪魔は名前が付けれている者ほど強い。

 

 ただ、名前が消し去られた悪魔はさらに強い。


 真名無き悪魔を葬る手段を人間は持たないからだ。


 ◆ ◆ ◆


「クロハを連れてまいりました」


 針の筵というべきか。

 ヤーさんの本拠地の中に一人連れ込まれた敵対勢力の伝令役みたいな状況だった。

 恐ろしいのはメンチを切ってくるワンダの戦士たちが別に敵意を持っている目線を向けてくるのではなく肉食動物が草食動物に向ける捕食的な意味での目線だと言うことだ。

 性的な意味はない。

 

 殺意よりも純粋な戦意的な害意。

 この場にいるワンダの戦士殆どとは五年ぶりに会うものばかりである。

 十歳から十五歳になった今、僕の背丈は二次成長期を経て大分伸びたし、集落にいたころよりも安定して食事をとっていたことにより肉付きもよくなっている。細マッチョな体形である。シックスパックとか前世の僕からは想像もつかなかったが、やろうと思えばできるもんなんだな。

 つまるところ一見すると強そうに見えるのである。

 まあ弱くはなっていないので前よりは強くはなってるよそりゃね。前世の人たちと比べれば格闘家並みのフィジカルはある。

 だけども別に魔力は増えてないし相も変わらず幼女老婆に負けるだろうと容易に想定できる。


 でも外見強そうなやつに挑むのはワンダの性であり、しかも男であることが彼女たちの好奇心を強く煽る。

 見掛け倒しもよいところな僕に挑んだところで肩透かしを食らうだけだろうにと思うが。


「ご苦労であった、大戦士ローズマリア。そしてよく来たな大戦士クレマチスの三番目の子にして大戦士ローズマリアの男の妹であるクロハ・グレイ」


 高圧的な声。一言一言が威圧的に聞こえる。若めな声だが重みはある。魔法でも使ってるのかな、と邪推はしないでおくか。

 ワンダの戦士たちが坐するさらに奥。一つある大きな椅子。そこに一人の女性が座る。

 本来ならば集落の長しか座れないそこに座りその長が床に坐しているのを見れば誰もが勘付く。

 金髪褐色肌の典型的なアマゾネスの容姿であるが背丈は低く少女体形。しかしまあみるモノを威圧する何かを放っているので恐らく魔力が段違いで高いのだろう。魔力バカといったところか。

 魔力バカと侮れるならば侮れるけど、魔力さえあれば岩も砕けるのがこの世界だ。寒気しか感じない。


 男の妹ってのはワンダの部族には弟って概念がないから。

 兄って概念もない。

 

「初めまして帝(女帝)。僕は大戦士クレマチスの三番目の子にして大戦士ローズマリアの妹、集落を追放されたただのクロハ・グレイです」


 礼儀とかはないし、敬語的概念もない。態度で示せばなんでもいいので跪いておけばよし。

 敵意を示さない相手に攻撃する部族ではない。


『……愛しています。愛しています。我が主』


 ずっと頭に響く声もいい加減煩わしい。少し静かにしててくれないかな? 空気読んでよ。後でいっぱい構ってあげるからさあ。


 いったい誰なんだろうか、この声は。亡霊にでも取りつかれたのだろうか。思い当たる節がなく首を傾げたくなるがそんな場面状況ではない。

 全くTPO(Time Place Opportunity)を考えてよと言いたくなるが、姿かたちも見えない声だけの相手に果たして言って効果があるのか疑問ではある。


 外的要因の女帝(とワンダの戦士たち)、内的要因の謎の声で内憂外患な僕はストレスフルでいっぱいいっぱいだった。禿げそう、また髪の話してる。神はいない。


 そんな僕の様子を見て女帝は少し興味深そうに言う。


「ほう? 男というからもっと野蛮な奴かと思っていたが――」


 どの口が言う。


「意外にも分を弁えているではないか」


 死にたくないからね。

 

「このまえ外で捕まえた男は弱いくせに反抗的なものだったから痛めつけては見たが、あれは駄目だ魔力も技もなければ心も弱い。恰好だけは一丁前だが言うことに実力がともなっていない。あんなものは吾輩には相応しくない」


 当たり前の話だが女性だけじゃ子は作れない。男性というものの精子があってこそ女性は子を生せる。では女性しか生まれないアマゾネスな部族のワンダはどうやって子供を生すのかというと、外部から強そうな男性をひっ捕らえてきて無理矢理孕む。そこに愛情はなく情欲と義務のみがある。 

 戦士は必ず子供を三人は生まなくてならず、大戦士は四人以上、女帝は五人は最低で多い人だと十人以上子供を産んでいる。


「おっと、吾輩としたことが名を名乗らぬという愚を犯してしまうことだった。許せ、其方に会えて気分が高揚していたのだ。吾輩の名はバーネット・デイ・ウォーリア。しかと名を刻むがよい」


 堂々としている。見た目より年を取っているのかもしれない。魔力が多いと若作りできる世界である。美人は大抵魔力が多く強い。ブスが弱いわけでもないけどね。ワンダにはブスっていないけど。不思議。


『……愛しています。誰よりも貴方に愛を』


 声がうるさい。

 

 さてどうするかな。

 仰々しく「有難きお言葉」とか言っておくべきか、無言で頭を下げておくべきか。

 正直面倒な相手だとすぐに分かった。

 うーん、喋っても面倒だし無言を貫いてもそれはそれで何かされそう。


「しかと、胸に刻みます」


 適当に言っておく。

 余計なことは喋らない。

 でも無言でもいない、それくらいでのらりくらりと躱せないだろうか。


「ふむ、顔を上げよ。せっかく其方の顔を見に来たのによく見ないではないか」


「…………。」

 

 僕は黙って顔を上げた。

 そこには喜び一色に染まる女帝の顔がある。

 接近されていた。

 周りの戦士たちがざわついていることから何らかの手段で高速移動したのだろう。

 音もたてずに。

 

 その時点で恐ろしい。

 力の差、技の差、魔力の差。

 圧倒的上位者が目の前にいるという時点で冷やあせが止まらない。


『永遠の愛を、永遠の忠誠を我が主に』


 声もうるさい。

 構ってられるような状況じゃないの、もう。


「ふむふむ、童のような顔つきだがどこか凛々しい。体には目立つ傷はない。まるで処女おぼこ。狩りもこなしたこと無いような子供の様でありながら追放されて五年もの間をたった一人で生きてきたとは不思議じゃのう。聞けば魔力は乏しく幼女老婆にも負ける力で、なおかつ生まれつき片目が見えないそうだの? 隻眼の戦士は吾輩の集落にもいるが皆狩りをするのも苦労していた。だというのに其方は一人で狩りをしているという。軟弱で隻眼で孤独でありながらも生き抜く力は果たしてどこから生まれるのか。不思議じゃのう」


 ニヤリ、と笑いながら僕のことを舐めまわすように見定める女帝。

 はっきり言って居心地が悪い。

 かなり僕に執着しているようで目が爛爛と光っている。


『ああ、我が主。愛しき我が主。御身に愛を、我が愛を』


 うるせー、こっちは今いっぱいいっぱいなの!!


「ふふふ、気に入った!! 其方を吾輩のモノにしてやろう。案ずるでない奴隷などにはせぬ吾輩の所有物となるのだ。吾輩の愛をたっぷりと注いでやろう。厄災と呼ばれるその身を呑み込んでやろう。安心しろ他の男とは違い其方はただ吾輩の傍にいればよい」


 うっひゃー、えまーじぇんしーえまーじぇんしー。

 何だコイツ。

 あっていきなり告白とか頭おかしい。

 いや、これもアマゾネスであるワンダだからなのか?

 ワンダは恋愛よりも情欲が先に出る。

 男がいない分発情が先に来るようで、捕まえられた男はご愁傷様である。

 だからこそ恋愛とは違う何かで相手に惚れる。

 一目ぼれもよくあることのようだと聞いた気がするが。


「…………。」


「――なぁっ!!」


「……させない」


 女帝の言葉の後に殺気が三つ。

 僕から見て女帝が座っていた席の両隣の大戦士二人と僕の背後にいるであろう大戦士一人。

 そういえば、今日は四人目の大戦士はいないようである。

 ま、あれはヤバい奴なのでいない方がいい。

 いると場が荒れる。

 今以上に。


『…………。』


 そして頭の中の声がやんだ。

 これはこれで恐ろしい。

 なんだか身の毛がよだって仕方がない。


 まな板の鯉とはこのことか、あるいは鰐の住む川の中に放り投げられた気分。


 まあでも、返す言葉は決まっている。

 僕は別にもうワンダに対しての恐怖こそあれど尊敬はない。


「――申し訳ないのですが、お断りします」


「……ほう。帝(女帝)である吾輩の言葉を拒否すると?」


「僕はもう追放された身であり、戦士としての儀式も受けていないので、既にワンダの者ではなくワンダの掟に従う理由もありません。ワンダの庇護を得ずとも生きることができ、ワンダとはあくまで隣人として接しています。貴方のモノにされる理由はない」


「ほう、戦士の儀を受けていないとは真か?」


 周囲の戦士が頷く。

 まごうこと無き事実。

 僕はただのクロハ・グレイである。


「成程、そこまで疎まれているとはよりそそるのう――いや可哀想な奴じゃな。しかし確かに吾輩のモノになる理由はないが其方にも利するものはある。今よりはずっと楽な暮らしができる。それに吾輩のような美しく若く強い戦士が付いてくる」


「ごめんなさい、別に今の暮らしで満足していますので問題ないです」


 何不自由なく暮らしているので。

 別に美少女には惹かれ……ない。多分。

 いや眼鏡をかけたメイドさんとかいたらわからないけど。

 秘書でも可。

 

 つーかこの女帝もしかしてヤバい奴(今更)?


『メイド……秘書……眼鏡』


 何に反応しているんですかねえ?



「人に囲まれて暮らすのが嫌、というわけかのう? それとも自分を捨てた一族が嫌か? 若しくは女性が嫌いにでもなったか? 其方の生い立ちを鑑みれば拒絶も分からなくはない、が安心せい。――吾輩は其方を今までよりもずっと幸せにしてやる。一人で暮らすのは寂しかろう?」



 言い切りやがった。

 少し冷や汗が垂れた。

 恐ろしいなこいつの精神構造。

 こうもはっきり断言できる当たり相当な自信家であり、その自信に見合うほどの能力を持ち合わせているのだろう。

 ヒモの誘惑は実は揺れるところはあるのだけども、僕はそれを押さえつけて言う。


「過去はどうでもいい。僕は今ワンダの一族に求めるモノもなければ関心もない。むしろ過去をひき合いにだされる方が迷惑だ。僕は今以上の暮らしはしたいとは思わないし、今以上の幸せもいらない」


 無欲ではない。

 欲は有るけど受け取る気はない。

 寂しくもある。

 愛は欲しいが受け取る気はない。


 追放されたあたりで僕はすっぱりと諦めた。

 それに前世を引き継いで生まれた時点で僕の運命は確定しているようなものなのだから。


「そうか……その目を見るに何を言うても無駄か。ならば仕方がない。確かに其方はワンダとは最早関係のないただのクロハ・グレイじゃ、しかしここはワンダの地。強さこそ全て。力づくで其方を吾輩のモノとしよう!!」


 構えられた右の拳。

 僕はすぐに剣を佩びているとは逆の腰である右腰に手をやる。

 あらかじめこうなることは想定していて断った。

 逃げる準備はしてある。

 問題は初撃をよけれるかどうか。


 女帝の拳が少し揺れる、それだけの動きでいつの間にか目の前に拳が迫っていた。


 あ、これ無理なやつだ。

 速すぎるだろ!!


『我が主に触れるな』


 声が耳に響く。 

 いや声だけじゃない。

 圧倒的なオーラ。

 悍ましい寒気。

 蛆のたかるゴミの山に突っ込んだかのような気持ち悪さ。


 しかし、なんだか、懐かしい。


 目の前に迫っていた拳は目の前で止まる。

 ピタリと音もなく、止められた。


 驚愕、は僕と拳を止められた女帝。

 恐怖は僕を含めてこの場にいる全員。


 女帝の拳を止めたものは誰もいない。 

 誰も僕と女帝の戦いに介入できてなどいない。


 そもそも女帝の拳を止めているのは人などではなく、黒いドロリとした液体のような何か。


 拳を包み込むように軽々しく止めており動く様子がない。


 そして溢れ出る嫌悪感。

 その黒い液体を見つめているだけで吐き気に襲われる。

 周囲の戦士もそうだし手を掴まれている女帝は見るからに嫌そうで虫を払う女子のように腕を動かすがビクともしない。


「な、なんだこれは!? いったい何が――」


『喚くな、鬱陶しい。貴様は我が主に手を挙げようとした。ならば口を閉じ、こうべを垂れ、命を差し出して詫びるものだろう?』


 黒い液体が溢れ出す。

 僕の足元――影から湧き出してくる。

 僕を包み込むように形どり、僕を抱きしめるように姿を現す。


 赤い髪、僕よりも頭一つ高い身長、丸い眼鏡に、黒一色のメイド服。

 

『久しぶりでございます、我が主』


 低い低い女性の声、僕はそれを知っている。

 それは僕にずっと憑いていた悪魔。

 |名無しの悪魔≪ネームレス≫。

 僕が呼び名を付けた、僕の親友。


ふち、なのか」


『はい、我が主萩様。貴方のしもべである、彼岸淵。ここに戻りました』


 その淵が魅せる悪魔のような悪辣な笑みは、慈愛が込められていることを僕だけは知っている。


 僕が淵の笑顔を見たのはこれで三度目だった。

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