幕間 天より悪魔が降り立った
祓い屋の大家にして今世一とも謳われた十三代目都木家当主都木野花。その正当な直系でありながら一切の祓い屋の能力を持たず、生まれた時点で分家へと預けられた三人目の孫、
『我は名もなき悪魔。貴様の祖母との契約により貴様の一生を護衛する』
始まりの言葉はそれだった。
力なき少年と膨大な力を秘めた悪魔の奇妙な生涯が始まった。
◆ ◆ ◆
「名前がない、か。じゃあ僕は君のことを何と呼べばいいのかな?ばあちゃんには何て呼ばれていたの?」
『名前という名前はない。好きに呼べ。貴様の祖母は我のことを名前を付けずに呼んでいた』
「それは符号のような物かい?若しくはテレパスとか何か合図があったとか。まあどちらにしても都合が悪い、何か名前を付けようか。希望はあるかい?」
『好きにしろ、どう呼ばれようと構わぬ。名などただの記号だ』
「そうかい。ふむ、そうだね。どうしたものかな。一つ質問なんだけど君は雌型の悪魔かいそれとも雄型かい?声を聴く限りだと女性っぽいけれど」
『我に性別などない。どちらもになれるし、どちらでもない』
「うーん、じゃあ試しに女性型に化けてくれ。できるだけ人に近い形で。これから護衛をしてもらううえで人に化けてもらうことは多いだろうし、特に理由がない限りでは常時人型になってもらうつもりだしね」
『承った』
「――へえ、成程。結構身長が高くて、髪は赤か。モデルは誰かいるのかい?随分と特異な見た目をしているけれども。」
『貴様の祖母だ』
「ああ……。ああ!?またこれは随分とやんちゃな姿だ。若かりし頃のものかな?確かに目つきはそっくりだけども。髪染めてたのか……」
『いや、貴様の祖母が姿を誤魔化しているときの姿がこれだ。所謂若作りだ』
「作りすぎでしょう……。ばあちゃんはいったい何をしてるのか。見栄を張りたがる人ではあるけどさ」
『あのレベルの術師になると年齢などあってないようなものだ。その気になれば老化を止めることなど容易い』
「ま、あの人死んでも死ななそうだし。噂じゃあ明治生まれなんだろ?いったい幾つで結婚したのか。
『了承した』
「一応主従関係だから二人きりのときは僕のことは主かマスターと呼んでくれ。祓い屋と関係ない第三者がいるときは僕のことは荻か都木と呼んでくれ。あと公的な僕らの関係は君は遠い親戚でこちらに家族が転勤になり親が家を空けることが多いので僕の家に泊まっているという感じで」
『……まだ完全な契約を結んでいないためその呼称は了承しかねる』
「ああ、そうかい。じゃあさっさと結んでしまおうか。僕の魂の譲渡でいいんだっけ?」
◆ ◆ ◆
能力を持たない一般人都木萩とその一般人に名付けられた悪魔彼岸淵の面白くもなければドキドキもせずわくわくもしない、されども不思議なことに退屈のない日々は少年が小学校を卒業し中学校を卒業し高校入学まで続いた。
高校を入学した後の少年と悪魔の日常は少しずつ変化していった。まず友達の少なかった少年は少しずつ友達が増えていった。
銀髪の根暗な小娘、長髪の頭の回らぬ小娘にその姉の化物より化物染みた娘、そして小中ずっと引っ付いてきた何の面白みもない小娘。友達の多くない少年が過去最高に友達ができたことに安堵はするもののえも知れぬ感情が芽生えていることに悪魔は気が付く。
それは少年と悪魔が二人で帰り道を歩く時の安らぎ。それは少年と悪魔が二人で食卓を囲むときの温もり。それは少年と悪魔が二人で電車旅をするときの高揚。
それは少年が極稀に見せる笑顔への動揺。それは少年が極稀に手をつないでくれるときの安心。それは極稀に少年が起こす悪戯への微笑み。
それは少年が銀髪少女と会話をするときの苛立ち。それは少年が長髪少女と稽古をしているときの不満。それは少年が化物少女と遭遇したときの不安。それは少年が平凡少女と言葉のない会話を交わしていたときの嫉妬。
――ゆっくりと冷静に考えて悪魔はその自身の感情を恋愛と把握した。
名もなき、性別も姿形も曖昧な悪魔は恋をした。
一人の一般人である少年に超越した力の持ち主である悪魔は恋慕を抱く。
自覚とともに把握する。
悪魔の身に宿る悪なきまでの情欲を。
それはさながら獣のように本能的で、機械のように淡々としており、人間のように情緒不安定で、植物のように静かだった。例えるならば嵐によって荒れ狂う大海をビンの中に詰め込んでいる様な――。悪魔だからこそ成立する、激情に狂いながらも平常心を保てている歪で矛盾した精神構造。
そして悪魔は再びゆっくり冷静に考えた結果、待つことを選択した。
少年と少年を囲む
理由は二つ。
一つは少年の人生に対しての過度な干渉を嫌ったためである。立場上ただでさえ不自由な少年の一生を彼の好きなように生きさせようとしたからである。
二つは少年が誰もを選ばないことを直感的に或いは経験的に理解していたからである。
少年は一般人だが一般的ではない。身分は平々凡々たる人間で特にこれといった何かは持ち合わせていないが異常性は身に着けていた。異常性と言えば言葉が強いがズレていると言い直せばより分かり易いだろう。多かれ少なかれ人はズレているところがあるものだがそれは場合によってはいじめの対象になりそれを超えると相手にすらされなくなる。少年の場合はそれが極端であり少し以上にずれているため周りとつるむことすらなく、しかし迫害もされずに放置されている。数年少年を見てきた悪魔の見立てでは少年が実家を追放されたのも恐らくは能力がないからではなく異端に過ぎたからだと予測している。
高校になり少年のもとへと集まってきた連中も一般的とはいいがたいかけ離れた連中であるがゆえに少年に惹かれて集まった。少年の異常に対してのカリスマとも呼べるような魅力は悪魔としては身をもって体験している。何も能力を持たない少年の能力のようなものだと悪魔は考える。よくよく考えればあの都木野花の直系の孫なのだ。真っ当なわけがない。恐ろしいのがこれが洗脳やら暗示ではなく、ましてや彼が故意的しでかしているわけでもない、ただ当り障りのない生活を送っているだけで周囲が勝手に引き寄せられているところにある。
魔性であり蠱惑的。正道とは真反対であり善性とは対立する部類の少年の在り方は一種の英雄や王のような、ただあるだけで既に超然としている。
――故にこそ、少年は周りのもの全てを拒絶する。
彼は自身のそのある一種の人たらしの性質を十全に理解しておりそれゆえに寄り添う全ての異端を拒絶する。
それが洗脳や暗示でないにしても、少年が持つ生来の魅力であると分かっていても、それに魅かれて来た全てを彼は拒むのである。
その理由を悪魔は完全にでは無いにしても凡そ察しはついていた。
まずは自己嫌悪。
次に恐怖。
最後に矜持。
この三つが主軸となっていることを悪魔は概ね感じていた。
あとは家系が祓い屋であることや性癖が歪んでいること、プロポーズは自分からする派であることぐらいなもので、些細で気にする必要のないことだった。
悪魔は以上を踏まえて高校の間少年に対して自身の恋慕を直接的に伝えることをやめた。なぜなら悪魔には多大な時間があるからだ。
少年は高校を卒業後本家に戻されることが秘密裏に決定している。それは少年とその祖母と悪魔にしか知らされていない機密であり三者とも納得の上で日々を過ごしている。少年を取り囲む少女たちはどうあがいても少年といられるのは高校の間だけであり、それ以降着いていけるのは少年と契約している悪魔のみ。少年の性格からして少女たちの好意に応えることはまずなく、悪魔はゆっくりと冷静に待つだけでよく、最終的に少年が成人した後にでもアプローチを仕掛ければよい。
恋愛の情欲を三年近く耐えれば自ずと少年と二人きりになる。それを分かっているからこそ悪魔は待つことにしたし、それを耐えられるからこそ悪魔は待つことにした。
高校三年間の間悪魔としては精々少年を囲う少女たちが少年に対して過度なアプローチをしないように邪魔をしていればいいだけ。
悪魔がするまでもないほどの些細なことに自分の力を使うのかと悪魔は思ったが、しかしそれが不思議と嫌ではないあたり自分がどれだけぞっこんなのか分かり苦笑した。
――結果から言えば、悪魔は遅きに失した。
◆ ◆ ◆
少年は悪魔の目の前で悪魔を含めたその場の五人を庇い凶弾に倒れた。
高校卒業する前のことだった。
即死であった。
頭蓋を貫かれ、心臓を穿たれ、全身を蜂の巣にされた少年は血を流し、呻くことなくアスファルトに伏した。
少女たちの行動は様々だった。
頭を掻きむしりながら何やら文言を唱えて魔力を練って魔方陣を作り少年を蘇生しようと試みる銀髪の少女。
怒鳴りつけるように電話をかけて救急車を呼びつける長髪の少女。
叫びながら自身の腕を千切りそこからあふれ出る血液を少年にかけることで少年の再生を促す化物の少女。
誰もが狂い、誰もが平常心を失う中、最も冷静なのは悪魔だった。
悪魔は少年が倒れ伏すのと同時に射手を射線から逆算して位置を特定し一人残らず皆殺しにした。そして安全を確保したうえで少年を蘇生しようとして――少年との契約が解消されたのが伝わった。
それは契約破綻による切断ではなく、契約満了による契機の終了だと悪魔にはすぐわかった。
悪魔の目の前には少年との契約である少年の魂が佇んでいたからである。
『ああ、ああ……』
悪魔は少年の魂を抱きかかえるように手でそっと包んだ。
悪魔は最も冷静に少年の死を受け入れ、最も狂乱しその場に立ち尽くした。
その魂を悪魔はどう扱うこともできなかった。
食べることも、壊すことも、はたまた輪廻の輪に返すことも。
しかし、悲しいことに、無常なことに、魂は長くとどまれない。
悪魔はそのことをよくよく知っていた。
気が付けば魂は悪魔の手の内を抜け出し空へと昇って行った。
悪魔はそれを眺めるのみだった。
追うことができないことを悪魔は知っている。
悪魔は魂が遠く遥か遠く消えていくのをずっと目で追い続けた。
頬には一筋の涙が伝っている。
――悪魔にとってはここからが始まりだった。
気が狂うような少年のいない日常の始まり。
◆ ◆ ◆
気が狂う日常の中、悪魔は少年の死の次の日には姿を消していた。
悪魔は一つを失ったことで全てを捨てる決意をした。
安定を捨て、在り方を捨て、
悪魔は、彼岸淵は、彼女は、少年――都木萩を探すことにした。
方法は単純であった。
淵自身も魂のみとなり輪廻の輪に入り萩の魂が転生した世界へと転生を果たすというものだ。
しかし当然単純に死んで輪廻の輪に入ったところで萩のもとへ行けることはまずない。
淵はそれを理解しているため自信の体を無理やり魂魄へと変貌させ、萩の魂を追いかけることにした。
幸運だったのは萩が死んだあとその魂を手にする機会があったことだ。
そのときの魂の波長を頼りに淵は次元の壁も輪廻の理も超越し萩を追いかけることにした。
それはリスクしかない旅路である。
萩のもとへつけることは確定ではない、寧ろ見つかることはまずない。その前に淵の魂自身が消滅する。転生した萩を見つけても萩が人などの意思を持つ者に生まれ変わっている保証もなければ、淵も同じく転生できるわけでもない。そして仮に五体満足でお互いに転生したところで前世の記憶をお互い保持していることなどありえない。
しかしだ、しかし、ゼロではない。
そのことを悪魔である淵はよく知っている。
一も二もなく、微塵の躊躇いもなく、淵は旅立った。
彼岸淵は歪んだ。
『……愛しています。我が主』
月光の元、淵は旅路の果てに一つの異世界にたどり着く。
魂のまま、周囲の様子など分からぬ有様で。
記憶も途絶え、理由は忘れ、しかしそれでも、全てを失くしても、彼女は少年のことは覚えている。
彼はまた引き寄せる。
因果の果て、転生の後、二度目の生。
愛し合うかのように一人のワンダの集落から追放された少年の腕に絡みついた魂は、執念からか、甦る。
『――見つけました。我が主』
――悪魔が少年へと愛を囁くのはまた少し後の話。
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