8 Shiny Ray①

 

 ――――ドンドンドン!


 強く店の扉が叩かれた。

 扉から背を向けたばかりのサリヴァンの眼鏡の奥の目が、鋭い輝きを灯す。あのわずかにめくられたカーテンの隙間を、外から見た誰かがいたのだろうか。

 ジジがそっと、背中でアルヴィンをカウンターの奥へと押しこめる。

 たしかに、マントを失くしたアルヴィンの姿は尋常ならざるものであるから、おとなしく腰をかがめてカウンターの下に身を隠し、こわごわと扉へ向き直るサリヴァンを見ていた。


 サリヴァンがわざと音を立てて扉を開けると、そこには若い男が立っていた。暗がりに色は分からないが、硬そうな髪がツンツンと立ち、痩せているがしっかりとした体つきをしている。

 若者は、サリヴァンの顔を見下ろした瞬間、分かりやすく安堵の顔を浮かべた。


「やっぱり帰ってたんだな! アニキ! 」

(……あにき? )

「ウィル……」


 若者は涙さえ浮かべて、サリヴァンを拝むように目をきらきらさせた。こちらに背を向けているサリヴァンの表情は分からないが、腰に手を当てて、うんざりしたような雰囲気が伝わってくる。

 『ウィル』は、ほとんどパニックのようにまくし立てた。


「アンタが突然いなくなって、俺らがどれだけ心配したか……! 店もずっと閉まったまんまだし、店長さんも姿が見えなくなるし、かと思えば怪しいヤカラがあたりをウロついていやがるし……! ビクターもリサも不安がっちまって、俺、俺、もうどうしたらいいか……! 」

「ウィル、ウィル、わかったから、シー、シー! こっちも立て込んでるんだよ」

「だってダグのやつなんて、アニキが死んだんじゃねえかとか言いやがるしさぁ……! ああ、こうしちゃいられねェ! アニキが帰ってきたってリサたちに言ってやらねえと……」

「待て待て待て……」


 サリヴァンは、飛び出そうとした若者の首根っこをつかむと、頭一つ半は大きい体を足を引っかけて転ばせた。頭を抱えこみ、足先で扉を閉じ、慣れた様子で長い手足を折りたたむように関節をきめながら、ずるずると外から見えない店内へと引きずり込む。

「もががっ」

「……あのさあウィル。今こっちも立て込んでンだよ。あんまり騒がれると困んの」


 その低くも軽い声の調子が、あまりにも粗野なものだったので、アルヴィンは驚いた。


 姿は見えなくなっても、カウンター越しであるから、アルヴィンにはサリヴァンの声の調子や会話の内容がよく聞こえた。

 あのような態度では、まるで話にきく、チンピラというやつではないだろうか。


 アルヴィンは、サリヴァン・ライトのことをよく知らない。

 そもそもからして、交流らしい交流をしたことがないからだ。


 フェルヴィンでの功労者であること。若いのに屈指の実力ある魔術師だということ。

 つまりは、いつでも冷静で、知的で、場当たり的なことをしない人物だという印象で、ヴァイオレットから聞いた経歴からも、その印象を補強する以上の情報は無かった。


 思い返せばはじめてこの店に来たとき、下町と呼ばれているこのあたりは治安があまりよくないと聞いたのだった。

 そんなところで育ったのだから、とうぜん場数を踏みしめてきたであろうこの少年にそういう顔が無いわけもなく、そして他国の王族に相対するとき『よそ行き』の顔を崩さないわけもない。


 (へぇえ…… )

 アルヴィンは、目からうろこがポロリと取れた思いだった。

 王家の末の子として大切にされてきたアルヴィンにとって、そんな世界は未知のものである。アルヴィンは、どきどきして浮足立つのを感じていた。(もちろん心臓は無いので比喩であるが)


 サリヴァンは言った。

 仲間たちは元気か? 今は安全か? 状況はどうだ? 他のやつらはどうしてる?


 それはまさしく舎弟を諌めながらも気遣う内容であった。

 アルヴィンの知らない少し乱暴な口調で、サリヴァンがウィルからそうしたことを聞き出していくと、大きな男が肩を小さくして、小さな子供のように何度もサリヴァンの言葉に感じ入ったように答えていった。


「あのさあ、サリー。久々の再会を喜ぶのはいいんだけどサ。そいつに構ってる暇、ないんじゃなかった? 」

「うるせえなあジジ。わかってるよ。いま話がつくところ」

「ア、アニキ、俺は何をすれば? 俺たちアニキのためならなんでもするぜ」


 サリヴァンは、チッと舌打ちした。

「何もしなくていい。おまえもリサとビクター連れて隠れてろ」

「で、でも」

「おまえはリサと自分の命ならリサのほうが大事なんだろうが。朝になったらなんとかなるから、フラフラ出歩かず三人固まってろ。そのほうが何かあったときに、お前もリサを守れるだろ」

「……わかったよ」


 ウィルは、少し考え込んでから頷いた。彼が素直なたちなのもあるだろうが、サリヴァンの乱暴な口調とは裏腹に、眼鏡の奥の目つきが落ち着いていて、説得力があったからだろう。


(彼はヴァイオレットの兄上なんだな)

 アルヴィンは、二人それぞれを知ってはじめて分かった。

 顔形以上に、その姿はとてもよく似ていたのだ。


 ◇


 ノックも無く、王宮の一角の扉が開かれた。

「来たわね」


 エリカは鏡台の前からさっと立ち上がり、厳しい顔つきのシオンに相対した。

「外の状況」

 シオンは、低い声で短く用件だけを口にした。


「わかっています。ステラ女史の予後は」

「そっちは問題ないよ。もうすっかり治った。しばらくは大っぴらに外には出られない姿だけどね」


 シオンの顔は晴れなかったが、彼にもよくわかっていた。

 矢面に立ったのが、アイリーンから血を受けたステラだったから『よかった』のだと。そしてステラ自身も、危険を見越していたからヴァイオレットを迎えに行く役に志願したのだ。

 これがクラーク夫人だけであれば、悲劇がひとつ生まれたはず。

 それは、シオンもエリカも、ステラ自身も、承知したことだった。


 エリカは、夜着のままシオンを見つめ返す。男女という以外、双子のようによく似た二人だったが、男の顔は苦々しいまま、深いため息とともに怒気だけが鎮静していく。


「……外はゾンビパニックだ。おれは行く」

「どこに」

「もちろん『銀蛇』に」

「そっちには不要よ。サリヴァンがもうついてる」

「……あの子が? 」

「できるのかって? 」


 エリカは、皮肉げに片方の眉を持ち上げて笑った。

「あなた、サリヴァンのことを見くびってるわね。アイリーン・クロックフォードと、このわたしが十二年かけて仕込んだ弟子よ。十二年で、彼はアイリーンの理解者のひとりになったわ。この状況も、あの子ならひとりでも対処できる」

「そんな無茶なぁ! 」

 シオンは頭を抱えた。開いた口が塞がらない。


「無茶じゃないことはあの子が自分で分かってるわよ」

 エリカは、ぴしゃりと叱りつけるように言った。

「だから『銀蛇』に向かったの。方法は、とっくの昔にあなたの奥さんが授けてる」


 今のシオンは、エリカよりも背が高かった。自分と同じ色形をした瞳をじろりと見上げてエリカは声を落として言う。


「アズマシオン。あの子の師匠として言うわ。あの子を見くびらないで。あの子はあなたがいないあいだ、あなたの妻がフランクと同等に信頼する従者となり、孫のヒースと同等以上に重視する弟子となった。正直、十七歳のときのあなたの百倍はできた魔術師よ」


「そこまで!? きみこそ、おれをみくびってない? 」


「見くびってないわよ! 馬鹿にしないでよね。生まれ持った膨大な魔力も、それを扱うすべも、教養や気遣いまで、あの子はわたしたちの想定を上回った。ひねくれもせず、泣き言もいわず、おごらず、努力と忍耐を重ねて、結実したのが、今代で最も優れた魔術師である今のあの子よ。まだ十七歳。これからもっと強くなる。十七歳のころのあなたなんて、アイリーンの後ろで泣いて、フランクに蹴飛ばされてから渋々とようやく……って感じだったじゃない」


「相変わらずおれには厳しいなぁ! 」


「あなたの悪い癖だわ。自分が動けば早く終わると思いがち。実際そういう場面が多いことはあるけど、あなたはフットワークが軽すぎる。だからすぐ首を突っ込んで足を取られるのよ。ポルキュス号でどんな目にあったかもうお忘れ? いい? あの子から貴重な成長の機会を奪わないで。わたしがいる間に、サリヴァンがこうした事件に対処できる機会はもうないの。時間がないのよ。これはあの子にとって必要なピンチだわ」


 毒気の抜かれた顔で、シオンは頭を搔いた。


「死人が出てるのに? いい機会だって? 」


「あなたは自分以外をもっと信用するべきよ。サリヴァンだけじゃない。この国の魔法使いは、あなたが思うより弱くない。シオン。これが最後の機会だから言っておくけれど」


 シオンは、『最後の機会』という言葉に身構えた。エリカは続ける。


「あなたとわたしではスタンスも立場も違うわ。いくら血縁上は親子でもね。あなたは目につくすべてを救いたがる。わたしは次の危険の対処をしたいの。できれば、次の次の次の危険まで」


「……慾張りだな」


「慾張りにならなきゃ、ここにはいない。あなたの孫もこの世界にはいなかったでしょう。生き汚いのだけが、あなたとの共通点よ」


「いいや違うね。ふたつだ。おれのこの美貌と、生き汚さでふたつになる」


 シオンは指を二本、見せつけるように顔の前に立てた。「そしてその二つは、おれが誇れる長所の一位と二位だったりするんだな。ちなみに三位は、きみの母親を射止めたこの性格」


 エリカはフン、と鼻で笑った。


「そうね。そこだけは、あなたが父親でよかったわ」


 シオンも、ようやく微かに笑った。


「――――は、どんな人だった? 」


 シオンは、自分の口から出た質問を後悔しているように、気まずそうに口を小さく結んでいる。

 エリカはそれをチラリとすると、答えを用意していたかのように即答した。


「いてほしいときにいない人で、来たいときに来られない人。……あなたのほうが、ずいぶんましよ」


「最後のそれって慰めてる? 」


「いいえ」


「いいえなんだ……」

 シオンはしょんぼりした。


「わたしは父を写真と思い出話でしか知らないまま育ったわ。どこかで生きていると知っていただけ、なぜいないのかと恨みもしたわね。わたしは父を愛する機会がなくて、あの人は娘から愛される機会を失った。そういう関係だった」


「それは……苦労をかけたね。おれじゃないおれが」


「そうね。あなたじゃないあなたを恨んでた。……でも、もういいのよ。あんなやつより大事な人間なんて、いまとなってはたくさんいるわ」


 エリカは伏していた視線を上げてシオンを見た。


「――――だから、もういいのよ。父親じゃない父親が、こうして仕事をしてくれているわけだしね」


「泣けちゃうなあ」


「嫌だ。その顔で泣かないでよ。同じ顔なんだから、寒気がする。さっさと行けば? 」


「じゃあ行くよ。目につくものを助けにね」


「はいはい」



 シオンが今度こそ踵を返す。エリカは閉まった扉をしばらく見つめ、ため息を吐くと、頭をかき混ぜた。


「……せいぜい長生きするといいわ。お父さん」

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