8 Shiny Ray②
◇
「身を守るために、口をつぐみなさい」
師は繰り返しそう言った。
サリヴァンが誰であるのかを知る者は、この国に誰一人として増やしてはならないと、言い聞かせた。
サリヴァンは思い出す。
その言葉のほんとうの意味を学んだのは、いまから八年も前のこと。サリヴァンが九歳、ヒースが十一歳のとき。
はじめての『杖つくり』の講義のときだった。
◇
「いまから、魔法使いの杖の作り方を教える」
アイリーン・クロックフォードは、いつになく厳めしく子供たちを地下の工房に集めた。
一枚岩の作業台に肩を並べたサリヴァンとヒースは、師の言葉に耳を傾けながら、いつのまにか目の前に並べられていた材料を見つめていた。
「そしてこれは、命を創造する魔術を学ぶ作業でもある」
杖の材料は、芯となる持ち主本人の髪、魔銀と呼ばれる金属、装飾用の宝石である。サリヴァンの前には真珠が、ヒースの前には黒曜石が置いてある以外は、同量の魔銀の塊があった。
魔術師が杖を持つことを義務にして、千年と百年ほど。『銀蛇』のみがその製造を担い、すべての杖はアイリーンの手によるものということになる。サリヴァンはもちろん、お調子者のけがあるヒースにも緊張感があった。
「この世において命とは、すべて混沌の泥から生まれいでたもの。この混沌の泥から世界は生まれ、神々が生まれ、その神々の手で命が創られた。この世界のすべては混沌神の血肉でできており、そしてそれは万能の素材であるがゆえに、神々ですら扱うことは難しい。さて、ここまでは基礎知識だ」
アイリーンは片方の瞼を開けて、静かに頷く子供たちを眺めた。
「そしてこの混沌の泥は、私にも流れている。お前たちにも、もちろん。魔銀と呼ばれるこの結晶は、フェルヴィン皇国のゲルヴァン火山と、この国の北東部山間でわずかに産出される。この結晶は、現代においてより高純度を保ったまま結晶化した『混沌の泥』の混合物だ。――――さて、これらの材料と職人がそろうと、作ることができるものが杖とは別にもうひとつある。製造方法は封印され、もう作られることはないものだ」
弟子たちは顔を見合わせた。答えをしぶる師は、そのようすを蛇に似た目でじっと見つめると、もうひとつヒントを与えた。
「混沌の泥とは、命を創造する素材である」
「魔人ですか? 」
おそるおそるサリヴァンが言った。
「そのとおり。魔人を造るには、体のかわりの器物、魂のかわりの呪文、意思を吹き込む魔術が必要となる。体の代わりには魔銀と宝石、魂のかわりとして――――誰のものでもいい。誰かの『命の一部』を加え、呪文を与えると、それは魔人となる。
いまから作るのは魔法の杖の作り方であると同時に、魔人の製造方法。
――――つまり、命を生み出す神の奇跡(わざ)の模造。非常に危険な魔術の粋(すい)ということになる」
◇
「サリー、手はあるんだろうね」
サリヴァンは意識を今の銀蛇に戻し、「ああ」と頷いた。
「ヒースと対策は考えてきてある。『これしかない』ってやつをな」
「ならよかった。それで? ボクらはどうすればいい」
「こっちだ。一緒にきてくれ」
サリヴァンはふたたび中庭への扉を開いた。手入れをする人物がしばらくいなかったからか、冬の最中でも緑が目立つ。
サリヴァンは井戸の前に立ち、アルヴィンへ手を伸ばした。
「ここを降ります。足元に気を付けて」
ジジが目を丸くした。
「まさか方法ってこれ? 」
「まさかの方法がこれだ。『これしかない』」
「キミ、師匠から教わってるの? 」
「見ることを許されただけだ。ぶっつけ本番でやる。でも、アイリーン師匠がこの国にいない以上、できるのはおれしかいない。それはヒースもエリカ師匠(せんせい)も分かってるし、想定していないはずがない」
「そこまで信じる? 」
「おれは杖職人だ。そしてヒースは、航海士になる道を選んだ。この銀蛇の後継者はおれだ。おれ以外の誰がやれるってんだ」
サリヴァンは、真っ黒な水面を見下ろして言った。
「――――行くぞ。皇子に手を貸せ」
◇
「魔人の製造が禁忌となった意味が分かったか? 」
サリヴァンとヒースには、うなずく気力もなかった。
目の前の作業台には黒いすすが広がり、その上には粉々になった黒曜石と、砕けた真珠の成れの果てがある。
あの音の残響が、まだ耳の奥に張り付いていた。
「魔人は製造してはならない。杖が魔人として意思を持ったならば、それはもう杖ではない。失敗となる。職人ならば、その手で処分しなくてはならない」
ヒースは嗚咽もなく泣いている。
(あの音には、たしかに意思があった)
悲鳴と呼んでいいだろうと、自分の手で砕いた真珠を見つめてサリヴァンは思った。
「こうして分かったとおりだ。この世界において、優れた素質ある魔術師が技術を持てば、
アイリーンは淡々と、講義を続けた。
「杖にはいくつかの役目がある。まず、無条件に時空蛇の……つまり陰王の加護を与える。この加護は悪しきものを遠ざけ、そのものを守り強くする。次に、魔術の指向性を補佐する役割もある。
最後に、すべての杖は、『陰王(わたし)』の支配下に置くことができる。陰王は人々の政(まつりごと)に介入しないが……」
「……『この世すべての魔術を支配している』」
「そうだ。サリヴァン。だからわたしは人々に杖を与えた」
「人間を支配するために? 」
「少し違う。来たる時、これが必要になるからだ。その一回の機会のために、わたしは杖を作った。ヒースも、よく聞いておけ」
アイリーンは、伸ばした腕の先に杖を這わせた。夏の盛りの枝葉のように伸びた杖は、アイリーンの腕の長さをあっというまに越え、傘になって天井を狭くした。
「――――魔法の杖とは、ただの道具だ。道具には役割があり、必要な場面というものがある。正直な話、魔法使いを支配するだけなら、わたしに杖は必要ない。しかしある目的のためならば、この杖という道具が、わたしがそこにいる時よりも威力を発揮する場面がくる。道具というものは、自分以外の存在が使えてはじめて真価があるんだ」
さわさわと揺れる銀の傘の下にいる弟子たちをみつめて、アイリーンはひとつ頷いた。
「正しい使い方さえ知っていれば、わたしがいなくてもお前たちが扱える。そのためにわたしは、この杖を作ったんだ」
◇
この井戸に飛び込むとき、息を止める必要はないとサリヴァンは知っていた。
ヒースがこの銀蛇を去ったあと、アイリーンはサリヴァンにだけ、この井戸にあるものへの同行を許した。
それは三年にはすこし足りないほど前……サリヴァンがジジと出会う、ほんの数か月前のことだった。
その一回きりの機会をなぞるように、サリヴァンは満たされた闇の中で目を開く。
そこでは、重さというものを失った暗闇が広がっていた。
サリヴァンは袖の下に杖を這わせ、先に明かりを灯す。
ぼんやりとしたオレンジの光が小さくゆらめいたことを、暗闇が感じ取ったように、鼓動に似た振動が無数の光とともに『ドクリ』とほとばしった。
続けて飛び込んできたアルヴィンとジジが、背後にぴったりとついたのを感じながら、サリヴァンは眼鏡越しに中空に灯る光の群れを見上げる。
色とりどりの小さな光たち。
――――それは天空の星々にも似た姿で、この大陸の形に灯っていた。
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