8 扉を開けて③



 扉が開く。

 開く。

 開く。


 開いては閉じる。

 閉じる。

 閉じる。


 落ちて。

 落ちて。


 あのとき浴びた炎をステラは思い出していた。


 落ちて――――。

 ――――掴まれる。



 ◇



 ステラの音の魔法は、杖職人の娘であるアイリーンの協力なしには実現しなかった。


 ステラが学生時代に編み出した魔術は、ただ音を大きく響かせるものではない。

 魔法使いが持つ杖の構造を利用して、そこから本人に直接音を届けるしくみだった。


 そうした、杖を利用した魔術が過去に発明されなかった理由はいくつかある。

 杖作りの技術がひとつの店での相伝であったから。さらには、杖じたいが神聖視されていて、持ち主以外が干渉するという行為に忌避感があったから。

 それは、ステラが実現させるまで、多数が思いつきもせず、思いついても実現を諦めていた方法だった。


 学院の教師陣は、この新魔術の運用について大規模な会議を三度も行った。

 杖じたいに外部から干渉を行う技術が確立されるということだ。当然の処置である。


 結論を出した教師陣からの要求は、安全性の証明だった。

 皮肉にも、現代において魔法への意識が薄れたことで生まれた新魔術だったのだ。

 この時代に生まれた、無鉄砲で向上心ある学生の筆頭だったステラだからこそ、それは実現したのである。


 学内での定期放送は、実証実験としてはじまった。

 これが、ステラの新魔術における第二の関門だった。

 学生たちは、多くに貴族子息や名家の令嬢、いずれ国政を担う若者たちが揃う。彼らから支持を得ることは、この魔術が封印されないために必要なことだ。


 初期の音魔術は、肉声しか届けることができなかったから、ステラ自身が喋るしかない。ステラは言葉だけで、この新魔術を面白がってもらわなければならなかった。


 そしてそれは成功する。知っての通り、ステラには才能があった。




 ――――三二七八年。ホーライ九月の終わり。


 ラブリュス防衛戦とのちに呼ばれることになる内紛の舞台に、城塞都市にして学院都市、ラブリュスが選ばれた。


 夏の日差しのもと、学院に続く長い坂を、第二王子率いる数百人の魔法使いが行軍するようすを、ステラはじめ多くの学生たちが塔の上から見ていた。

 オズワルド王子は、王子軍の拠点としてラブリュス城の明け渡しを要求し、学院長は拒否。上級学年の学生たちを中心にした学生たちは、学院の理念を守るために立ち上がり、教師たちの指示を無視して城を占拠し、強引に教師たちを巻き込むかたちで、王子軍を相手に籠城戦を仕掛けた。

 これが学生側から見たラブリュス防衛戦開戦のおおまかな顛末である。


 当時最終学年であったステラは、アイリーンと、シオン、フランク、その婚約者であるミイとともに城に留まり戦った。

 義勇軍と名乗った学生側のリーダーは、学院一の悪童であるアイリーンで、右腕であるフランク・ライトが作戦立案をまとめ、左腕としてステラが立って、一部の教師の支援と頭脳を得て、学生たちはまとまった。


 王子軍の撤退しか認めない学院側と、無血開城を求める王子軍とで交渉は平行線。

 王子軍は先んじて情報を制し、十八日ものあいだラブリュスへの支援を封じた。

 しかし学生を傷つけるわけにはいかない王子軍だ。アイリーンをはじめとした優秀な頭脳から実現した、最新鋭の嫌がらせの数々が、王子軍を襲った。

 そして王子軍への最たる嫌がらせとなったのが、ステラの奏でた魔術だった。


 籠城七日目から始まった、王子軍の兵士たちへの杖の干渉。

 ステラの理論とアイリーンの構築で、王子軍の魔術師たちの杖からは、学院義勇軍からの撤退要求が異口同音に流れはじめた。

 城では数十人の学生が、それぞれステラの魔法を使って交代で喋り続けた。昼夜問わず自分の分身といえる杖から流れ続ける言葉に、王子軍の衝撃は大きかった。


 杖を封じられた魔術師は、自分の手足を使うしかなくなる。

 箒での城門越え。湖からの侵入。城門の破壊。ことごとく失敗。交渉はもはや意味をなさない。撤退以外は認めない。


 学院義勇軍は、勝利を確信していた。

 その慢心があの事故を引き起こしたのだ。

 王子軍は愚かではなかった。その多くが、同じ学院の卒業生で占められ、粒ぞろいの有望な魔術師たちで構成されていた。

 天才といえるある魔術師が、寝食を犠牲に解析した結果、王子軍は『杖に干渉する技術』を学んだ。

 そして反撃する。


 それは今は失われつつある、魔術戦闘の本領と呼ばれる。

 ――――『魔術返し』が発動したのだ。


 反撃といっても、威力はささやかな熱魔法。杖から少々やけどする程度の熱が出て、小火にもならないほどのものだ。

 王子軍は警告のつもりで、それを二十人分用意して、逆流させるように打ち出した。


 そしてそれを受けたのは、魔術の開発者で、魔術の中継の要として自分の杖を使っていたステラひとりだった。

 

 熱魔法は、互いに作用し、束のような炎となって杖から噴き出した。

 学院の塔の上にいたステラを蹂躙した炎の光は、城下の王子軍からも見えたという。

 事故とはいえ、もたらした結果に、その明朝、王子軍はラブリュスからの撤退の要求を飲むことになる。


 ひとり爆炎を受けたステラ・アイリスは即死こそしなかったが、それだけだった。

 危険性は理解していた。リスクは分散するべきだと教師からの指摘もあった。しかし時間と手間を惜しみ、もともとステラひとりが使っていた魔術を、『彼女の杖を起点とすることで多数で使う』というやり方を取った。

 それらを最終的に決めたのはアイリーンだ。彼女は親友のありさまに、生まれて初めて精神の均衡を崩し、自分を責めた。(ステラは不謹慎にも、そのことを後で聞いて喜んだ)

 そんなとき、シオンがアイリーンに言った。


「あなたの力があれば、助けられる」


 ステラは、一目見たときからシオンが嫌いだった。というより、憎んでいた。

 アイリーンがステラの前にシオンを連れて来たとき、すでにこの男は、アイリーンに見初められていたからだ。

 顔が可愛いくても、出会った当時のシオンは年相応にひねくれていたので、ことあるごとに冷ややかな対応を取るステラをシオンのほうも苦々しく思っていたはずだった。


 服は皮膚をいくらも守ることはできず、炭化した皮膚をさらして全裸で安置されたステラを前にして、時空蛇の化身アイリーン・クロックフォードは重大な決断をくだした。




 ◇



「なんでいつも、こういう時にあたしを助けるのはあんたなんだろう」

 ステラは、見慣れぬ天井をぼんやりと見つめた。


「元気そうですね。先輩」

 答えは期待していなかったのに、ステラの後輩は変わらぬ憎まれ口をたたいた。


 ステラの視界に、無表情の男が映る。黒髪の下にある美しい顔面は白く輝くようで、暗い影が落ちた瞳とあいまって、無表情でもぞっとする迫力だった。


「……あーあ。相変わらず寝起きに見たかない顔だこと」

「無茶しましたね。また」

「そうね。もうね、あのころのあたしたちを見ていた先生たちの苦労が分かっちゃうってもんさ」


 おどけたように言ったステラを見下ろす顔は、にこりともしなかった。


「先輩、あなた、。もう奇跡は打ち止めです。、もう次はありません」


 ボーン、ボーンと、どこかで柱時計が鳴った。

 シオンは、重ねて責めるように言葉をまくしたてた。


「あなたには、叶えたい夢も、あなたを必要とする人もたくさんいるのに。あなたほどの人を失ってしまったら、おれはアイリーンさんに合わす顔がない」

「いま何時? 」

「深夜の三時です」

「……あんた、変わんないねえ」


 その素直さに薄く笑みを浮かべたステラは、憎き恋敵から目をそらして、ふたたび天井に向けた。手のひらを上げて、いくらか細くなった腕にかすかに喉を震わせる。


「あーあ、こんなに縮んじゃって。仕方ないね。後は頼んだよ」

「言われなくても、仇はうちます」

「あー、いやな言い方! あたし、あんたが死んでも一滴も涙出ないからね」

「おれは、友達が死んだら、人目もはばからず泣くタイプですよ。知ってるでしょ」

「ふん。別にあたし、あんたのこと友達と思ってないし」


 シオンはようやく微かに表情を緩めて、すねたように唇を尖らせた。

「それはちょっとショックなんですけど。二十年来の友達でしょ? 」

「仲間といってちょうだい。同じ女を愛した仲間」

「それ、友達とどう違うんです」

「この間抜け。無神経。ぜんッぜん違う。おとなしく寝てやるから、ほら、もう行きな」


 胸にくすぶる怒りに白くなったままの顔が、こくりと頷いた。

「先輩は、ゆっくり休んでくださいね」


 頷いたくせに置き去りにされる子犬のような眼で見つめてくるので、ステラは追い払うように手を振る。

 一人になった部屋で息を吐き、ステラは目を閉じた。


「……ふん。ぜーんぜん違うんだよ。バカシオン」

 


 ステラには才能があった。

 誰かの心を動かす天賦の才があった。

 ステラのラジオは、学院から、城下の街へ、そしてやがて大成し、首都全域に響くことになった。


 シオンは、まだ学生で、道半ばにいたステラのその才能を信じていた。


 アイリーンのためではなく、シオン自身がステラを惜しんで、アイリーンに助命を嘆願した。

 アイリーンには、責任がある。たとえ友だとしても、その力をひとりの人間にそそぐ決断をすることはできない。それが伴侶となる人間ならまた別の話だが、「ただの友達」では望み薄だ。

 だからシオンは、時空蛇の化身の伴侶として、迷うアイリーンを説得し、成功させていた。


 すべてが終わったあと、ステラは嫉妬心と敗北感に心を折った。

 それすらも、シオンは涙を流して受け止めた。我がことのように、歯を食いしばって鼻水を垂らして泣いた。ステラと一緒になって悔しそうに泣いた。

 ステラは、自分よりみっともなく泣き顔をさらす恋敵に、情けなくなって最後には笑った。

 一度懐に入れたなら、どこまでも共感して一緒に傷つく。

 シオンはそういう、一種の傲慢さがある男だった。

 アイリーンは、シオンのその善良な傲慢さを愛していた。


 ステラの人生における最大の幸運は、この時代、アイリーンの同輩として学院に通い、彼女の友となったことだった。

 ステラの人生は、その幸運を証明するために続いている。


 汚点があるとすれば、『この命が続いているのは世界一憎い男のおかげ』という部分だけである。

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