8 扉を開けて②
十二歳になるまで、ステラ・アイリスは『自分の魂は生まれてくる場所を間違えたに違いない』と考えていた。
ステラは、南方にある大貴族の分家筋の産まれである。
ステラの母は、分家のアイリス家の五人兄弟と八人姉妹に生まれた末っ子で、父はまったくこの国の血が流れていない外国人だった。
「一家に一人は、そういう娘がいるものよ」とは、祖母は今でも、折々に親類たちへ言う。
エルフの血が流れた長身の若者と恋におちた母は、結婚しないままお腹にステラを宿して実家に戻り、そのままステラを産んだらしい。
だからステラにも、実のところ半分ほどフェルヴィン人の血が流れている。
耳はさほど長くはない。身長はずいぶん伸びたが、それ以外は他の魔法使いと変わらない。
魔力の有無についても問題なく、むしろステラは、多くの従兄弟たちの中でも抜きん出て優秀であった。
多産の一族で知られる一族は、『大お祖父様』と呼ばれる当主の方針で、産まれてきた子供たちをひとまとめに教育して競わせ、能力が高いものを本家筋に引き入れて、やがては要職につかせることを目標としていた。
ステラは、他の子供よりも少しの努力で目的を成しとげる頭と体を持っていたのだ。
奔放な気質の母は、優秀な娘を誇るわけでも、惜しむわけでもなく送り出した。
ステラは、そんなふうに産まれてそんなふうに育ち、ぼんやりと自分の手ばかり見ながら、『自分は生まれる場所を間違えたのかもしれない』と考えていた。
その短い人生において、およそ張り合いと呼べるものが見付からなかったからだ。
一番を目指すほどの情熱も、心動かすほど信頼できる友達もなかった。
他人な悩みはちっぽけなものだと思えたし、自分にあてはめて考えるほど、それほど感情的になる意味もわからなかった。
大人になったステラは、楽しみも悲しみもなかったそのころの生活を、よく覚えていない。
誰がいて何があったのか、およそ思い出といえるものは、十二歳で魔術学院に入学するまで彼女の中に生まれてこなかったのだ。
◇
南部を離れ、中北部にあたるミネルヴァ領の湖畔地帯にやってきたステラに始めて『張り合い』をもたらしたのは、ひとりの同級生だった。
アイリーン・クロックフォード。
二年も飛び級してきたという、ステラほどではないが長身で、艶やかな黒髪の同級生の名は、「よろしく」と握手をしたその瞬間から、なぜだか誰よりも深くステラの胸に刻まれることになった。
アイリーンは、優等生と劣等生を兼ね備えた少女だった。
驚くほど俊足で力持ちなのにスキップができなかったり、あらゆる魔法を片手間に一振するだけで使えるのに、呪文の法則をろくに覚えなかったり。
笑顔がへたくそで、微笑んでいるつもりでもニヤリとしているようにしか見えなかったり、お世辞や嘘が言えず、たびたび他人を怒らせたりもした。
理論を置き去りにした完全なる実践派の天才肌は、毎日教授らの頭を悩ませるうえ、同級生からは腫れ物扱い。
そうしていつしか、孤立しているアイリーンに食らいついていたのは、ステラだけになっていたのだ。
ステラは、産まれてはじめて必死になった。
学年が上がるごとに自分の凡才を自覚しながら、それでも手を止める理由を自分の中に見つけ出せずにいた。
そしてついに、二つも下のアイリーンと並び立つためには、すべてで満点を取ることを諦めなければならなかった。
学院の成績には、評価の下限はあっても上限はもうけられていない。
極端な話、自分が得意な分野を伸ばしてそれが専門といえるほど卓越した評価をもらえれば、他に落第点があっても、帳消しになるのが学院のルールがあった。
もちろん、すべての教科で高得点を取ることは望ましい。
しかし均一に規定内の満点を目指す努力をするよりも、ひとつの規定外の評価点を目指して努力をするほうが、アイリーンと同じだけの評価を求めるなら効率的なやり方だった。
◇
同学年において、アイリーンのエキセントリックな理論を理解できて、彼女の体力についていける生徒はステラだけ。
自他共にそう認められるようになるために重ねたステラの努力を、アイリーンは軽々とこなした。
そもそも彼女は、すべての授業を取るわけではない。
学期のどこかでは、家の都合だとかで数日から数週間も寮にいないことだってあるというのに、困ったようすもなく授業に参加し、好成績を残す。それでいて長期休暇には必ず初日に実家に帰り、最終日まで帰ってこない。課題以上の予習や復習をしている姿も、ほとんど見せたことがない。
忘れもしない。
三年生の学年末、夏の試験。実技で遅れをとり、惜しくも二位で終わったステラの前に立ち、アイリーンが言った。
「きみってすごいな、ステラ」
それは、胸がきしむほど悔しいのに、涙が出るほど嬉しい言葉だった。
(あたしは、あんたにずっとすごいと言わる人間でいたい……! )
十二歳から先のステラの人生は、学院の中にこそあったのだ。
ステラは、南部にいたころの少女とはすっかり別人になっていた。
アイリーンが不得手とする社交性を磨き上げ、彼女と競うために体を鍛え、技を磨いた。
他人と交流し、よく観察するようになれば、その人々の感情にこそ、自分の興味が向くことに気が付いた。
笑い顔、悲しい顔、しぐさ、昂り。
人の持つその心に影響をおよぼすもの、およそすべての事象。
それこそも、神々が生んだ奇跡……つまり魔法であるとするならば、それを人間が魔術として練り上げるとしたら、どんなものが効率的であるのか。
(より広く影響を及ぼすものがいいな)
学生たちを対象にはじめたラジオは、最初、『音』を魔術の触媒に選んだステラの実験から始まった催しだった。
それがステラの学生時代を象徴する集大成とまで昇華されたのは、他でもないアイリーンがこの活動をおおいに称賛したからだった。
「きみの声は、大衆にとって心地がいいもののようだよ」
「それはきみもかい」
「ああ、もちろん」
「そ、そんなに褒めるなら、もっと続けてみよう、かな? 」
「そうするがいいよ。うん、必ず素晴らしい結果になるはずだ」
アイリーンは、珍しく普通の笑顔を見せた。
「これは預言だよ。ひみつだけどね」
◇
ステラの伸ばした腕の先で、火花が弾けた。
白い光が、世界を染める。
脳裏に彼女の顔が浮かぶ。
ステラの心に燦然と輝く星の輝き。
生涯を捧げると決めたもの。
かたときも目をそらさないと決めたもの。
あの星への誓いを守るためなら、この肉体を流れる赤い血潮のすべてを注いだっていい。
ステラはそれを、愛と呼ぶ。
(だからあたしは、こんなところで死ぬわけにゃいかないんだ)
扉が開く。
転がり落ちる。
(どうか掴んでよ。あの時みたいにさ)
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