8 扉を開けて①
サリヴァンは、鷹になることができる魔女を二人しか知らない。
濡れた体を受け止めたサリヴァンは、雨粒からかばうように自分のコートでそれを包み、妹を抱えて列車の屋根の上から降りた。車両の入り口で、毛布を広げたヒースが待ち構えている。
「頼めるか」
「うん。コネリウス様の客室に連れてく。それでいい? 」
「ああ。身内と一緒のほうが安心するだろ。行ってくる」
サリヴァンは箒を手に取った。フェルヴィンで使った折り畳みの箒は持ち運びにもかさばらないため、なんだかんだと荷物に入れたままだった。ヒースが苦笑する。
「それ、安物だから乗り心地が良くないだろ」
「まあな。でも愛着は湧いてきたよ。じゃ、あとは頼んだ」
サリヴァンは、アルヴィンに向き直った。
「殿下はいかがされますか」
アルヴィンは首を振って、空に光文字を刻む。
《一緒に行きます。あなたと》
「わかりました」
なんか皇子サマ、頼もしくなったね。と、ジジがサリヴァンに囁いた。サリヴァンは微かに笑って、雨の中に飛び出した。
◇
ヴァイオレットが目を覚ますと、嗅ぎなれた曽祖父のたばこの薫りに包まれていた。
「おお、ヴァイオレット。目が覚めたか」
「おじいさま……」
長椅子に横たわっていたヴァイオレットは、自分が三枚もの布でぐるぐる巻きにされていることに気が付いた。コネリウスはその一番下にある腕を取り、何倍もの大きな手のひらでさするように包む。
「よく飛んだ。よくやってくれた。さあ、もう少しおやすみ」
「……ステラおばさまはどうなったの? アルヴィン皇子はどこ? 」
「王都側からはまだ沙汰は無いよ。さきほどサリヴァンとアルヴィン殿下が、とんぼ返りに王都へ向かったところだ。まだおまえが着いて十分ほども経っていない」
「そう……」
ヴァイオレットは奥歯を噛んだ。涙がこみあげ、息を殺して布の中にもぐった。
脳裏に爆発の閃光が蘇る。
可哀そうな鳥たちの虚ろな目が蘇る。
自分を受け止めたあの腕の持ち主と入れ違いになってしまって、安堵する自分への腹立たしさ。
こんな時にそんなことを考えている自分の浅ましさ。
アルヴィンが兄と飛び立ったというのに、自分はここで震えていることの、劣等感。
「おまえはよくやったよ」
コネリウスの大きな手が、布越しに頭を撫でた。
「よくぞ、サマンサ領から王都まで辿り着いた。十四の娘にできることじゃない」
(違うの。違うの。そんなの、なんにもすごくない。あたしは飛ぶだけ。それしかできない)
コネリウスが出て行く音がする。
(ああ、気を遣わせちゃった)
しばらくして、ひかえめなノックの音がした。返事をするのもおっくうで黙ったままでいると、静かに扉が開き、見知らぬ女神官が顔を出した。彼女は、ヴァイオレットの赤い目を見ないふりして、優しく微笑みかけた。
「起きたと聞いて、服を持って来たんだ。ずいぶん薄着のようだから」
ヴァイオレットは、布の下にある剥きだしの腕をさすり、車の中でドレスを脱ぎ捨てたことを思い出した。
「……ありがとう」
女神官は静かに客室に滑り込むと、着替えとともに、お湯で湿らせたタオルを取り出して髪をぬぐってくれた。タオルが冷えないうちに雨に打たれた体を拭って着替えると、気持ちも落ち着いた。
女神官は、慣れた手つきでヴァイオレットを包んでいたものを畳んでいく。
「食事も持って来たんだ。温かいスープだよ」
「いただくわ」
白湯とスープ、すこしのパンをかじると、女神官はコネリウスよりも詳しく、この列車の現状を教えてくれた。
屍人が列車を襲撃し、現在は被害にあった人たちを休ませつつ、護衛たちが警戒中であること。ここには、アルヴィンの兄姉であるアトラス帝と皇子たちも乗っていて、彼らは実は護衛よりも強いんだよ、と女神官は悪戯っぽく囁いた。
「これを言ったら護衛の立場がないけどね。昨日、ラブリュス学院の校庭で模擬試合をしてたんだ。すごいもんだったよ。パンチが空を切るだけで、びっくりするような音がするんだ」
「それを校庭で? 見たかったなぁ。あたし、あの学院の生徒なの」
「たしかに、それは残念だ。でもきっと、頼んだらまた観られると思うよ。アルヴィン皇子とは仲がいいんだろう? 」
「そうね。友達なの。でもいいのかしら」
「いいさ。皇子たちは、きみのお兄さんとも対等の付き合いだ」
ヴァイオレットは、上目遣いに女神官を見た。
「……兄とは親しいの? 」
「うん。それなりにね」
「そういえばお名前、聞いていなかったわ」
「ふつうの友達はヒース、きみのお兄さんはエリって呼ぶよ。あなたはサリーの妹だから、エリって呼んでほしい」
兄と愛称で呼び合う仲と明かされて、ヴァイオレットはそわそわと次の言葉を探した。
「じゃあ、あの……えっと、エリさん」
「なんだい」
「……あたしのお兄さんって、どんな人? 背は高い? かっこいい? 」
「背は高くないね。よくチビって言われてる」
貶しているのに、エリの声色はとても柔らかいものだった。
「でもすごくかっこいいよ。あと、きみと顔がそっくりだ」
エリは幸せそうに眼を細めてヴァイオレットを見た。
「きみは可愛いけど、彼はかっこいいよ」
「……エリさん、あたしのお兄さんのことが好きなの? 」
「うん」
エリはあっさりと頷いた。
「僕は彼のこと、世界一かっこいいと思ってるからね」
その輝かしい笑顔に、ヴァイオレットは目を瞬いた。
兄に会う前に、兄に恋をしている人と膝をつきあわせているという事実に、尻がむずむずした。
「そんなにかっこいいことないと思うわ。だって……あたしの兄さんだし」
「惚れた欲目というやつだね」
(この人、恥ずかしくないのかしら)
ヴァイオレットはちょっと呆れる。同時に、少し悔しくもあった。
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