8 ワンダーステラ 前編


 つむっていた青い瞳を窓の外の晴天に向けて、ヴァイオレットは忌々しげに、ハア、と重々しいため息を吐いた。

 着ているのはあの空のように青いドレスだ。出掛ける準備だけは整えたまま、ヴァイオレットは出窓でぐだついている。

 手袋越しの手に肩を叩かれ、振り向くと、『大丈夫? 』と書かれた板を持ったアルヴィンがいた。


「大丈夫だけど……気が重いの」


 わかってくれるかな? というふうに見上げると、頭の形に膨らんだフードが頷いた。


 今日の夕方、王都に特別な列車が到着する。フェルヴィン皇国からやってきた王族たち……アルヴィンの家族が乗っている列車だ。

 ヴァイオレットにとって重要なのは、つまりそこに兄も乗っているということ。

 夜には兄と三年ぶりの再会を果たしている、ということだった。



「――――ねえ、どうしたらいいと思う!? 」


 掴みかかる勢いで顔を近づけると、アルヴィンはのけぞって首を左右に揺らした。

 困惑のしぐさだとヴァイオレットは読み取ったが、脇腹の布地を掴んでむしろ引き寄せた。この憤りをぶつけるには、空はむかつくほど晴れていて遠いし、壁は味気なかったのだ。


「ね~~~え! なに喋ればいいと思う!? ていうかどんな顔すりゃいいってのよぉ! 喜べばいいの!? でもあたし今、今、今はまだ、正直―――――」



 『会いたくない』

 そう口にするには、あまりに家族として不義理な気がして、ヴァイオレットは口をつぐんだ。

 アルヴィンは身をよじって体を離すと、板に言葉を書き出す。


『僕も会うのが怖い』


 ゆっくりと顔を上げたヴァイオレットは、その言葉を読み取って目を見開いた。


「……どうして? って聞いてもいいの? 」


 アルヴィンは頷いた。


『可哀そうだと思われているから』

『僕は末っ子で、年が離れてる』

『こんな体にもなった』

『でも強くなりたいし、たぶん強くなった』

『もっと家族に信じてもらいたい』


 掲げては何度も付け足される言葉に、アルヴィンの逸りが見えた。


『僕は大事にされてきただけ大事にしたい』


『最初は怖いけど』


『でも一緒にいないと分かってもらえないことだから』


『いっしょに頑張ってくれないか』


「アルヴィン、あんた……」

 ヴァイオレットは涙目で笑いながら、怒ったような声で言った。


「……最後のはこっちに言わせなさいよね! 」


 ぱしん! と強めに肩を叩く。

 顔が無くても、アルヴィンが笑っているのがヴァイオレットには分かった。



 ◇




(あと二十分ってところか)

 窓の外を見て、サリヴァンは思う。


 サリヴァンは王都の下町育ちだ。

 杖はこの国において、身分を問わず万人が持つ資格と義務がある。王都という足が届く範囲であれば、サリヴァンは『銀蛇』の従業員として、庭の延長線のように知っていた。

 サマンサ領のある北には向かったことはないが、列車に乗るのだって初めてではないし、こうして外から王都を見ることも何度かあったのだ。


「コネリウス様」

 ここでは「ひいおじいさん」とは呼べないので、サリヴァンは従者らしく、そう声をかけた。


「おお、なんだい」

 到着の準備で上着を手に取ったところだったコネリウスは、目を和ませてコンパーメントへとサリヴァンを迎える。


「どこかのタイミングで、『銀蛇』に戻って装備を整えたいと思います。二日ほど滞在の許可をいただけますか? 」

「わかった。段取りしよう。なるべく早いほうがいいか? 」

「助かります」


 そのとき、ガタンと列車が音を立てた。

 揺れる車内に、上げかけていた腰を下ろすコネリウスと、窓の外、あきらかに停車を始めているとしか思えない速度を視界の端にとらえる。



「ここにいてください」


「行ってこい。自分の身は自分で守る」



 サリヴァンは曽祖父からの短い激励を背に飛び出した。

 ジジが何も言わずとも、車内じゅうに目と耳を飛ばしていく。


 《前方と後方。挟み撃ちされてる。中央は安全。ヒースがついてる。後方はボクが行くよ》

「了解。おれはこのまま前に行く」


 一号車と二号車、四号車と五号車は、護衛と食事を用意する使用人たちが詰めていた。

 二号車にいた護衛官たちは、前方へと出払っているようだ。

 使用人たちは不安げにしながらも、有事の対応のとおり一号車との連結部にバリケードを築いている。ということは、武力行使をしてくる敵が前方にいるのだ。


「仕方ねぇな」


 窓を開け、上半身を伸ばす。「危ないですよ! 」と止める声がするが、サリヴァンは構わなかった。

 日は暮れ、速度はすでにだいぶ落ちている。王都まで一直線に、誘導灯が照らす線路が通っているとはいえ、まだ数十㎞はある夜の草原だ。


「一雨来そうだ」


 窓枠を掴み、身をよじって体を反転させる。窓から車両の天井部に足を付けたサリヴァンは、そのまま走り出した。

 敵がいるのは一号車ではない。機関部だ。

 それがすぐに分かるほど、目視できる異常が機関部に起こっていた。


「……また屍人か。まだ元気なのがいくつかいるな」


 血臭がする。これらが線路を塞いでいたので止まるほか無かったのだろう。

 そのとき、三号車から光が上がった。

 円環を描いて広がっていく光は、一瞬にして車両を飲みこんで草原を揺らして消える。ヒースの『陣』だった。

 音だけでも、車両内の混乱が収まっていくことが分かる。


 サリヴァンはほっと息をつき、すぐに事後処理に切り替えて動き出した。

 困ったことに、機関士が二人とも乗り込んできた屍人に襲われて負傷したらしい。

 優秀な船乗りであるヒースも、列車の運転は畑違いである。


 問題はそれだけではない。

 血を浴びた護衛官の騎士たちが体調不良を訴えていた。


 呪詛のたぐいなら、ヒースの陣の効果が期待できるが、あれはまだ使い始めたばかりだ。どこまでの効果があるか、試用例が少なすぎた。

 そうなると、万が一も考えて、血に触れた護衛たちは隔離も必要である。

 さらに、屍人が草原からあらわれたこと、そして車両がその血で穢れている以上、この列車から出て草原を進むことも、列車を動かして目的地へ向かうこともできないことになる。



「王都に連絡したほうがいいな」

 結論としてはそれだった。コネリウスが唸る。


「仕方ない。『鳩』で事情を伝えて、あちらの対応を待とう」


 鳩とは、鳥のかたちをした伝書魔術だ。国の東西をまたぐほどの距離では長すぎて使えないが、隣接する街と街くらいの距離ならば届けることができる。

 王都の塀の明かりは見えている。じゅうぶん範囲内だ。


「さぁて。我々を足止めする、この襲撃の意図は何かな」


 コネリウスは、迷惑そうにつぶやいた。



 ◇




 時刻になっても、特別急行は駅にやってこなかった。

 聞くところによると、門すらも通っていないらしい。

 信号手からの連絡だと、王都の手前で緊急停車したという。


 兄との再会に強張らせていた体が、別の意味で強張った。


「何があったのかしら」

「まあ落ち着きなさい。すぐ近くまで来ているのは分かってるんだ。列車側からの連絡がじきに来るだろう」


 ステラが腕を組んで、鷹揚に構えたことを言う。

 その隣でクラーク夫人も、同意するように頷いた。


「でも、まだ時間がかかるようだから、どこか座ることができる場所へ移動しましょう? ホームは冷えるから、長くいるのは良くないわ」

「そうですね。喫茶室があるでしょう。入れてもらいましょう」


 同じことを考えていたのか、待ち構えていた関係者が潮が引くように移動していく。

 喫茶室は、ふだんは男性の場所だ。女性ばかりであるからか、ステラが手回しして得た配慮なのか、タバコの匂いが染み付いたホールではなく、比較的小奇麗な個室に腰を落ち着けることができた。


 お茶を飲み、「小腹がすかない? 」と夕食代わりの軽食を取り、さらに待ち続けて……。

 ついには、深夜といえる時刻が迫ってくる。

 すでにクラーク夫人も不安げな顔を隠しきれなくなっている。

 状況を訊くため、ステラはこの数時間のうち何度か席を立ち、そのたびに難しい顔をして戻ってきた。



「これは夜明けまで無理かもしれないな」


「そんなぁ」



 ヴァイオレットは肩を下ろした。気合をいれてやってきたのに、という残念な気持ちと、大丈夫かな、という不安で胸が重い。

 アルヴィンも同じような気持ちを抱えているのだろう。手が落ち着きなく、テーブルの上を彷徨さまよっていた。


「どうしましょう? 一度帰ったほうがいいかしら」


 クラーク夫人の眼は、「子供たちが心配だわ」と言っている。ヴァイオレットたちを早くベッドへ入れるべきだと考えているに違いない。



(こんな状況で眠れやしなわよ)


 ヴァイオレットは、カップに残った冷えた紅茶を飲み込んだ。


(いくらでも待ってやるわ)

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