6 キラーチューン②


 闇だった。

 ごごごう――――と……無数の歯車が渦巻いている。

 噛み合う金具は紙一枚の隙間もなく、つまり光が届く隙間も無い。

 ――――は、数百メートルもの巨大で長大な円柱だった。

 ごごごう……ごごごう……――――。

 円柱の内側で反響する音は、外装でくぐもって夜の静寂しじまに響く潮騒にも似ている。

 円柱それは柱に擬態して、建物の奥底から天までを貫いている。数千年の時を、絶え間のない、しかしわずかなメンテナンスで駆動し続けてきたこの円柱の存在が、ここがどの地面にも触れていない理由だった。

 まどろみの中で、エリカ・クロックフォードは駆動音を枕に、『目』を閉じている。しかし『目』というのは比喩だ。今の彼女は、ただの部品である。目蓋は無いのだから。


 メンテナンスのために唯一外装が露出するその場所で、ジジはその時を待っていた。



 ✡



「クソババア」ヒースの『中』にいるアリスは、嬉しそうに復唱した。「クソババアですって! 」

「老害のほうが良かったか? 」

「やだなぁ。ママって呼んでくれないの? 反抗期かしら! 」

「救えない冗談だね。ボクはクズのアンタに嫌悪感を感じているからそういう態度を取ってるってだ~け! 」

 吐き捨てるジジに、アリスはむしろ顔をほころばせる。まるで我が子が初めて言葉を話したような反応に、ジジは「うげっ」と舌を出した。


「あんたのその物言い、父親そっくり」

「うっとりするな。虫唾がはしる! その子を解放しろ」

「しないわ。あなた、昔のことを思い出したのなら、わかるでしょう? 」

 意味深にアリスは体をなぞった。

 薄い寝巻きの裾からのびた裸足が、冷たい石畳の上をジジに向かって、一歩、二歩、と歩み寄る。ジジはじゅうぶんな距離を目で測りながら、その手の動きからも神経をとがらせていった。


「全部思い出したから、こうも言えるぞ。ボクは三千年前にアンタに勝ってる。リベンジは無い」

「あの大虐殺のこと? 」

「そうだ。ボクはあの胸糞悪いのおかげで、ボクとエリカは学んだんだ。アンタは必ずって! そのために、たくさんの備えをした」

「この子が三千五百歳じゃないのもその? いやだわぁ。あたしのために若い身体を取っておいてくれたのかって勘違いしちゃった」


 次の瞬間、ヒースの長い脚がとつぜん歩幅を増してジジに突撃した。

 無数の針金のような『杖』の線が、網目を描いてその身体からヴェールのように広がって一足早く放たれる。




「――――ンッなァアアアわけが、ねェだろ! 」




 憎悪をこめた怒号とともに、ジジの体は荒れ狂う波飛沫のように『拡散』した。迫る網目を無数の粒子が潜り抜け攻勢に転じようとした、そのとき、ヴェールに触れる空気が揺らめく。


 ジジが「まずい」と思ったと同時に、魔力を熱に変えた炎がジジの細胞を焼いた。赤と白と黒の光がジジの中をほとばしり、身構える間もなく痛みに変換された。

 粒子をこぼしながら、投げ飛ばされた砂袋のようにジジの体は転がる。


「うふっ。この子、あなたと相性が悪いのね」


 繊細な魔術だった。

 杖を大きく広げるには、何より魔力の大きさがものをいう。

 サリヴァンは武器という決まった『形』のストックをいくつも作って時々に使い分けるが、ヒースの銀の糸は、一本ずつが形を自在に変えながら、空間そのものを支配するために操作されていた。

 杖を肉体の延長線と考えて自在に操るやり方は、水や炎を操るのとは訳が違う。兄弟弟子であるサリヴァンよりも、自分の体を『拡散』『収束』して扱うジジのほうが、不思議と感覚は近い。


 明滅する中で、ジジはそう分析する。

 それがどちらのほうが強いかといえば……この場面に限っていえば、傷つけることを躊躇わないほうになるのは必然的だった。


「へっ――――強いんじゃあん……ヒースは戦えないのかと思ってた。……まあそうだよね。弱いわけがない。サリーの兄弟弟子だし、『耐熱性魔法使い』だ。鍛冶神の加護だってあるだろうさ……」

 痛みに喘ぐよりも口を動かしたのは、ジジの経験によるものだ。リネンの寝巻は寒かろうと、目の前にやってきた裸足の脛から上を見上げながら思った。


「この体、予想以上ね。いままでで一番いいわ。とっても綺麗で丈夫だし、あなたに負けないくらい高性能。血筋は創造神の孫だから、とうぜんなんだろうけど。それに、あなたはこの子に傷ひとつ付けられないんだもの。素敵だわ」

「なあ、我が子を焼いたお気持ちは? 」

「先手必勝って知ってる? ためらってるうちにやらなきゃ。やられるでしょう? あなたは、やろうと思えばんだから」

「ははっ……」

 ジジは思わず笑ってしまった。

「そうだな。アンタはそういうヤツだ」


「ことあたしたちの戦いは、非情になれるほうが勝てるのよ。三千年前がそうだったでしょう? あなたたちは、あたしがこの子を使うことをそうして阻止した。だから今回は、より気を付けたのよ」

「……あの時のことは、ボクも反省があったよ」

 体を手繰り寄せて、ジジはゆっくりと体を起こした。不格好に腰を下ろしたまま立ち上がれない姿を見下ろしながら、アリスは首をかしげる。


「まだやる気はあるのね? 」

「おしゃべりは好きだろ、お互いに」

「あたしから遺伝したところね」

「……もういいって、それ」

 ジジは溜息交じりに唇を湿らせて見つめ上げた。


「三千年前は、あれよりいい方法なんて無かった。護るものは多いのに、あの子を護るものはボクらしかなくって、ボクら自身を護るものも少なかった。だから、アンタが次に出てくるときを予想して、違う選択肢が取れるように準備してたんだ。ボクが記憶喪失になるとか、意外な出会いとか、そういうトラブルはあったけどね。結果オーライ。そして案の定、アンタは『選ばれしもの』が出てくるのと同時期に復活した。つまり……」


 ジジは満面の笑みになった。


「今のボクには、がいる」



 ――――ぬるい風が吹く。


 空気がうねりを上げて壁が吹き飛ぶ。壁を食い破ってあらわれた炎の龍は、ジジとヒースの姿を赤く照らし、熱い舌先で舐めあげた。

 剣に変身した杖を肩にかついで瓦礫を乗り越えてあらわれたサリヴァンは、顔をしかめてヒースの足元を睨む。


「入口が分かりにくかった」

 ジジは吹き出して言った。

「ごめんサリー。ここって、そういう部屋だからさァ」

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