6 キラーチューン①


 彼女の喉の奥が、ガラスを引っ掻いたような音を出す。

 ドーンと音がした瞬間、電源が落ちたように真っ暗になり、月が落ちて来たように身体が重くなった。

 天井が崩れたのだと気づいたのは次に目を開けたとき。

 服越しに覆いかぶさる肉と筋肉の、生温なまぬるい重さからは、鼓動が消えている。

 悲鳴を掻き消す轟音と。怒声を上げながら彼の体の下から強引に引きずり出そうとする腕。家族と引き離すかたきのその腕に、噛みついて引きちぎってやりたかった。

 『アリス』は、肉体的には、虚弱体質の少女にすぎない。身長は155㎝まで伸びたが、体重は40㎏にも届かない。頭に布を被せられてしまえば、そしてその場に、彼女と『繋がり』を持つ生命が一人として存在しなければ、誘拐はたやすかったのだ。




 ――――眠って、起きてを繰り返し、気が付けば数年が経っていたと知った。



 シーツの感触、空調のうなる音、電子機器の稼働音、瞳に照らされるライトの光と目蓋をこじ開ける誰かの指とぼやけた視界に映る顔―――――。


「――――ひゃっ! ……ちょっと! 起きてすぐその『眼』を光らせる癖をやめてちょうだい! 」

「……身を守るすべが、これしかないもの」


 ぼやけた視界に焦点があうころには、相手も視線を合わせない対策を取っていた。目隠しである。

「人が動けないのをいいことに好き勝手……」

「人を好き勝手しようとしたのはどっち? 薬を抜いてやったんだから、操ろうとしないで」

「あなたは誰? 」

「貴方を助けようとしてる人よ。ビス・ケイリスクの部下で、エリカ・クロックフォードっていう、ここに拘束されていた女。貴方と同じ立場ね。今から触るわよ」


 吐き捨てるように言って、女はアリスの腕を取った。

「力いっぱい握って……いいわ。ちゃんと電気刺激で筋力は維持されてるわね。最低限だけど」

「あなた医者なの? 」

「本で読んだだけよ。体質的に、読んだ内容は全部覚えていられるの。内容を読み違えてなければ、おそらく貴方は健康体よ」

「あたしの眼の対処法は、あの子から? 」

 ふっ、と笑う気配がした。気配だけでも、それが苦々しい思い出にまつわる自嘲だとわかるような、かすかな吐息の『漏れ』だ。


「貴方が『隊長』の師匠だったことは、ここで資料を読んで初めて知った繋がりだったわ。能力的に、血縁があることは間違いないとは思っていたけれど、生い立ちが違いすぎて六年も一緒に暮らしていたなんて知らなかった。貴方が誘拐されたときも、あの人は何もリアクションが無かったしね」

「だって、あれきりだったもの。あたしの中のあの子は、十一歳のままよ」

「あの人は、死んでしまったわ」


 『今日は残念ながら大雪よ』と告げるような、なんでもなさそうなトーンだった。彼女は死を告げることに慣れていた。


「……あれからどうなったの? 」

「たくさん大変なことが起こったわ」

「一番悪い報告は、さっきのじゃあ無いのよね? 」

「ええ。軽いもののほうから話しましょうか? それとも悪いほうから? 」

「今のあたしの状況から」

「わかったわ……」

 互いの脈を感じ取れる握り方で、手を握られた。


「貴方は今、満三十四歳になった。貴方を捕まえた組織は、貴方が眠っているあいだに貴方の肉体が成長するのを待って、わたしと同じ処置をした。貴方の父親が、研究員たちを雇ってやっていたことと同じことを」

 布の下で固く目をつむる。

「……そう。いま何か月? 」

「28週と二日。七か月よ。使われた細胞は、貴方の旦那さんのもの」

「それを聞いて安心した。本当よ。この程度に取り乱すような人生じゃない。つまりあたしの余命も、二か月と少しってことだわ」

「……本当に動揺しないのね」

「四億人以上の脳みそと同時に接続していたの。あたし、そのためにカスタマイズされた脳を生まれつき持っているのよ。そのぶん、体はか弱いけどね。それで? ここの人たちはあたしたちを使って何をしようとしているの? 」

 少し長い沈黙があった。


「……貴方と同じような、カスタマイズされた人間を、作ろうとしているわ」

「あたしのお父さまのように? 」

「そう。貴方のお父さまのように」

「だから逃げるのね? 」

「ええ。身重になって、お互いに安定期。警戒が緩んだから、今がベストタイミングなのよ。でもチャンスは今回一度きり」

「失敗しても、命は奪われないわ」

「……フフッ。ポジティブなのね」

「あたしは、この世のすべてがあたしに味方してくれるって信じているの。今までずっとそうだったもの」

「変な人ね」

「現に、あなたが助けに来たわ。あたしはハッピーガールよ。自信を持って」

「そうかもね。……そろそろ行かなくちゃ。時間だわ」


 カチャカチャと荷物をまとめる音がする。抱きかかえられる段階になって、感覚がようやく戻ってきたのだろうか。彼女の持つ荷物の中にある、見知った気配とリンクした。


「ああ……。ビスもダイモンも、そこにいるのね」

「……ええ。全部取り返したわ。だから貴方も連れていく。この『眼』は一つもアイツらには渡さない」

「嬉しい」


 アリスはうっすらと心から微笑んで、彼女の首にしがみついた腕に力を込めた。


「……に」




 ✡





 ――――カチ、カチ、カチ……

 無数の歯車が絡み合っている。

 わずかな隙間も許さないほど、執拗な意志さえ感じるほどに、みっちりと。

 規則正しい歯車たちの、ひとつひとつは微かな機械音は、重なり合って轟音となって唸りをあげていた。

 まるで生き物の胎内のような闇。

 そこでジジは、うっすらと目を開ける。


 ――――足音がする。


 獲物を察知した獣の動きで、その巨大な装置の影から抜け出したジジは、その人物が誰か認めると、怪訝に首を傾げながらその名前を呼んだ。


「……ヒース? どうして」

「やあ、ジジ。ここはどこ? 」

「どこって……キミはどうやってここに――――ッ! 」

 次の瞬間、ジジは床を滑るようにジグザグに後退した。その軌跡上を、銀色の光が追ってほとばしる。


「……どういうつもり」

 ジジの首をかしげる癖とそっくりに、ヒースが首を傾げて笑った。

「どうって、かな」


 ヒースは挨拶をするように、右手を顔の前で振った。指の揺れとともに、鋭利に輝く銀線が逃げるジジを追う。空に引かれた銀線は空間に網をし、ジジは黒いかすみに変身してヒースに肉薄した。

 ジジが突きつけた爪を銀線で受け止めて、ヒースは変わらぬ笑みを浮かべている。


「ボクに杖を向けるなんて、どういうつもりかって訊いてンだけど! 」

「君こそ、これ、サリーには秘密だろ? 」

 ジジは鼻の付け根に皺を寄せて唸る。

「それはキミにもそうだった」

「でも、もう知ってるもの」


 魔人の瞳が細くなる。

「……そうか、ついに正体あらわしたってわけ」


 歯を剥き出しにして獰猛に笑うと、ジジはその『眼』を睨みつけた。







「出てけよクソババア。高くつくぞ」

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