6 真実の羽根③
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大人たちを『処理』した後の彼女の行動は、躍進であった。
彼女はまさしく『心を掴む』。その能力をぞんぶんに使いこなし、『お父様』の資産と権力を
深窓の令嬢然としていた彼女の印象も、がらりと変わった。
はつらつとしていて天真爛漫。言葉は情熱的で、ジョークが好き。
長かった髪はばっさりと切り、おとぎ話の主人公のような服はもう着なかった。
体は十二歳より年を取らないまま彼女は二十六歳になり、子供たちは大人になった。そのほとんどが外界で里親へ引き取られて、彼女のもとに残った当時の子供は三人だけだ。彼女の正体を知る幹部陣は、その三人に加え、彼女自身が能力を使ってスカウトした人間が固めている。
ある者は彼女の語る夢に同調し、ある者は彼女の能力に心酔し、ある者は物見遊山で、ある者は彼女の肉体の脆さを心配して、その
施設は、周囲一面の森はそのままで、香水瓶のような高層ビルに建て替えられていた。
ある日そのビルに、一組の若い父子が訪問したのは、必然の導きだったに違いない。
「やあ、はじめまして」
おくるみを抱えた眼鏡の男は、良くいえば柔和そうな、悪くいえば若者特有のヘラヘラした笑顔で、会議室にやってきた彼女を出迎えた。
握手と視線を交わせば、おのずと互いの共通項を見つける。血縁者同士が出会ったときに働く、第六感のようなものかもしれないし、単純に、同じ『眼』を持つもの同士で共鳴のような作用があるのかもしれない。
二人は人種が同じというだけで、髪の色も、顔立ちも、体格も、さほど似てはいなかった。
ただ、青から金に色を変える瞳を、どちらも生まれ持っていたというだけだ。
「まさか、こんなに年の近い従弟がいたなんて、知らなかったわ」
アリスは挨拶もそこそこに、おしみなく男を観察した。わずかな警戒と好奇心に見つめられても、男は動揺することなく応接用の椅子に深く腰掛けている。その腕の中にある布包みは、かすかな身じろぎもしなかった。
「おじさんはおれが男だったから見逃したんだろうね。長い時の中で遺伝子が変質したのかもって、母さんは言っていたよ。けれど、おれたちにも『眼』が出現したおかげで、人生の大半は外国暮らしだった」
「ふうん。じゃあ今さら接触してきたのはなぜ? 」
「息子を助けてほしいんだ」
「『眼』を持っているのね? 」
眼鏡の男は頷く。はじめて彼は神妙な顔になった。「おれの手には負えないんだ」
そういって見せられた彼の息子のほうが、不思議とアリスとよく似ていた。
小柄で痩せていて、肌が青ざめて白く、大きな瞳と小さな鼻の、不健康そうだが可愛い顔立ちの子供だった。
「坊やはいくつ? 」
「今年で五つになるけど、体重が三歳児よりも軽い。瞳が金のまま戻らないうえに、『視えすぎて』いる。いつ脳出血を起こすか分からないらしい」
「死にかけの子猫みたいな呼吸だわ……」
綿毛のような髪は白く、汗で額に貼り付いていた。わずかに瞼が開き、片目で色が違う視線が、うつろにアリスを見つめる。
「あらまあ、オッドアイね。ほんとうに猫みたいだわ。坊や、お名前は言える? 」
「ビス……」
同じ金色の瞳が珍しいのか、小さな手が伸ばされてアリスの頬に触れる。
「ぼくは、ビス・ケイリスク……」
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「どうやらその『眼』ってやつは、人によって微妙に効果が違うみたいだな」
と、『チェシャー猫』がファイリングしたカルテを指で叩きながら言った。
「それとも、ダイモン・ケイリスクが言うように、男にも遺伝するように変異したから能力も違うって可能性もある。ドクターフランクリンも、失踪した姉の能力をぼんやりとしか知らなかったみたいだから、結論はまだ付けられない。現時点で分かった新事実は、アリスは同じ眼を持つ人に『感染』できないことと、あの子はおもに空気中の微生物を『視』てるってこと! 」
「空気中の微生物ぅ? 」
「そうだ。あの子の目は顕微鏡ほども視力があって、しかもその小さな生き物が、生まれて死んでいく場面が見えてる。この、俺たちのまわりに漂う―――――」
『チェシャー猫』は、両手をふわふわさせた。「――――数十億の微生物の
キャスター付きの椅子に座っているアリスは、難しい顔をしてクルリと回った。
『チェシャー猫』は続ける。
「まともに延命するなら、無菌室で人生を送るしかない。俺の医者としての処方はこうなるけど、同じ能力者としての見解はどうなんだよ? 」
「たぶんそのうち、微生物では収まらなくなるわ。あの子の能力は、顕微鏡なみの視力じゃなくって、『命を視ること』なのだと思うの」
アリスは今度は続けて、クルリクルリと二回回った。
「『お父さま』の資料では、この『眼』は、過去と、現在と、未来を視るものだと伝わっているわ。預言者の、シャーマンの眼だったのよ。あたしの能力だって、記憶という過去を視て、現在の行動を支配して、脳を集めることで、未来を『演算』しているのよ。結果的にはそうだといえるでしょう? むしろ変質しているのはあたしのほうで、ビス・ケイリスクの能力のほうがプレーンなのかもしれない。『命が生まれてから死ぬまでを視続ける』って、つくりがシンプルだもの」
「ダイモン・ケイリスクの自分の能力も、シンプルにサイコメトリーって呼ばれてるやつの典型だったな。ビス・ケイリスクも、死という未来を『演算』しちゃってるのか」
「だとするなら、しっくりくるけど、しっくりこないのよ」
「どっちなんだよ」
「子供の脳ひとつじゃあ、未来を視るのには容量が足らないのよ。あたしだって、二億五千万人の『感染者』の脳を使って未来を演算してるんですからね」
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「お世話になりました」
ぺこりと、ビスが白くて丸い頭を下げた。
「後にも先にも、あたしの弟子は、たぶんアナタだけよ。元気でやんなさいよね」
と、アリスはいくらか自分と目線が同じになった弟子を見下ろした。ビスは相変わらず痩せて小さいが、もはや『死にそうな子猫』ではない。
「体に気を付けるのよ」
「あなたもお元気で」
「……最後まで堅苦しい子ね~」
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遠くで銃声が聞こえる。
「――――アリス! 」
「チェシャー! 被害状況は!? 」
見上げる『チェシャー猫』の白衣が汚れていた。アリスはかかとの高い靴を脱ぎ、ストッキング一枚で駆け回って足の裏が血まみれだった。チェシャー猫が、それを見て彼女を抱え上げて立ち上がる。
現在、香水瓶のようなビルは襲撃を受けている。目的は研究内容の強奪――――。
「クローン体は全滅。サンプルが全部からっぽだった」
「
「それも全部持ってかれたよ! 俺のもお前のも含めだ。いいかアリス、もう残機ゼロだ。代わりの体は無いんだ。絶ッ対に死ぬんじゃないぞ」
「わかってる。ぜったい死なないわ。大丈夫よ、この体はまだ使って五年だし、それまでに立て直しましょ」
「ああ、おまえがいれば、俺たちは立て直せる。そうだろ? 」
「ええ、何度だってやれるわ」
―――――その結末は、語るべくなく知っている。だから今があるのだから。
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