6 こじれた関係
出発の朝は、霧がたって森を運河のように青白く染めていた。
見覚えのある青い霧に、サリヴァンはいよいよだという予感を噛み締める。
鍛錬はせず、朝食のために食堂に集まると、先んじて座っていた曾祖父コネリウスが、向かいの席へとサリヴァンを誘った。
「おれはたいがいの贅沢はいらねえ
「それ、聞いたことがある気がする」
「シシシッ! じつをいうと、小さなおまえの舌を火傷させてミイに叱られたことがある」
含み笑いをする曾祖父との思い出話に、慣れないサリヴァンは照れて頬を掻いた。
食堂では他に、ヴェロニカと義姉のモニカが食後のお茶を楽しんでいる。
すでに支度はすっかり終えたようで、旅装のコートを羽織っていた。
そのとき、横目にクロシュカ親子が入ってくるのが見えた。ヴェロニカがそれを見て席を立つ。
サリヴァンはそれがどういう事態を引き起こすか知らず、フォークで卵を口にしてお茶で流した。空きっ腹に塩味がしみる。そのとき、酒焼けしたようなガラガラ声が、甲高く響いた。
「やっだ~! 姫様ったらぁ~! 」
(なんだか盛り上がっているなぁ)
サリヴァンは耳を立てるつもりもなかったが、向かいで「ぶふぁ」という音とともにテーブルに熱湯が降り注げば、この場に何かが起こったのは明白であった。
「……動くな」
とっさに立ち上がりかけたサリヴァンの肩を、横合いから手が伸びてきて席に戻す。祖父ではない。いつのまにかにじり寄ってきていた、アトラス王家三男、ヒューゴ・アトラスである。
サリヴァンはちらりと皿を見下ろして、残念に思った。
「見るならそーっとだぞ」
コネリウスも口ひげを拭いながら……いや、吹き出しそうになるのを抑えながら、サリヴァンに頷く。
――――ヴァイオレットとクロシュカ・シニアが歓談している。しかしシニアはどう見てもこの場を去りたがっている張り付いたような作り笑いで、かなり頑張って女声を作ってくねくねしていた。ジュニアはシニアの斜め後ろで彫像のように座っている。ヴェロニカの隣にいるモニカは、(おそらく義弟ヒューゴに向かって)目で何かを訴えている。
「……あの二人の対姉上への設定、聴いたか? 」
「え、なんです? それ」
「なんだよ耳が遠いな。……いいか? あのでかい地質学者のほうは、うちの姉上の元ダンナなんだよ」
「えっ? 」
サリヴァンは思わず口元をこぶしで抑えた。「……険悪な仲なんですか?」
「いいやァ。離婚に至った事態は複雑でね。別に嫌いあって別れたわけじゃあない」
ヒューゴは手をヒラヒラさせた。
「クロシュカ親子はもともと地質学者である前に、とある宗教国家で議員していたんだよ。とうぜん年齢的に長老になる上に、純潔のドラゴン。生き字引だ。だからまぁ、うちの国の王族は、鎖国していたのもあって外国との繋がりが欲しいし、身内婚で寿命を縮めた自覚がある。でも介入はされたくないから、他国の王族の身内はごめんだった。そのあたりの事情は兄貴の奥さんもなんだが、姉上とジュニアの婚姻は兄貴以上に歓迎されたんだよな。姉上たちはもともと師弟関係からの恋愛結婚なのもあって、夫婦仲もよかった」
「……それ、おれが聴いてもいい話なんですか? 」
にわかに後ろめたくなってサリヴァンが囁くと、ヒューゴは深く頷く。
「むしろこういう話は知っておいたほうがいいだろ。弟としても、姉上たちと一緒に旅する仲間には知っておいてほしい話だしな。
――――義兄は、この『海層世界』が、もともとひとつの海にあったことを解明して、地質学者として世界的に有名になったわけだが、そのせいで国から追放処分になったんだ。義兄が解き明かした世界の形ってやつが、国のさだめる教義的に矛盾するって理由でな。
クロシュカ・シニアは手を尽くして国に掛け合っていたが『研究結果を撤回しない限りは永久追放』で平行線。義兄たちは命すら狙われる事態になって、ついにはクロシュカ・シニアもキレて、息子夫婦を追いかける形で逃亡生活になった。そんな中、父上と兄さんがフェルヴィンで住まいを用意して、こちらに向かってくるとちゅう、姉さんが怪我をした。例の国と同じ宗教の信者が攻撃したんだ。黒幕はあきらかだった」
「それで……」
「ああ。姉さんは嫌がったが、義兄のほうが参っちまった。国に姉さんを送り届けて、手続きをした次の日には出国して……それきり六年間、音沙汰無しだった」
サリヴァンは椅子の脚が鳴らないよう、そっと振り返った。ヴェロニカは、シニアとばかり話していて、元夫とは他人行儀なような、不思議な応対をしている。まるで夫だと気付いていないような――――。
サリヴァンはハッとした。
「……まさか、設定って」
「そのまさかだ。姉さんは二人が『あの二人』だと気付いてない。シニアのほうは見た目も様変わりしてるしな。運悪く『選ばれしもの』になった親子だと思ってるんだ。しかも無口な父親のほうは呪われてるらしいから同情してる」
「そしてどうやら、その『設定』が、ヴェロニカの世話焼きに火をつけたみたいだな。見ろよクロシュカのあの声色を。あのプライドの高いやつが、必死で少女の真似をしていやがる。三千歳の爺さんが哀れったらないな」
コネリウスは、呆れと野次馬心を滲ませて笑った。
「男所帯の女一人って家族だからなぁ、姉さんは。男やもめに一人娘の旅人なんて、世話焼きの血が騒ぐわーな。可哀想だけど、ま、そういうことだ。見守ってやってくれ」
唖然とするサリヴァンの肩を叩いて、ヒューゴは立ち上がった。そのまま片手を上げて、伊達男らしい軽やかさで姉たちへと歩み寄る。
「おーいお嬢さんがた! おしゃべりはそのへんにして、荷物をロビーに運ぶから、部屋までエスコートさせてくれねーか? 」
「トラブルは面白がるくらいがいいぞ」
コネリウスがにやりとしてサリヴァンを見下ろす。
「心掛けるよ」
ため息交じりにそう返し、とりあえずおかわりを注文した。
(……あれ、そういえば。ヒースはまだ寝てんのか? )
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