6 真実の羽根①

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 夜の海のような底知れぬ暗闇に、ぽつんと金色の光が灯るようすを、ヒースはじっと見ていた。

 その身体の輪郭は闇にけ、同化して、穏やかに打ち寄せる波のような空気の流れだけを感じている。

 そこは窓のない石造りの通路だと、その場を通った無数のものたちの記憶が告げた。

 粒のような光は、やがてかすかな足音をともなってやってくる。

 女だ。その身に纏った宝飾や、たたずまいから、彼女は古代の司祭であろうとヒースは思った。

 その両手には捧げ持たれた油が満たされた盆があり、光はその古代式ランタンにあるものだ。通路に浮かび上がる精緻な壁画には、彼らの祖先が『視』てきた今までとこれからの歴史が記されている。

 目を伏せて歩む女は、ヒースたちの前を通るときだけ視線を上げ、その黄金に輝く瞳でこちらを見据えた。


 ―――――子よ。そこにいるのか?

 背後でうなづく気配がした。

 ――――新たな子ができたか

 ……またうなづく気配。


 ――――では見届けろ。我らの新たな子よ。我が名はただ『天秤』と呼ばれている。後の世では『魔女』とも。おまえたちの血のはじまりは、この体からはじまった。すべての子は、我が身を通して正しい力の使い方を学んでいく。



 気が付くとヒースは、また暗闇をみつめていた。

 通路の奥で、光がまたやってくる。

 別の人物だとヒースはすぐに気が付いた。近づいてくると、さきほどの司祭より頭一つ背が高い女だ。しかしその顔立ちには、さきほどの司祭のおもかげがある。血縁であろうとすぐに分かった。

 背が高い司祭は、同じように火を湛えた盆を捧げ持ち、同じように、ヒースたちを見つめて言った。


 ―――――子よ。おまえはわたしの瞳に通じている。


 三人目は、少女だった。まだ七つほどに見える。

 小さな体は宝飾品に覆われ、盆はいかにも重そうだった。

 足取りは今までの二人よりも早足だったが、やはり立ち止まってこちらを見つめて囁く。


 ―――――子よ。我々の瞳は全にして個となる。


 四人目は腰の曲がった老婆だった。


 ―――――子よ。我々の瞳は個にして全に繋がっている。


 五人目は恰幅のいい中年の女だ。


 ―――――子よ。わたしは血筋を通し、おまえの瞳にも通じている。


 六人目は右目に眼帯をしている。鍛え上げられた体には、戦士の風格があった。


 ―――――子よ。瞳は偽らざる真実まことを見通すだろう。


 七人目は隻腕である。生まれつき「そう」だと、ヒースはなぜか知っていた。盆は小さくなり、彼女の左手に握られた棒の先に鎖で下げられている。


 ―――――子よ。我々はこの時代、導き手として王に仕えた。



 通路の壁画が風化していっている。八人目は耳が聞こえない女だ。


 ―――――子よ。我々は死しても消えることはない。


 九人目の老婆は宝飾品をつけていなかった。粗末なチュニックを纏い、髪は無惨にも、まだらに刈り上げられている。

 ―――――子よ。我々は『ホルスの目』と呼ばれる一族だった。

 そのことばのとおり、猛禽のような鋭い目付きをしていた。



 十人目は女王のように着飾っていたが、儚げなほど華奢な少女で、腹の刺し傷から血を流して喘いでいた。


 ―――――子よ。我々は血筋の中に真実を遺す。


 十一人目の女は、襤褸をまとって片足を引きずっていた。


 ―――――子よ。おまえは何か、我らに尋ねたいことがあるな?


 はじめて彼は口を開いた。

「この子に、この子の母のことを」


 ―――――……わかった。


 十二人目は、灯りを持っていなかった。暗闇に黄金の瞳だけが、濡れて光っている。


 ―――――子よ。では見届けるがいい。この結末を。


 十三人目は来なかった。十三人目が来る前に、通路は風化して入口も出口も無くなったのだ。長い時間を闇と同化してヒースは待ち続け、やがて天井が崩れて陽が射した。砂埃にまみれた通路へようやくやってきた十三人目は、すっかり当代風の軽装をしている。

 十三人目は今までの誰よりも美しい少女だった。壁を指でなぞりながら崩落して光にさらされた通路を進み、わずかな暗闇の隙間に目を止める。

 そして、そこにいるヒースたちに向かって口を開いた。


 ―――――子よ。我々は一度滅び、名と身分を変えて地上へと逃れ、血を繋ぐことを選んだ。その枝葉の先の一枚がわたし。


 十三人目は、おもむろに半歩振り返り、崩落した天井からこちらを見つめる男を手で示す。


 ―――――あの男は我が兄。我々の力は女に継承され、時には妻に、時には呪い師としてあった。すべての記録は血筋から継承され、あれには継承されなかった。けれど繋がりは、あれの血にも宿っている。

「ソフィア! 」

 男が十三人目を呼んで、帰ろうと言う。


 ―――――これからわたしは息子を産み、兄は娘をつくる。あとはその娘に訊きなさい。


 それだけ言って彼女が踵を返すと、そのサンダルで踏まれた砂が大きく舞った。陽光に金色に輝く砂が視界を覆い、世界が白に引っ繰り返される。

 さらさらと世界が移り変わり、そこはもう砂漠ではなかった。

 しんとした朝方で、裕福な家庭の子供部屋のように見える。

 さきほどの男が、揺り篭に覆いかぶさるようにして中身を覗き込んでいた。

 薄瞳の色は金ではなく灰色をしている。揺り篭のふちを握りしめた手には血管が浮き、眼鏡は手垢で曇っていた。赤子をじろじろと見下ろす視線は、ひどく薄暗い。

 男は満足したのか、鼻を鳴らしながら上半身を持ち上げる。彼が足音を鳴らして部屋を出て行くと、あとには赤ん坊だけが残された。

 ヒースの視界は男を追う。

 子供部屋の外は、想像していた邸宅のようすを成していなかった。

 ヒースが子供部屋だと思っていた場所は、それ単体が独立した建物であり、壁の一面が硝子張りになっている。土の上に放り出された積み木のようなその建物は、無数の大人たちに囲まれて記録を取られているようだった。

 男の足は『子供小屋』の隣にある何倍も大きな建物の中に吸い込まれていく。

 貧乏ゆすりをしながら昇降機に乗り、男は建物の地下に降りていく。

 辿り着いたのは、うす黄色いライトで照らされた廊下だ。すえた匂いが漂ってくるかのようだ。


「経過は? 」

 男は入口にデスクを構えた職員に向かって吐き捨てるようにして形式的に訊ね、首を振られると薄暗く不吉な廊下を歩きだした。

 いくつかの扉の前や、あいさつをしてくる職員の前を通り過ぎ、ある部屋の前で首から下げたカードを扉の横に叩きつけると、新しい通路が開く。それを何度か繰り返しただろうか。

 その部屋も、様式はさきほどの『子供部屋』とそう変わらない。

 壁の一面だけが硝子張りであり、違うのは、地下深くに位置するということと、その部屋が赤ん坊ではなく幼児用ということ。


 中では、黒髪の幼児が猫のぬいぐるみを抱えて、絨毯の上に座り込んでいる。

 その姿を見て、男はむずむずと笑顔になると、部屋の前にあるマイクに向かってこう言った。


「おはよう、アリス。ご機嫌はいかがかな? 」

「お父様! 」


 顔を上げた少女の瞳は、まだ鮮やかな青だった。

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