六節【黄金の目】

6 冥界侵食

 が起こったのは、サリヴァンたちがこの浮島にやってきて四十八日目の朝だった。

「なんだあれは……」

 日の出とともに鍛錬に出たサリヴァンの目に映ったのは、エメラルドとオレンジに混ざりあう、世にも不気味な空だった。

 波間の光のような紋を描きながら天は揺れ、太陽はその薄曇りの中に、ぼんやりとかすかな光をそそいでいる。木漏れ日は輪郭りんかくを無くし、わずかな緑は灰色に見え、紺色をいたような陰鬱な薄い影が落ちていた。


 人々は自然と食堂に集まった。

 十日前にやってきた、ココ・ピピ率いるエウリュビア号は、サリヴァンの曾祖父コネリウスとクロシュカ親子、そして師アイリーンの夫、アズマ シオンを乗せていた。彼らもまた、和気あいあいとこの場に馴染んでいる。


 しかし彼らについて、サリヴァンには気になることがあった。アズマシオンという男が、先日十八歳になったばかりのサリヴァンよりも、三歳ほども若く見えることだ。

 アイリーンが母親ということになっているヒースにとっては、シオンはとうぜん父親ということになっているわけだが、彼女の鍛錬が忙しすぎて挨拶以上の雑談ができていない。

 そのヒースによれば、サリヴァンの父とは同級生のはずであるというし、まだサリヴァンが辺境伯家にいたほんの小さなころには面識もあったはずだが、彼自身にその姿のわけを直接聞いたところで、曖昧な笑みが返ってくるだけだった。


 コネリウスのほうも、十二年ぶりに会ったというのに老いるどころか、久々の冒険を経験してか、より若返ったように見えるのにも驚きがあった。髭を短く刈り上げて髪を結うと、強いまなざしもあってか、(すくなくともフェルヴィンで見たレイバーン王の亡霊より二回りは)若々しい。これは曾孫としては喜ばしいことである。


 クロシュカ親子は、どことなく少し距離を置いているように見える。連れだっていることが多く、与えられた部屋がどこにあるのかも、よくわからない。


 ケツルの船乗り、ココ・ピピとその一団は、旅人たちを浮島に運ぶと、とんぼ返りで『魔法使いの国』へと戻っていった。沖合に沈んだまま情報収集に努め、六日おきに補給もかねて戻ってきては、また昇っていく。

 新たな客を迎えて大きなトラブルもなく、そして今日だ。


 誰もあの不気味な空の下へ出て行くには気が進まないまま、昼の手前になって、エリカが食堂にあらわれた。

「遅くなってごめんなさい。正確な結果をお伝えするためには、正確に計測しなければならなかったの。これはどうやら、19海層ここまで冥界が追いついてきたということみたいね」

「フェルヴィンと同じ状態ということかい? 」

 ソファでくつろいでいたグウィンがたずねた。


「そうね。あなた達が旅立ったころのフェルヴィンの状態に近いでしょう。これがあらわすのは、いまごろのフェルヴィンは、もっと深く冥界に沈んだということ。つまり第20海層フェルヴィン皇国は、命あるものを拒む場所になったということです」


 この場にいる半数以上の故郷がフェルヴィン皇国にある。

 動揺が一瞬波紋のように広がり、すぐに鎮静した。


「昨日の夜遅く、エウリュビア号から緊急の知らせも届いたわ。……どうやら陽王エドワルドは、年始の舞踏会の招待状リストに、ヴァイオレット・ライトを追加したようね。計画通り、ヴァイオレットは王都にぶじ到達し、陽王と接触することに成功した。あちらの準備は順調だと言っていたわ。つまり我々も浮上の時が来たということよ」

 視線を向けられて、サリヴァンは頷いた。


「改めて口にするわよ。今回の我々の目的は三つ。①陽王にフェルヴィン皇国復興の支援を交渉すること。②『選ばれしもの』の試練の旅の全面的な支援を交渉すること。③それをふまえて『魔法使いの国』から『最後の審判』が始まったことを、正式に諸外国へ声明を出してもらうこと。

 ①はいうまでも無く、『選ばれしもの』のうち三名がフェルヴィンの民であることは無視できない。①をクリアできないと、『審判』の最初の地としての正統性が後々揺らぐことになるわ。なんとしてでも、フェルヴィン皇国の存在と現状を、世界にアピールしなくてはならない。これはその最初のステップよ。②と③は、①よりも一段優先順位が下がると思ってちょうだい。支援があろうと無かろうと、どうせあなた達『選ばれしもの』は旅をする運命さだめにあるのだから」

「ま、でも、あるにこしたことはない」ジジが皮肉気に言った。

「そうよ。だから今さら礼儀作法や、社交界での立ち回りを叩き込んだのよ。そのあたりの仕上がりはどうなの? ジジ」

 ジジは鼻を鳴らして、肩をそびやかした。

「ボクを誰だと思ってるの? ボクのすべてが、対人間に特化した性能なのはご存じ? 」

「サリヴァン、どうかしら」

「ジジがそう言うならなんとかなる気がしてきたかな」

「ヒース、あなたは? 」

「たぶん大丈夫じゃない? 」

 苦笑ともとれる微笑みを浮かべたヒースについて、ジジが補足した。


「ヒースに関しては、人の顔を覚えるのが抜群に早かったから心配ないよ。商人だから場数も踏んでるしアドリブが利くね。サリーは練習は完璧だけど、実践が少ないところを懸念するくらいかな。下町に来る店の接客くらいでしか上流階級と接触が無いしね。まあでも、度胸はお墨付きだから。ボクもいるしね。これが一番大事なところだ。そうだろ? 」

 胸を張るジジの肩を小突いて、サリヴァンは言う。「はいはい。頼りにしてますよ、せんせ」


「よろしい」

 エリカは大きく一度手を叩いた。

「じきに、フェルヴィンと同じように、この19海層も時間の流れにずれが生じるでしょう。その前に、急にはなりますが、明日の昼には『魔法使いの国』へ出発することといたします。各自、調整と準備を」



 ✡



「……明日出発だってさあ」

「もちろん知っていますとも」


 ヒースは膝を抱え、隣を見ることなく空を仰いだ。涼やかな風が草原を撫でている。雲の流れは速く、その形は、どこかの記憶にある形をしていた。

「では、この鍛錬も早く仕上げないといけませんね」

 背後に立つ声が言った。

 ヒースは言葉で応えるかわりにため息を吐いて、自分の手に視線を落とす。

「寝てる間にこっそりやる修行に、ようやく慣れてきたところだったんだけどな」

「あまり慣れるものでもないのですよ。どうしても疲れてしまいますから。生きていたころの僕はこの鍛錬ばかりやって、寿命をおおいに縮めました。あなたはほどほどにするほうがいい」

「それ、あなたが言うの? 」

 ヒースはクスクスと笑った。

「鍛練は、必要なことですからやっているんです。何事もほどほどがいいということですよ」

「じゃあ今日は、鍛錬じゃなくって、こうしてお話するだけにしない? 」

「そうですね。あなたは英気を養わないといけません」

 声の主はそう言うと、斜め後ろに寄り添うようにして座る気配がした。その瞬間、皮膚に感じる風がとつぜん重さを増し、草のにおいがぷんと薫る。太陽は輪郭を取り戻し、空は青く、より高くなった。

 背後にある気配が、大きく緑の薫りを吸い込んだ。


 ここは夢の中であり、ヒースの記憶の世界でもある。もう十二年も昔、子供のころに触れた辺境伯領の丘。彼が補強してくれれば、それはまるで現実と遜色なくなるのだ。


「さて――――では、どんな話をしましょうか」

「あなたの話を」

「では、すこし長い思い出話を……」


 なにか考え込むような間を置いて、そっと肩に手が触れる。

「いえ……そうですね。の家族の話でもしましょうか」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る