2 フランク辺境伯の憂い

 ライト家当主のフランクは、初雪が降る二週間前までは、今年も例年通り麓の別邸で家族の団欒を過ごすつもりだった。

 ライト家には領主であり当主であるフランクのほかに、もう一人の『ご意見番』がいるというのは、ライト家を知る者たちの間では通説である。

 その翁、御年八十九歳。名をコネリウス。

 尖った長い耳は、エルフとも呼ばれるフェルヴィン人のあかし。真っ白な髪は、むかしは赤毛交じりの黒髪だったという。身の丈ひときわ大柄で、フルネームに『アトラス』が付いたりする。


 二代前の女領主、ローラ・アン・ライトの夫で、外国から婿入りしてきたその男は、早くに息子夫婦を亡くし、妻と二人で孫であるフランクを育て上げた。

 妻亡きあとフランクが領主を継いでからは、隠居と称して屋敷を離れ、山中に小さな小屋を建て、そこで山男のように暮らしていたのだ。


 サマンサ領は広大である。領主夫婦が屋敷に座しているだけでは領地経営はまわらない。険しい山岳を一年の内に何度も越え、沖合の島へも年に三度は船に乗って視察におもむく。

 領主の邸宅は、一人娘のヴァイオレットの就学をきっかけに、主不在であることも珍しくなくなり、家族が一つ屋根の下に集合できるのは、雪が深くなり物理的に身動きが取れなくなる冬の間しかない。


 長命なる純血のフェルヴィン人であるとはいえ、高齢のコネリウスと過ごす時間をフランクはとても大切にしていて、一人娘のヴァイオレットも父の意をくみ、冬期休暇は必ず帰省すると決めていた。

 しかし当のコネリウスは、何かと理由をつけて下山したがらない。放っておけば、雪に埋もれた山小屋で一人寂しく春を待とうとする。

 そこでライト家では山に初雪が降り始めると、嫁であるミリアム夫人か曾孫のヴァイオレットが、おじいちゃんを迎えに行くのが慣例だった。

 かつて祖国のために数多の冒険を乗り越えたコネリウスといえど、この孫嫁と曾孫娘にはとても甘かったのである。


「……気を付けなされ。領主よ」

 この五年ほどのコネリウスの口癖はこれだった。


「陽王エドワルドに隙を見せてはなりませんぞ。あの若者はたしかに革新的なお方。この国を発展させる力がある男。しかしそれが、このライト家……ひいては我らが陰王が、脈絡と築き上げてきた信仰の柱にヒビをいれる未来も見えまする」

 それは血のつながった家族としてではなく、先代から仕え続けた家臣としての進言だった。


「陽王エドワルドは時代を変える男……そして時代の転換期には、古きものを廃する大きなうねりがあるものです。外国人の俺を軒下に入れることは、当家にとって大きな『弱み』になるやもしれない。あなた様を育て上げた時点で俺は役目を終えた男。まさしく『古いもの』。俺一人を遠ざけることで、懸念がひとつ消えましょうや」

「おじいさま。悲しいことを仰らないでくださいと何度も言いましたでしょう。おじいさまがこの国にやってきて七十年近く……。もはやおじいさまを異邦人であると陽王が糾弾したとしても、それがなんというのです。僕がおじいさまの孫であることも、もはや変えられぬ事実でしょう」

「しかしだなフランク……」

「大丈夫です」

 穏やかに、しかしきっぱりと、フランクは断言した。


「民意の陽王と、神意の陰王。ここは神の体の上にできた国。二つの王が並び立ってこその『アストラルクス』。ぼくは領主として……臣下として、エドワルド様を信じています」



 ✡



 焚火の光を見ながら、コネリウスは思い出していた。

 しかし実際、こうしてライト家は離散の逃亡生活となっている。

 語るならば、最初のきっかけは、やはり陽王エドワルドの存在。戴冠とともに行った、その政策である。


 陽王エドワルドは、現在三十七歳のフランクより六つ年上の四十三歳である。

 前代の陽王崩御のあとすぐ、三十歳の皇太子だったエドワルドが予定通り戴冠した。

 エドワルドは、二十年前の内乱鎮圧に大きく力を発揮したということで、すでに民の期待を大きく背負った王であった。

 なかでもフランクと同世代の若者たちの期待は大きく、華やかな外見と人柄も、支持を受けた大きな要因といえた。


 エドワルドがまず始めたのは、外交の革新である。

 開国からの数十年、魔法使いたちは『魔法』という神秘の技術を売り込むことで外交を行ってきた。


 次代の王であるエドワルドが始めた外交は、さらにその先。

 魔法技術だけでなく、『人材魔法使い』そのものの派遣事業である。


 内乱から戴冠という節目を経て、民の意識は『外』へと向いていた。

 魔法使いが下層世界の各国をさしおいて先進国へと駆けのぼったのは、『魔法』という技術に必要な基本的な教育が、世界的に見て高水準だったためもある。


 魔法使いは好奇心が強い民族だ。

 開国以前は、すでにある魔術というものの研究で解消されていた好奇心は、開国をきっかけに流れ込んできた『科学』によって強く刺激された。

 多くの若者たちは上層世界へ焦がれたが、第18海層という物理的な壁が好奇心を阻む。

 エドワルドはそういった若者たちへチャンスを与えたのだ。


 すなわち『留学制度』の導入。

 国をあげた魔法使い派遣事業。希望者は試験と技能で振り分けられ、各国へ散った。そうして新しい知識を蓄えた人材は任期を終えて帰国すると、今度は故郷での事業に振り分けられる。

 魔法使いの国は下層世界においてして、文句をつけようが無いほど技術大国としての急成長を遂げた。


 そうして盛り上がる反面、機運が下がったのが、昔ながらの『魔術』を尊ぶ『影』の側にいる民たちの意識である。

『伝統』『信仰』神秘を守ってきた民族であるという『意地』と『誇り』。


『魔術をただの技術とおとしめ、神秘を安売りし、信仰の道を狭めた』

 魔術師としての研鑽けんさんこそを生業としてきた古い家は多い。

 彼らはいつしか『陰王派』と呼ばれ、逆にエドワルド王支持のものは『陽王派』と呼ばれるようになった。


 ライト家が領主を務めるサマンサは、『頭の島』最北東、先端に位置する。

 今でこそ辺境の領主であるが、サマンサ領ライト家は『陰王』の聖廟を守護する筆頭神官の血筋であった。


 建国以前まで時をさかのぼれば、ロォエン家とライト家は並び立つ家柄。『陰王』によって役割を振り分けられたともいえてしまう歴史があった。


 コネリウスがライト家の婿となった当時は、廃嫡とはいえ、他国の皇子が婿入りするのに許される程度の『格』が認知されていた。

 開国とともに陰王の存在が薄くなっていったことを誰より感じていたのは、他でもないライト家で、妻子なきあとも家を守って来たコネリウスである。


「……時代は変わる。この世の価値は流動的だ。妻は『それでいいのだ』と言った。私もそれでいいのだと思った」

 諦観をこめてコネリウスは言った。膝の上に顎を乗せた子犬が、上目遣いに老人を見上げている。老人の瞳に焚火の赤い影が映り込み、揺れている。


「……技術革新。大いに結構。上層進出。大いに結構。ライト家に栄光はいらんのだ。ただ日々を穏やかに暮らしたいと願うだけ。我らが神に願うのは、この国の安寧……人々の平和な暮らし……食卓での小さな祈り……。我々が祈るのはそんなことだ。そうだろう? なぁミイ」

 クゥンと膝の子犬が返事をする。




 ―――――今年の初雪が降るころ。

 サリヴァンが、最下層フェルヴィンへと旅立ったという知らせがライト家に入った。陰王……アイリーン・クロックフォード直々に放った伝令であった。


 それが意味するのは預言の成就。

 すなわち、『デウス後の・エクス・審判マキナ』開幕の知らせである。


 伝令は同時に陽王エドワルドにも放たれていた。コネリウスは、自身の楽観を恨まずにはいられない。

 『陰王派』を名乗る『魔術保守派』の者たちと、陽王エドワルドの側近たちは、早急に行動を起こした。


 どちらも目的は『陰王派筆頭』であるサマンサ領主一家の確保。

 『選ばれしもの』となったサリヴァン・ライトを陽王派に取り込むこと―――――。


 新たな敵は身内にいた。『魔術保守派』。ライト家の後ろに立っていた古い神官家系のものたちで、それは構成されている。


(サリヴァン……ヴァイオレット……)


 人類存亡を賭けた『最後の審判』ですら、頭が政治に傾いた彼らにとって、国家発展の好機でしかないのだ。


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