1 王兄オズワルド

「あたしの名前はヴァイオレット! お察しの通りのワケアリだけど、天空神の加護ありき天才魔女ヴァイオレットとはあたしのことよ! よろしくっ」

 赤毛の少女は、ハツラツとした笑顔で名乗った。「レティでもヴィオラでもお好きにどうぞ! レティのほうが文字数が少なくていいかもね! 筆談って大変でしょ? 」


Lettyレティ

 アルヴィンが石に書いて見せると、ヴァイオレット……レティは、肩をすぼめてクスクス笑う。

『ありがとうレティ。やっぱりきみは、サリーさんの』

「ほら出発するわよ! 目指すは南東! 」

 アルヴィンは書きかけの質問を文字通り抱えたまま、駆けだした少女を慌てて追いかけた。



 ✡



 遠く遠く、ウルラ湖よりもずっと南。

 ある一人の男が、窓辺に立っていた。

 空は墨色に重く濁り、男がいる塔の先に、突き刺さるほど低く垂れこめている。

 忌々しげに雲を睨み、男は手ずから厚いカーテンを下ろした。


「……ライト家の拘束はどうなった? 」

「それが……――――」


「――――なに? 娘のほうすら逃がしただと? 」


 身をすくませる僕(しもべ)の頭の上に、溜息が降り注ぐ。


「致し方ないか……ライト家には『影の王』がついている。彼女の預言が付いている時点でこちらは後手に回るしかないのだから……」

「はい。不甲斐なく……」

「よいと言っているのだ。夫人はコネリウス翁(おう)と消えたのだろう。コネリウス翁は、かつて戦禍(せんか)の下層世界を踏破した猛者。なまなかな捜索では欺(あざむ)かれると分かっている。当主フランクを引きずり出す方法ならば、私の方に策がある。夫人と翁(おきな)を追い詰めるのには、ことさら気を張るのだ。最悪、居場所さえわかればよい」

「で、あれば……」

「……娘に狙いを集中しろ。鷹に変身するといっても十四の娘。まさか鳥のまま逃げ回るわけにもいくまい。人里に降りたときを狙うのだ」

「承知いたしました。それと、ご報告のことがもう一つ……――――」


 僕(しもべ)は低い声で、ウルラ湖沿岸での山火事と、原因とみられる『火種』の仔細を話し始める。

 魔人、亡者、炎を放つもの――――。


「……いかがなさいます、

 男はまた、小さく吐息を漏らした。

「あの美しい森は、すっかり焼かれてしまったのか? 」

「え……いいえ、被害は森の半分ほどでしょうか。火種らしきものが」

「……それは良かった。幸いなことだ。森には恵みの術を施せ。いやはや『審判』で最初に国庫をひらく機会が山火事の処理とは」


 男は疲れ果てたように、天井を仰ぎ見る。

「一人でよい。ライト家のものを一人、我が元へ……」

 懇願にも似た声色で、男は僕へ再度命令を下す。


「さすれば、我が甥サリヴァンはここへやってくる他(ほか)なくなるのだから――」



 ✡



 約三十年前、上層からはるばるこの神秘と魔術の国にやってきた大使、スヴァール・エトーは、王都アリスを『大輪の青い野ばら』と称したという。


『誰もあの力強い野ばらを摘み取ることは出来ないだろう』


 魔法使いの国主・陽王(ようおう)の懐柔(かいじゅう)を任務として送り出されたはずのスヴァールは、本国にそう首を振った。


『民の信仰の力は根となって、あの海に深く深く根付いている。魔法使いは赤子であっても故郷から離れることを拒絶するだろう。神秘は信仰なき我々のもとへは手を貸すことはない。我々は、魔法使いを辺境の蛮族と侮っていたと認めるべきだ。先に侮辱したのは我々なのだ』


 本国では『弱気な交渉』と強く糾弾されたスヴァールであったが、彼は大使を解任されたのちも、繰り返して『魔法使いの国』への外交を慎重にすべしと主張した。


『あの野ばらの棘は、摘み取るものに容赦をしない。敬意をもって咲くことを許せば、野ばらは我々の目を楽しませてくれるだろう』


 『青い野ばら』。

 その言葉を引き出したのは、王都アリスに広がる青い空だ。

 古来より、魔法使いは星を尊んだ。そこで生み出されたのが、『雲除け』の魔法である。

 下層世界にかかる分厚い雲を克服したことからも、大使はこの国が持つ力を確信したという。


 しかし『閉鎖された神秘の国』という立場を貫くと思われた『魔法使いの国』は、スヴァールの訪問から十年余りで『魔術』という技術の開示を申し出た。



「時は止まらない。もはや魔術だけで成り立ってきたこの国の安寧(あんねい)は、終わったのだろうね」


 そう言って、オズワルド・ロォエンはお気に入りの植木にハサミを入れた。

 王子オズワルドの愛する薔薇園は、適度な湿気と温度管理が必要だとして、ガラス張りの広大な温室の中にある。

 関係者には『ジュエリーボックス』の隠語で呼ばれる秘密の花園は、オズワルドと、その弟――――陽王エドワルドの、秘密の歓談の場でもあった。

 日に焼けた胸板をシャツから覗かせる色男然とした陽王エドワルドに比べ、兄のオズワルドは丸々と福福しい男だ。

 秋の麦畑のように豊かな金髪と、淡い青紫の瞳の色彩が、兄弟の血を結びつける要素になっている。


「では兄上は、魔術以外の何が、三千五百年もの安寧をこの国にもたらしたと? 」

 温室に置かれた長椅子に横たわった陽王エドワルド・ロォエンは、気だるげに長い金髪を掻き上げて尋ねた。


さ」

 と、オズワルドはハサミと口を動かした。


「あふれ出る好奇心が、魔法使いたちを知識の探究に走らせる。我々は、赤ん坊にいたるまで知識の探究者だ。この世界の秘密が知りたい学者たち――それが魔法使いの本性なのさ。最初に手にしたものが魔術であったから、魔法使いは魔術を研磨し続けてきたというだけの話。……これからは科学という『未知』が、我々の前に拓(ひら)けている。我らはこの世界がどんな形をしているのか、『知りたい』だけで戦争を避け、この小さな海に引きこもり……最下層フェルヴィンが上層進出する機会も奪い続けてきた」


「それは皮肉かい。兄上」

「まあ、そうだね」

 細い目をさらに細め、穏やかにオズワルドは笑った。

「美しい花を咲かせるためにはね、エド。こうするんだ」

 シャキン。ハサミが蕾を落とす。

 ハサミを入れる薔薇の木立。そこに小ぶりの花を咲かせる薄紫の薔薇は、名を『リトル・』という。


「世界は移り変わるよ」


 切り取った蕾を鼻に寄せ、王の兄は深く息を吸った。


「魔法使いは、そろそろ剣を取るときだ。だから手始めに、を与えてあげなくてはね」




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