1 Hello
✡
落ちる。
……落ちる。
……落ちてる。
(――――落ちてる!? このあたしが!? )
ヴァイオレットは空を飛んでいた。
投石みたいにカッ飛んでいた。
翼を広げる暇もない。竜巻にかじられたみたいに、めちゃくちゃに回転しながら飛んでいく。無様としか言いようがない。恐怖と同じくらい、もしかたらそれ以上に腹立たしく、プライドが傷つけられる。
着地した瞬間、生まれて初めて空を飛んだあとにゲロゲロ吐いた。吐しゃ物の上に倒れ込むことはなんとか防げたようだと、土の薫りを嗅ぎながら思う。
狭まる視界に、ちらりと誰かの人影が見えた。
✡
(……どうしよう)
アルヴィンは途方に暮れていた。
着地の瞬間、先回りして上昇気流を作った。燃える地面に落さないように風で押し出し、うまくフカフカした腐葉土の上に落せたと思う。
吐しゃ物を噴水のように撒き散らした姿はあまりに哀れで、アルヴィンは心の底から申し訳なく思って、灼銅の魔人から手足だけの姿に戻り、その鷹を抱き上げようとして。
その瞬間、鷹は女の子になった。
もし、まだ顔があったなら、アルヴィンは冷や汗にまみれて涙目になっていただろう。
野生の鷹だとばかり思っていたから、「えいやっ」とやったのだ。人間だと分かっていたら、もうちょっと手はあった。
とりあえず、彼女が羽織っていた外套でくるむようにしてみたが、少女はその下に肩と背中が剥き出しの服を着ていて、どうにも困った。どうやら翼を出す部分に布が無いらしい。
今のアルヴィンには両足と両腕が関節くらいまでしかないので持ち上げることも難しく、心で何度も謝りながら、近くの木陰までゴロゴロ転がすしか動かす術がなかった。
髪と服に土か木葉かもわからないものがいっぱい付いて、彼女の両親と将来の夫に謝りながら黒く柔らかくなった葉っぱをせっせと取ってやったりしていたら、いつのまにか暗くなっていて青くなり……。(もちろんこれは、心情的表現だ)
(ああ、ぼく、もう……僕ってやつは……なんてことを……僕じゃ今が暑いか寒いかもよく分かんないし……)
アルヴィンは小さな焚火を起こし、数分ごとに少女が死んでいないか確認しながら、膝を抱えて夜を待つことになった。
ボウ、ボウ、と、知らない鳥だか虫だかの声がする。ほんの数歩先の木陰が揺れれば、そこから野生のウサギが勢いよく飛び出していった。
ボウ――――。
ふと、音が止む。
切り取られたように静寂が落ちたことにアルヴィンが気が付いたのと、敵意を感じて立ち上がったのは、後者の方が先だった。
心臓の炉に火を灯そうと上げた右手を、横合いから伸びてきた腕が制した。
「しぃ~……」
少女は、身を低くしてあたりを見渡しながら音を立てずに前に出た。爪先で焚火の枝先を引っかけて崩し、上に土をかけると、後ろ手にアルヴィンの手を掴んで早足で木々の間を歩き出した。
「……見つかっちゃった。あのね、この森、火を起こしちゃ駄目なのよ」
囁き声で叱責する少女は、前ばかりを見ていてアルヴィンの姿は視界に入っていない。
しばらく歩いて声がないことに違和感を覚えたか、木々の間に身を潜めるように立ち止まった彼女は振り返り―――。
「ビョワ―――――――――ッ!?!? 」
……と、森じゅうに響き渡るほどの悲鳴を上げた。
✡
「てててててててくびのおばけ!!!!!! ……ハッ! 」
ヴァイオレットは自分がいかにマズいことをやらかしたのか、すぐに気が付いた。
この森には、軍属の魔術師たちが放った追手の魔術が飛び交っている。
それらは夜が深まると活性化した。木を既定の形にしただけの人形を核にしており、命じられたままに動く。
今回組み込まれている命令は、おそらく、いや、確実に、逃げ出したヴァイオレットの捜索である。
やつらは熱や音を感知してやってくるのだ。
ヴァイオレットが鷹に姿を変えたのと同時に、『
青い炎が空中に渦巻く。炎から金属が生まれるように、灼熱の赤い鎧が顕われる。手をついていた木肌がじゅぅと音を立て、手のひらの形をした焼き跡をつくった。
空洞の兜の中で、透明な視線が的確に木々の闇の先を見つめている。
ヴァイオレットはそれを、身を滑りこませた梢の上で見ていた。彼女の目は油断なく、この鎧の怪物も視界に入れて、次にどうするかの選択肢を探している。
(目立ちすぎちゃった。もう逃げるのは無理ね)
羽の表面を熱を持った風が撫でている。この鎧から発せられる熱が、空気を動かしているのだ。これは特大の目印に違いない。
ヴァイオレットに示されている選択肢は二つだ。
この怪物を囮にして高く飛んで逃げるか、ここに留まり、怪物がなんとかしてくれるのを待つか。
今日は晴れていて、月も明るい。最初の案は、どこまで距離を稼げるかどうか。ヴァイオレットは、今更痛み出した翼の付け根と脚を想う。
こんなときに限って、ヴァイオレットの勘は働かない。つまりは神さまが、「まあ自分でなんとかしなさい」と言っているのだろう。
(いじわるだ。いろんなことが)
怪物のまわりに、炎が渦巻いた。星空を宿した暗黒の炎だ。
(このひとは、あたしに与えられた『親切』かしら? )
✡
朝の光を浴びて、ヴァイオレットは落ち葉の下から這い出るようにして目を覚ました。
土の中というのは意外に温かい。落ち葉は天然の毛布だと、この野生児は公言してはばからない。
「……おはよう。あんた、そこにいたの」
『手首』は、おそろいの『足首』を抱えるようにして、無い尻で木の根元に座って……『収まって』いた。
「ねえあんた、名前とかあるの? なんていうの? 自己紹介しましょうよ」
髪を手櫛で梳いて土を落としながら問いかける。「あ~……髪の毛の色、戻っちゃってる。だいじょうぶかなこれ」
すると、ごそごそと落ち葉が動く音がした。落ち葉の中から大きなものを拾上げた『手首』は、指先を押し当てるようにしてなぞる。ぱりぱりに乾いた落ち葉は、みるみる縮んで砕けてしまった。
「……ちょっと待って」
ヴァイオレットは、脚先で落ち葉を掻くようにしてあたりを歩き回ると、落ち葉に埋もれた石を探し当てた。
越冬準備をしている虫から奪った人の頭ほどの石を、『足首』の下に置く。蠢く虫に腰が引けていた『手首』は、素直に石の上を指でなぞりはじめた。
「ア…………ラ……じゃない。ル……」
焦げ跡が文字を綴る。
「アル……ビ……ン……アトラ……『アルヴィン・アトラス』? 」
ヴァイオレットは目をぱちぱちさせた。
「――あなた、『アルヴィン・アトラス』っていうの? 」
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