1 青と赤
水柱が上がる。
塔の高さほども打ち上がったそれは、沿岸へと大波になって広がった。高波は学舎の城壁をわずかに超えて、白い飛沫が窓を濡らす。
波の陰を突き破り、
――――アルヴィンの頭蓋骨を奪ったその人、ジーン・アトラスである。
目前に自分が持っていた顔がある――。アルヴィンは何を思ったか、
ジーンは、もう副葬品の剣を持っていなかった。青白く光る刀身の細い剣はよく研がれていて、儀式用の飾りなどではない。
その唇は結ばれて、沈黙を保つ。虚ろとしか言いようがない発光する眼球が、けぶる睫毛の下に覗いている。
(様子がおかしい……と、思うんだけど)
アルヴィンは、冥界で語り掛けてきたジーンを覚えていた。しかし少年の今の体は、声を持たない。
今は亡きダッチェスによって一時与えられた力を、アルヴィンは姉との短い会話で使い果たしていた。
頭蓋は銅板の成れの果てであり、あらゆる内臓も焼け落ちて肉も残っていない空洞だ。語り部の銅板によって成り代わった体に人間の魂を宿し、魔人と呼ばれる存在になったこの体は、基本的に発語する機能が失われてしまっている。
黒々と火影に躍る森の影から、人影が歩み出て空を見上げた。
黄金の髪だ。
煤に汚れてしかるべき肌は、炎そのものを生み出しながらまばゆく輝いている。
それは、ほんの小さな等身大の人影であったが、対岸のウルラ湖沿岸に立ち、望遠の魔術を使う兵たちを震え上がらせるには十分の存在感を放っていた。
魔術師であるなら予感するのだ。
――――これは、神話の出来事の一部であると。
「ウルラ湖の海層突破点は、魔術で封鎖されているはずだろう! 奴らは下層から出てきたように見えたぞ! 」
潜んでいたのは、任務達成中の小隊、総勢三十名。魔術をメインに扱う彼らの装備には、背中にしょい込んだ金属製の機器がある。手首にはめた銀の腕輪へ管が伸び、兵卒の放つ魔術を補助する装置だ。
やがて城内への撤退が知らせられても、列なして進む兵たちの口は止まらなかった。
「あの騎士の亡者は何者だ? 炎の怪物を守っているように見えるが」
「……あの小さな鎧は何だ? 敵対しているのか? こちらの味方なのか!? 」
すべては、魔術師らしい好奇心がゆえに。
ヴァイオレットは旋回しながら、眼下にそれらの光景を見ていた。
ヴァイオレットは、亡霊が曾祖父の兄弟、あのジーン・アトラスだと知らない。
ただ名も知らぬ亡霊に、亡霊とはああいうものか、と思う。半分暗くなった空の側にそれはいて、炎の赤さを背に浴びても冷たい影が差している。
灼銅の魔人については、もっと分からない。火種っぽい金色の人物については、もっともっと分からない。
(わかんないことだらけ……。でも、見届けなきゃ)
ヴァイオレットの心もまた、興奮を隠せない。
魔術師たちは長年待ち望んでいたのだ。――――神秘をこの目で見ることを。
それが目の前に顕われたなら、自分にどんな言い訳をしてでも心惹かれる。脈絡と受け継がれてきた好奇心が、彼らを研鑽させてきたのだから。
睨み合いはなおも続いていた。
膠着した状況を終わらせたのは、意外な方向からだった。
――――ウルラ城の塔が七色に輝いて揺れている。
それは北の海の果てで見られるという、オーロラに似ていた。薄ら雲のある青空に色を透かし、陽炎のようにウルラ城の輪郭が揺らめく。
光は帯になり、一帯を放射した。ヴァイオレットは寸前で風をつかみ、上空へとクチバシをねじこんでみせた。
赤々と燃え盛る森が、虹の帯に照らされて鈍く重い灰色に染められる。揺らめく炎すら腕を伸ばしたまま時を止め、燃え尽き落下する枝は地面に触れなかった。
――――動くはジーンと、『
ヴァイオレットは、淡々と剣を腰に収めた亡者が、岸辺で倒れるその人を抱き起こし、折り曲げるようにして腕に抱えて馬に乗せるのを見ていた。青い炎を帯のように残しながら、森のさらに向こうへと走り去っていく。
状況の変化に目を奪われる彼女は、自分へ降りかかる災難に気付いていなかった。
気付けば熱風の渦に空をぐるぐる回りながら吹っ飛んでいて、視界の端に細い『虹色の帯』が空間を切り裂いて飛んでいくのが見えた。
アルヴィンが全身が放つ熱をうまく操りながら風を起こし、その哀れな『赤毛の鷹』を吹き飛ばしてやったのだ。
ウルラ城に常駐する魔術師たちが、残った灼銅の魔人を狙うのは、当たり前のことだった。
その直線上を旋回していた鳥のことなんて、視界に入っていないのも同じなのだ。
(あっ)
アルヴィンは慌てて、流れ星のように飛んでいったヴァイオレットを追いかけた。自分も激しい流星になって。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます