1 予兆

 ミス・グリーンこと、グリンヴィア・プリムローズの実家であるグリンヴィア家は、緑色の旗をかかげる最南端、ダイアナ領主・ホーキング家の分家筋にあたる。

 緑豊かな平原が広がる、南方と呼ばれる地域には、四つの領地があり、そのうちのひとつがダイアナ領だ。


 南方領主の特徴といえば、農耕が盛んで、抱える資産も、のべて大きいというのが挙げられる。

 その財産は中央と呼ばれる王都アリス近辺の貴族を軽く押さえ、存在も強大。

 国全体の食糧庫としてだけではなく、有事のさいに放出される国庫の金庫番としての役割も任せられていた。


 とくに近年のダイアナ領主家は、『金庫番』としての役割が強い。

 それは政治の場で盤石の立場があるということを意味しており、『陽王』との結びつきも強いということも意味している。

 王家を一家の長とするのならば、影に日向に寄り添いながらも財布のひもを握る、年上女房のような立場である。


 魔法使いの国は今、外交のため、結果的に魔術を切り売りする政策を取った陽王に賛同しているほうを『陽王派』。

 それに否を唱える『魔術保守派』は『陰王派』と呼ばれ、貴族たちを巻きこんで、この国を二分する事態になっている。


 ダイアナ領主ホーキング家は、『陽王派』にあたり、その分家筋であるグリンヴィア家もまた『陽王派』とされる。

 しかしそれは外側から見たときのこと。グリンヴィア当主の次女プリムローズにいわせれば、

「うちは、思想的には中立派よ」ということらしい。


「立場上、陽王の味方はする。ホーキング家は女房役ですからね。陽王の政策に賛同したのは事実。国庫の番人として責任を分け合っているわけだから、当たり前のことよ。『陽王派』って呼ばれている貴族の多くはね、この国のことを本気で憂いて、魔術外交に賛同したの。でも結果として国が荒れるなら、『それはそれ』ってわけ」


 ミス・グリーンは、ほかほかになった後輩の頭をタオルで拭ってやりながら言った。


「陽王派は、そういう家が多いわ。数は多いけど、大半が『そうするしかなかった』と思ってる。

 でも陰王派……いいえ、『魔術保守派』に属するほどじゃない。

『魔術保守派』の考え方は、はっきりいって乱暴で理想主義で現実的じゃあないもの。『魔力を強化するために血を守れ』? あげく『再び鎖国せよ』ですって? そりゃ無理って話よ。もうこの国は、外海に漕ぎ出すしかない。今は平和でも、上層の大国たちが喧嘩を始めれば、かつてのような世間知らずじゃあ生き残れない。植民地にされて、ていよく技術を吸い取られる」


「うん。それはお父様も分かってる。陰王派っていうけど、陰王はそんなの望んでいらっしゃらないって」


「そう。それが訊けて安心したわ。ライト家は、陰王側の女房役だものね。そのへんミネルヴァ領主家も同じよ。あっちは本心から中立派を口にできる。中立派だからこその苦労もあるでしょうけどね。

 分かっているでしょ、ヴァイオレット。この国はもう、陰王派と陽王派とかいうだけじゃないのよ。

 ライト家のように、陰王側の筆頭でも陰王派と呼ばれたくない家があって、陽王派だけど内心では中立の貴族がいて、中立だからこそ、陽王側が『釘』を刺さなきゃいけない家もある。……これはミネルヴァ領のことよ」


 そう口火を切って、ミス・グリーンはヴァイオレットがこの学院を去ったあとのことを語り始めた。


「――――あなたがいなくなってすぐ、学院近くにある軍の訓練所に、王都からたくさんの人がやってきたわ。陽王の命を受け、おそらくあなたを拘束しに来た。立場がある家の子たちは逃げるように実家に帰った。軍の人たちはこの学院を見張って、あなたが帰ってこないか見張ってる」


「わかってる」ヴァイオレットは噛み締めるように言った。「あたし、逃げなきゃ。捕まるわけにはいかない」


「……ああ、ヴァイオレット」ミス・グリーンはブラシを手に取り、今度は少女の髪をとかし始めた。


「事態はとても複雑よ。軍の中には、魔術保守派も混ざってる。……あなたが狙われる理由も、ずいぶん貴族の中には出回ってるわ」


「あの訓練所にいる人たちも? 」


「指揮をしている人物は確実に知ってるでしょう。そのほうが話が早いもの。実際に動く人たちは、陰王派筆頭の娘だからとしか聞いていないんじゃないかしらね。末端なんて、だらだらしたもんよ。知っていたらもっと緊張感があるでしょう」


 ヴァイオレットはちっともそう思ってなさそうな声で、「……それは良かった」と言った。


「ヴァイオレット。なるべく早くこの領地から出るべきよ。あなたを探すほかに、軍人たちはこの学院で何かをしようとしている。大規模な魔術の準備だと思う。残った学生たちも集めて手伝うように言っているの。この私にもお呼びがかかってるわ。噂じゃあ大規模な……とても見たことが無いくらいの、歴史の本に載るような魔術だって」


「何に使うか、ローズは知っているの? 」


「知らないわ。見当もつかない……ただの覇権争いの域を超えていると思う。戦争の準備をしているみたいだって感じるわ」


「……『最後の審判』が始まるの」

 ついに、ヴァイオレットは言った。

「ううん……もう始まってるかも」

 背後で音を立てて喉が鳴る。


「……なんですって? 」

 その声はスカスカに掠れて、ほとんど吐息のようだ。ヴァイオレットは、その反応が自分とよく似たものだったので、つい笑ってしまった。


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