3-5 Fixer

 冷たくなった死体を切り分け、繋ぎ合わせた。

 細胞を培養してできた肉を薬物に浸し、足りないものはそうして補った。


 死者蘇生をしたかったわけではなかった。

 誰でもよかったわけでもなかった。


 ジジと名付けられた子供は、アリスという特別な女の遺伝子から生まれた。

 この土地の大気に晒されたアリスの肉体が蓄えた毒は、『外』から来た彼女の体には毒だったが、本来は違うものだった。エリカ・クロックフォードにとっては恵みですらある。


 この世界の秩序は、混沌から生まれたのだ。

 命を育む土や降り注ぐ陽、炎の熱、潤す雨も、混沌の子供たちである。

 この世界において命を産むということは、混沌から『蛇』が秩序を取り出したのと同じことだった。だから時空蛇は、安産の神でもあるのだ。


 アリスから生まれたものは、『泥』を含んだ希少な素材であった。

 混沌の泥はアリスを蝕み、赤子を侵したが、その副産物としてジジが生まれたのだ。


 エリカは、直前まで生きていたそれを素材として扱うことを拒んだが、他でもないアリス自身が埋葬を拒んだ。

 我が子を蘇生させることで、生きた証が欲しいだとか、心を慰めたいだとか、そういう理由であるならば、エリカにも説得のしようはあった。しかし自身もシャーレと顕微鏡を使って生まれた彼女には、命を素材として消費することに、ためらう道理もなければ、素材とされた命を嫌悪する理屈もなかった。


 アリスは、保存容器の中で培養される肉の、ひとつひとつに名前をつけた。いずれ素材として消費されるであろう肉を『子供たち』と呼んで、ジジを長子として扱った。

 エリカの娘を妹として扱えと命じ、時には腕に抱かせる。夜はともに寝台へ入るように言い、抱いて眠る。『ジジ』に睡眠は必要ないというのに。

 人形遊びにも似ていたが、そんなものでは無かった。


「人間らしい生活をね、この子に学習させているのよ」

「それ、『ジジ』には必要ないものよ。睡眠も食事も、人間の真似でしかないわ。ましてや食事なんて、物資も十分じゃないのに……」

「間違えないで、エリカ。この子は人とともに生きていくのよ。わたしやアナタがいなくなった後もずぅっとね。この子たちが幸せになるには、人のことを人以上に理解する必要がある」


 明るく輝く青い瞳が、強くエリカを見て言う。この世界に失われて久しい青天を思わせる瞳には、実験体から這い上がった彼女の過去と、子供たちの未来が視えていた。


 エリカは、割り切ることが得意だった。

 知っている。この眼を通してまざまざと穿たれた記憶。忘れることなどできるものか。

 アリスの命はか細い。そう何度も、縁もゆかりもない人間の体を間借りすることができるはずがない。


 エリカの胸中は常に不安だった。

 彼女の能力で統率された人間たちは、アリスを失ったあとどうなるだろう。

 神々さえ見切りをつけようとした意志の力を、エリカは知っている。

 自分もまたどちらかといえば、神の意志に従わないタイプの人間であるから、余計に。

 そうなったとき、アリスの『眼』を受け継ぐものが必要だと考えた。


「……それは駄目よ」

 掻き抱いた子供の命は、こんなにも小さくて頼りない柔らかさを持っている。

 この子なら、きっと第二のアリスとして『適合』するだろう。

 腕の中の子供を見る。名前はつけなかった。名前を付けてしまえば、もしもの時に情が湧いてしまうと思った。



 ただの人間として生まれ、生きる。


 どうしてそんなことが、こんなにも難しい。


「……隊長」

 どうしようもなく、その人を呼びたくなる時がある。足が闇に落ちる廊下を進み、扉の鍵を開ける。導かれるように冷凍庫を開き、あの日、持ち帰ってしまった荷物を広げてしまう。


 霜のついた容器。液体のままの薬品の中に浮かぶ白い眼球。こちらを見ることは無い、特別な金色の瞳。


「隊長……わたし、どうすればいいですか」


(生きた証が欲しいだとか心を慰めたいだとか。そんな理由で他人の体を弄んだのは、私のほう)

 恋人でもなんでもない、死んでしまった男の細胞を、この体に受け入れた。

(あなたは、私を信頼してその首を差し出したのに)

 その特別な眼球を回収したのは、副官であったエリカ自身だ。保存されることになった眼球は、襲撃を受けたさい、エリカの身柄とともに敵の手に渡った。

 アリスを助けたのは、あの眼球を取り返すついででしかなかった。同じ『眼』を持つ存在が敵のもとにあれば、彼の誇り高い決意と死に、泥が付くようで嫌だったから。


 白み始める空と共に、いつしか過去は過ぎ去り、夢から覚める。記憶が引き潮のように頭の中に収まりなおし、悲しみばかりを心に残す。

 覚めたあとにも、同じ現実がそこにある。


 ✡️


 エリカ・クロックフォードという、罪深い女がそこにいる。


 青白い照明が照らしていた。夢で最後にしたように、冷凍庫を開ける。容器をテーブルに置いて、ぼんやりと眺める。

 霜のついた二つの容器。液体のままの薬品。浮かぶ眼球。

『ビス・ケイリスク』の隣には、増えたもう一つの容器。そこに『アリス』のラベルがあった。


「……眠れないの? 」

 かけられた声に、エリカは弾けるように顔を上げた。振り返ろうと動いた背に取り縋った体の温もりに、息を詰める。

 人間に擬態した体温と呼吸音、脈拍。

「ジジ……」

 そうなるように、エリカが作ったものだった。


「思い出した」ジジは言った。「あんたのことや、自分のこと」

「……そう」

エリカは短く、そう応える。


「ボクはどうやら、アンタの味方にならなきゃいけないらしいってことも」

「…………」

「ボクが必要? 」

「……ええ」

「わかった。ボクは、アンタのところに帰ることにする」

「……それでいいの? 」

「いいか悪いじゃないだろ。……必ず帰るって、約束したんだろ」

 エリカは項垂れたまま、目を閉じた。

「ええ、そうだったわね」

耄碌もうろくして忘れたわけ? 」

「……忘れていたのは、あなたのほうよ」

「悪かったよ。いろいろあったみたいなんだ」


 ジジはしばらく迷って、目の前の容器とその女に向かってようやく言った。

「……たっ――――た、ただいま……お母さん」

「……おかえりなさい」


 勢いよく歯車が回り出すようだった。

(……ああ)

 その瞬間、エリカは、叫び出したいほど全てを嫌悪した。喜びよりも絶望が勝り、神々に呪いの言葉を吐く。多くの顔が脳裏に浮かぶ。時とともに増えた、その運命を操った人々の顔だった。


 決意と絶望は両立する。

 エリカは、当たり前のように生き、当たり前のように死にたかった。いま胸にある望みは、それだけだった。


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