2-4 歯噛み
「選ばれしものとしての『皇帝』の地位を剥奪されても、アトラス王としての王位は剥奪されません。詳しい説明は、明朝にいたします」
エリカは有無を言わさず、鍵を渡してどこかへと去った。
森の中に隠された昇降機を降りると、そこは宿泊施設のようになっていた。
内装の違いを吟味することもなく、重々しい雰囲気のまま順番に部屋に入る。
グウィンが運ばれた部屋には、すでに婚約者のモニカが待っていたようだった。扉が閉まる前に聞こえた糾弾と、それをなだめる声は、遮音性の高い壁によって数秒で遮られた。
部屋は三人部屋で、清潔なリネンのベットと折り畳み式のテーブル、小さなクローゼットがあり、窓はない。かわりに象牙色の壁には春の野草が咲く絵や、色鮮やかな異国のバザールの絵などが飾られている。
ヒースとサリヴァンは、頭が働かないままベッドに腰掛けた。
ジジはいない。
エリカはなんらかの
ケヴィンの訪問は、それからいくらか経ったころだった。
「彼女は何者だ? 」
額の高い顔立ちは、自分よりもよほど曾祖父と似ているとサリヴァンは思う。開口一番に尋ねたケヴィンの苦み走った表情は、幼いころに見た、埃をかぶった肖像画のコネリウスにそっくりだった。
時を取り戻したように、ノロノロと頭と体を動かし始めたサリヴァンは、にぶく痛む頭を叱咤しながら口を開いた。
「彼女は……あー……。すみません。何せ肩書きの多い人で……」
「ならば君たちとの関係から説明してほしい」
ヒースとサリヴァンは、同じタイミングでお互いを見た。ヒースが頷く。
「いいのか? 」
サリヴァンは、つい口に出した。
「いいよ。言っちゃおう。そのほうがいいと思う」
「……まあ、そうだよな」
サリヴァンは頭をがりがりと掻いた。
「エリカ・クロックフォードは、おれの
「陰王と、その娘の影武者ということか? 」
「神の化身であり、国というよりも、時空蛇の
大切な儀式は、もちろんアイリーンが自身で行っていますが、エリカは例外的に『代理』を任せられる立場にいる人です。地位としては、王に意見できる最高位の貴族当主に匹敵すると考えてください」
ケヴィンは先を促すように頷いた。
サリヴァンは唇を湿らせる。
「おれの生家ライト家は、名前こそ凡庸ですが、影の王に仕える筆頭家臣です。陽王に仕える貴族としての地位は辺境伯ですが、陰王に仕える最高神官としては公爵(※爵位として最高位)の地位で、代々当主は、二君主の次の
「横槍をすまない。……きみの国は、そのように二重の……かたや公爵、かたや辺境伯という立場がまかり通るのか? 」
「何千年も前、陰王に見初められたいくつかの家が、例外的に認められています。ただ、ここ数代は陰王が活躍する場面はなくて、公爵としての地位は形骸化しているので……」
サリヴァンはこめかみを揉んだ。
そう、そうして陰王側の貴族の形骸化が進むことが、この数十年の問題なのである。
「……二十年ほど前、陰王からライト家に、ひとつの神託が下りました。
いわく【三つの王の血を束ねる子供が生まれてくる】。そんな内容のものが、【最後の審判】が起こると取れる預言とともに。それによって当時の陽王と陰王は、おれたちの代で【審判】が起こると解釈しました。
その神託をライト家の子供と断定した理由は、言わずとも分かりますね」
「コネリウス大叔父様か」
今度はサリヴァンが頷いた。
「うちは、もう永久中立国として宣言してから六十年近くですが……国内は決して泰平の国というわけではありません。外海を意識しだして百年。陽王側の権力が強くなったことで、二十数年前には王子扇動で内乱が起こりました。防衛側の学生兵として、おれとヒースの父も出兵したんです。そんなことがあったから、陽王と陰王は貴族たちを刺激しないよう、陰王側の筆頭であるライト家から預言の子供が生まれることを隠すことにしたんです」
「他人事のような言い草だな」
「このあたりは他人事ですよ。産まれる前に決められていた話で、おれはまだ何も成せていないんですから」
「改めて、きみはなかなかに苦労人のようだ」
出そうになった溜息を噛み殺したことは、ケヴィンにはバレている気がした。
二人はようやく並んでベッドに腰を下ろす。座るところはそこしかなかった。
「……エリカ・クロックフォードは、この件に関して最大の協力者です。
陰王がアイリーンとして市井に下りて四十年あまり。それはそのまま、彼女が陰王として振舞ってきた年月になります。陽王と陰王のごくわずかな側近以外は、王宮にあらわれる彼女こそが陰王だと思っている。
陰王派のコントロールは、宮廷での彼女の立ち回りにかかっています。それがそのまま陽王派貴族への牽制として効果する」
「……重要人物じゃないか」
「重要人物です。間違いなく国家を支える柱の一人。彼女が演じる陰王が、陽王の政策に色よい反応をしないから、信心深い貴族の動きが抑えられる」
「そうだな。しかし重要人物なのは、きみも同じだ」
ケヴィンの薄青い瞳が、サリヴァンを通して何かを見つめている。サリヴァン・ライトの体に絡みつく、ジジのいうところの『大人の事情』という『しがらみ』――――それを見ている。政治家の眼だ。息が詰まった。
「……おれとエリカは、彼女に直接、剣と魔術の手ほどきを受けました」
……今でも瞼の裏に浮かぶ光景がある。
五歳の誕生日。まだ何も知らなかったころ、七歳の彼女とともにやってきたのが、エリカだった。
母娘だと思っていた。違和感のない光景だった。
若い母親と、そっくりな幼い娘。同じ【エリカ】という名前も、血縁ならばおかしくない。
ヒースというのは、彼女が外海に出る十四のときに名乗り始めた名前だ。
そのころ、サリヴァンのまわりには『エリカ』が二人いた。『エリ』という愛称は、そこから始まったものだった。
まだ実母と暮らしていたころだった。
ともに肩を並べて剣を振り、机を並べて文字を書いた。そこには必ず
アイリーンに引き取られてからも、エリカは忍んで店を訪れ、ときどき食卓を囲んでいた。
その時間が、両親と離れて暮らす幼い子供にどんな影響を与えたものか。
アイリーンが陰王である前に師であるように、エリカは――――。
「彼女は……おれにとってもう一人の師であり、山の
「いや、いい。続けてくれ」
「……今回の事は、申し訳なく思っています。おれでは師のやることを止められないと、ブレーキを踏んでしまった。あきらかな落ち度です。……おれが陛下の戴冠の儀式を行ったのに」
彼女から向けられたそれは、はじめて知る眼差しだった。
(ようするにおれは、
それは奥歯を噛み締めないといけないほど、悔しいことだった。サリヴァンの戦いに関する心構えを作ったのは、他でもない彼女であったから。
『怯えていい。恐れていい。でもそれは心の中でだけ。いかなる恐怖を前にしても、立ち向かう準備は済ませておきなさい』
(――――できてねぇじゃねえか……! )
「きみは、生まれのわりには純真だな」
ケヴィンが言った。
「礼儀は叩きこまれている。けれど公爵家の子息というには、まるで貴族らしくないというか。すれていないというか。腰が低いというか」
語尾を溜息で締めくくり、ケヴィンはちらりとサリヴァンを見る。
「す、すみません……未熟者で……」
「冗談だよ。褒めているんだ。別に悪い事ではないと私は思うね」
長く息を吐いて、皇子は肩をすくめた。
「もちろん、道に迷うにもタイミングというものがある。しかしだな、きみのような少年のうちは、迷って間違うことが大切だろう。月並みな言葉だが、この年になると実感が来るものだ。なにせこっちは三十路の皇子なんだ。大きな失敗が許される年じゃあない」
ケヴィンの額の影になった目元には、深い隈があった。中指が重たげに眼鏡を押し上げる。
「人にはね、立場によって、適した役割というものがあると昔から思っている。
兄弟が五人もいれば、おのずと自分の役割というものを意識するものでね。あの兄とあの姉をもって生まれたからには、次男の私はこうなるべくしてこうなったのだ。フェルヴィンの王を補佐するものとして生きることが、私に適した役割だったということだね。
人が、特定の誰かについて感情を抱くことは、呪いにもなるし、祝福にもなる。気の持ちようと言えば使い古されて分かりやすいが、感情というのは、しかしそんな簡単なことじゃあない。
考え方を変えるのさ。
過去というのは一本道に見えて、じつのところ重なり合う選択肢の連なりだ。きみは重なり合う過去によって、なるべくしてそうなった。『そうなってしまった』ことを悲観するのは、自分に呪いをかける。不毛で悪手だ。
別に説教をするつもりはないんだ。そう結論付けた人間がいたということを、頭の隅に置いておくのも、きみの判断材料のひとつになるのではないかと思っただけなんだよ。『これはそういうものだ』と切り替えて、目先のことに最善を尽くすことが、結局のところ大人になる近道だったからね」
にやりとするケヴィンは、まったくもって苦労を背負い込む人特有の相をしている。
「気楽に生きろよ、少年」
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