2-5 脅威への準備

 


「あ、そうだ。もう一つ尋ねたいことがあったんだった」

 ケヴィンは、空気を変えるように手を打った。少し気恥ずかしかったらしい。

 柄にもない人生相談だ。サリヴァンも丸まっていた背中を伸ばして、表情筋をひきしめる。

「は、はい」


「きみは『教皇』のさだめを受けて、兄を【皇帝】に戴冠させた。昼間のあの騒動で、私にはエリカ嬢が姉を『戴冠』させたように見えたんだが、【教皇】ではない魔女が行った戴冠は、正式なものになるのか? 」

 しごく最もな疑問である。

 魔術師ではないケヴィンには、【選ばれしものの戴冠】と『王位として戴冠』は同じものに映ったのだ。


「そうですね。まだわかりません」

「と、いうのは? 」

「まずですね、アトラス王が代々引き継ぐのは、『さだめとしての【皇帝】の王位』と、『フェルヴィン国王としての王位』の二つあるんです」


 そして、アトラス王の戴冠に限らず、魔法を絡めた儀式を、『魔術儀式』と呼ぶ。

 魔術儀式には、必ず説明書を兼ねた契約書があるはずだと、サリヴァンは言った。


「一枚はアトラス王家に。もう一枚は、契約した魔法使いが……この場合、アトラス王家の戴冠には魔法使いの国のほうから魔術師が派遣されていたとのことなので、おそらく国で保管していると思います。内容は、グウィン陛下ならご存じかもしれませんが、推測するに、こういうものが書かれてあるはずです。


『アトラス皇帝戴冠の儀式は、魔法使いの血を引くものが立ち合い人となること』

『それをもって、アトラス王は『皇帝』のさだめを同時に得ること』


 アトラス皇帝としての戴冠と、さだめとしての【皇帝】の戴冠。これは一つに見えて、本来は別々のものなんです。

 二十二のさだめの中でも、【皇帝】は特殊。審判が起こっていない間もアトラス王は【皇帝】の任を強制的に兼任するわけですね。

 他のさだめを得たおれや、アルヴィン皇子を見るとわかる通り、さだめを得た人間は何らかの力を得ます。『スート兵』がそれです。

 フェルヴィン代々の皇帝は、審判がおこらないうちでもスート兵が使えていた。アトラス王家には『語り部』とともに、審判の始まりにおいて大きな役割が課せられていたのは、レイバーン王の号令で審判が始まったことから明らかです。

 アトラス皇帝が、【皇帝】のさだめを確実に得るのでなければいけなかった。少なくとも、【審判】が始まるまでは」


「そこから分かることはなんだ? 」


「土地、血筋、それが魔術的に重要だったのではないかと。そもそも、審判そのものも魔術儀式だと思うんです。始祖の魔女と神々の間で交わされた、世界規模の魔術儀式……そういうものだと。

 審判の最初の地はフェルヴィンであること、【皇帝】の宣誓で審判が始まること、語り部の存在。

 最初の試練である『石の試練』は、この世で最も冥界に近い最下層フェルヴィンでしか行えず、それを見極めるのは、フェルヴィンを統べるヒトの王。

 ……フレイヤの黄金船で、あの『声』が言ったことを覚えていますか? 最初にあの『声』は、名乗ってもいないおれを特定した。語り部たちの名前を呼んだ。

 戴冠の儀式のルールを作ったのは、始祖の魔女と、アトラス初代皇帝。戴冠の儀式は、もしも3500年のあいだにアトラス王家の血筋が絶えたら二度と行えず――」


「つまり『最後の審判』も起こらなかった、と」


「……そうですね。だから審判が起こったのは、ある意味では幸運のもとに定められていたことなのかもしれないし……『語り部』が、アトラス王家の血筋を守る守護者なのかも、と思います」


「彼らは主の生死には関与できないぞ? 」


「はたしてそうなのか? と、思いますけどね。

 いえ、話が逸れました。つまり、アトラス王家と魔法使い、アトラス王家と【皇帝】のさだめは、密接に絡み合って、厳重に役割が決められていたはずなんです。

 けれど、師が……エリカが言うとおり、審判のルールに『簒奪』あるいは『譲渡』というかたちで【皇帝さだめ】だけを他者に移せるというものがあるのなら、それにも条件があったはずです。


 ひとつは、譲渡と簒奪は、審判が始まってからでないと行えないこと。

 もうひとつは、譲渡と簒奪は、『資格がないと行えないこと』」


「資格? 」


「手段を使えば誰もが【さだめ】を得られるとしたら、【審判】が選定する意味がないでしょう。

 その資格は、魔法使いが手助けをすることかもしれないし、アトラス王家の血筋を引いていることかもしれない。アトラス以外の王家でもいいのかもしれない。ただ単に、本人の資質だけが問われるのかもしれない。

 この全部かもしれなければ、全部が違うということもありえます。

 エリカ・クロックフォードは、必要と思えば、そういうことができる人だ。他人の考える要素を、増やしたり減らしたりする……長年、影の王に仕えてきて、そうした印象操作を行ってきた、はずです。

 だから、〈『教皇』ではない魔女が行った戴冠は、正式なものになるのか?〉 この質問には、『まだわかりません』とお答えします。

 ……なので、確かめる判断材料をお教えします」


『ひとつ。契約書を必ず確認すること』

「基本的に魔術師は、契約に関してはきっちりしています。魔術じたいが、神々に対して誓いを交わすのと同じことですから。とくに形に残る契約書があれば、そこに書かれた文言は必ず守ると見ていいでしょう。

 しかしあり得る抜け道が、『偽の契約書を使うこと』です。必ず正式なものかどうかを確認したうえで、そこに書かれた情報を読み取る。言葉遣いにも気を付けてください。暗号が仕掛けられていて、細かな契約の言い回しで別の意味を含んでいたり、縦読みをすると別の契約文が出てくる暗号文書になっていたり……そういうことがある場合があります」


『ふたつ。逐一確認すること』

「これは正しい事か? と魔術師に尋ねて、『そのとおりです』とはっきり肯定されれば、まず間違いありません。魔術師は言葉においても嘘をつかない。強力な魔術師であればあるほど、口約束でも守ります。だから、複数の意味に取れる曖昧な言い回しが出てきたら、要注意してください」


『みっつ。ブラフに注意すること』

「想定されるのが、エリカ自身ではなく、皇女に話をさせることです。魔術師は嘘をつけないかわりに、魔術師でない人に嘘をつかせる。情報の漏洩を恐れるあまり、言葉を封じて、使い魔からしか話をしなくなった古い魔術師もいます」


 ケヴィンは唸った。

「難しいな……魔術という手段がないこちらには、勘と印象に頼るしかないじゃないか」

「……そんなことは無いとおもいますけれど」

 ヒースがゆっくりと瞬きをした。

 白湯を運んできたヒースは、カップを手渡しながら言う。


「語り部がいるじゃあありませんか。彼らは目の前にいる人間が何を考えているか分かるんですから、訊けば答えてくれるでしょう? 」


 ケヴィンは、顎をなぞって唸った。

「なるほど、確かにそうだ。マリア、できるのか? 」

「仰せでしたら、そのとおりに」

「……できるらしい。いやはや、三十年一緒にいるのに、機能については君たちのほうが詳しいな」

 肩をすくめてケヴィンは首を振った。そのかたわらで、マネキンのようにマリアは佇んでいる。


「彼女は、ずいぶん物静かなんですね」ヒースが言った。

「語り部としては、特別しずかなわけじゃないらしい。ダッチェスいわく、マリアが正常な個体なんだそうだよ。ヒューゴのトゥルーズやアルヴィンのミケのほうが、並外れてうるさいんだ。だからアルヴィンは……ミケがいないと、寂しいのだろうな」



 あいつに良くしてくれてありがとう。と、ケヴィンは小さく言った。



 ✡



 夜はあまり眠れなかった。

 そういえば当たり前のように同じ部屋にされていることに気が付いたのは、うとうとしかけた明け方ごろ、夢うつつの中でだったので、あっというまにどうでもよくなってしまった。


「ねむい」

「僕も」

「うー……」


 共鳴するように同じような時間に体を起こし、交互に顔を洗いに行く。痺れるほど冷たい水でまぶたを打つと、眼球の中心の痺れが少し取れたような気がする。四、五年前までは、毎朝こうして洗面所の前で顔をあわせていたのだと実感する。お互いを見る目は、少し違う気がするけれど。


(どんなときでも腹がきちんと鳴るのは、いいことだ)

 だらだらする気はなかった。

 前日のうちに、食堂があることが知らされている。食事はそこで摂るのだそうだ。

 客室が並ぶ廊下は、U字を描いた一本道だ。清潔感のある白い床は、歩くと靴裏でキュウッと音がする。


「……ジジ、どうしてるかな」

ヒースが呟いた。

「あいつはああいうのに慣れてる。大丈夫だよ」

「でも、気になるんだ」

ヒースの脳裏では、フェルヴィンの城で見た獣の夢がちらついていた。



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