2-3 資格あるもの

 

 あれはいつのことだったか。確か、あの地下の部屋で、看守に噛みついたヒューゴだけが最初に連れていかれて、そのすぐのことだ。

 ヴェロニカは泣き、アルヴィンは怯え、ケヴィンは呆然と立ち尽くし、グウィンは、強く壁を殴りつけた。

 彼はヒューゴが連れていかれるのを見ていることしかできなかった。それは他の弟妹を守るため。そして、皇太子である自分の身を守るため。

 しかしグウィンは、割り切れる男ではない。情を捨てられる人間ではない。諦めることが嫌いで、兄弟で一二を争う頑固者である。

 ――――ケヴィンは、そんな兄の背中をずっと見てきた。


 兄は優しい男である。

 優しい男だから、兄は王族ではなく、ただの一人の男として生まれていればよかったのにと、ことあるごとに思う。

 ケヴィンはおそらく兄弟でひとり、あの父の弱さも知っていた。

 父と兄は、その優しさの形がよく似ている。

 父が息子たちと距離を置いたのは、神よりも、運命よりも、何も出来ない自分が許せなかったからだ。

 ケヴィンはそんな父の優しさを、大きな弱点だと思った。


 しかし父は、心はどうであれ非情となって動ける男だった。

 ケヴィンは打ちひしがれる兄の姿に、父の背中を幻視する。

 王となれば、その心はいつか壊れてしまうのではないかと、そんな予感が消えないのだ。


「……兄さんは優しすぎるきらいがあるな」

「ええ……そうね。兄さんは、悲しいことがあっても忘れないから」

 姉は首を垂れて言った。

 ケヴィンは姉の、こうしたところも見てきた。


 今。

 目の前で拳を握る姉の、飛び交う焔と、目まぐるしく移り変わる影を見る。

 ――――美しく、猛々しく、不屈のひと。


 兄弟で一二を争う頑固者の双璧のひとりは、まさしくこの姉だ。

 ヴェロニカの涙は、怒りの発露。

 その怒りの矛先は、いつだって自分である。

 身の内で煮える怒りを糧にして、彼女は必ず立ち上がる。


 グウィンは兄弟の柱だ。

 いるだけで、弟妹たちは団結することができる。

 ならばヴェロニカは、弟妹を守る屋根であり、壁だ。

 その強い手で、兄弟たちの心を守る。

 涙は確かに女の武器だ。悲しいことがあると最初に涙を流す彼女の姿に、兄弟たちは奮い立った。

 その笑顔が、家族の希望になってきた。


「――――なぜだ! 姉さん! 」


 言いながら、ケヴィンはなんとなく分かっていた。

(姉さん……貴女は……)

 グウィンにはこれから新しい家族ができる。

 グウィンという柱は、これから国と妻を背負うのだ。

 ケヴィンの胸には不安があった。

(兄さんはそのうえ”世界”まで背負うのか? )


 誇らしいよりも、ぞっとした。


(……でも”選ばれなかった”僕らに、何ができる? )


 エリカは言った。

「『皇帝』『教皇』『女教皇』『女帝』。――――これを私は四皇よんこうと呼び、特別な性質をつけました。【継承】と【簒奪】――――つまり、王たちは自らの意志で資格あるものへと『さだめ』を継承でき、選ばれなかったものは【簒奪】という形で王位を奪うことができる」


 ヴェロニカの答えが、これなのだ。

 不意打ちの暴力での王位おうい簒奪さんだつ。軍を退いて何年もたった兄が、先祖の血がより濃く流れる姉に勝てるわけがなく。

【継承】ではなく【簒奪さんだつ】という手段を取ったのは、より確実にグウィンを『皇帝』から解放するため。

 不意打ちという手段は、兄妹の情ゆえではなく、卑怯者と罵られる覚悟ためで。



 涙に濡れた顔が陽を受けて光っている。

 射しこむ木漏れ日は帯になって、彼女を照らし出した。


「――――戴冠は成された。王位簒奪はここに成された」

 が言う。


「さだめを得たり……」

 姉の声は震えていたが、金のスート兵を背に従え、こちらを見た眼差しは、もう濡れていなかった。風が頬も乾かしていく。

「我が名はヴェロニカ・ルカ・サーヴァンス・アトラス。偉大なるアトラス王の娘。ここに嫡子グウィンより『皇帝』のさだめを簒奪せしもの。第四のさだめ『女帝』と成りしわたくしの誓いを、始祖神アトラスよ、天におわす神々よ――――どうかお聞き届けください」


 誰にも言えなかった。

 ――――王の器というものがあるのなら、それは姉のほうではないのか、と。


「この胸に滾り、溢れそうになるものがございます。わたくしはそれを『愛』と呼びました。愛は学ぶもの。それを肉親から学ぶことができたのは、神々の采配によるもの。心より感謝して、これに従うまま生きてまいりました。……神々よ、この身をどうか御導きください。我が身にこの世を救う手立てをお授けください」

 かたわらに立ち尽くすアルヴィンが顔を覆う。


「――――誓います。『わたくしは愛ゆえに、かならず屈しません』」


 それはまさしく、神話で勇者がつ瞬間のように見えた。

 見えたからこそ、胸が痛い。

 兄は負けた自分を責めるだろう。姉もまた、そんな想いをさせた自分を責めるだろう。

 けれど、『うまくできる』のは、きっと姉のほうなのだと、そう思っている。思ってしまう――――。


「【女帝】の宣誓を受諾したわ」

「立ち合いに感謝いたします。クロックフォード卿」

 エリカはヴェロニカに、温かく微笑んだ。

 ヒースは、愕然と立ち尽くすことしかできなかった。

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