1-2 ヒース・エリカ・クロックフォード
ベッドと一人掛けのソファが二つ、小さなテーブルとコート掛けがあるだけの部屋だったが、フェルヴィン人の体格にあわせた部屋は、小柄な魔法使いの青年には十分なようだった。ソファに体を折りたたむようにして寝そべっていた魔人が、ケヴィンを認めて片眉を持ち上げる。
もう一つのソファには、驚いたことに末の弟が、ぼろぼろのコートを羽織って座っていた。
「アルヴィン。姿を見ないと思ったら、ここにいたのか」
アルヴィンは、指名されて
この国で起こった劇的な大事件を象徴するのは、まさしく彼、アルヴィン・アトラスであった。
王族一家は、父であるレイバーン皇帝と、城に常駐していた数百人もの人々の命と、国そのものの機能を奪われた。
さらに、フェルヴィン皇国の五人の兄弟のうち末のアルヴィン皇子は、先の戦いで肉体を失っていた。
今は剥き出しの魂を、神の素材である『混沌の泥』で覆い、なんとか現世へとどまっている。
昨日の戦いが終わると、彼を戦いの場へと誘う手助けをした『鎧』は消え失せ、その体は青く燃える魂の炎と、脛までの足と、上腕半ばまでの手だけとなっていた。
コートの裾からは、少年の裸足の足だけが飛び出している。襟の中は空洞で、首から上は存在しない。言葉を話す口は頭ごと無く、炎を中心にして手足が虚空にあるような様子である。
余った袖どうしを擦り合わせるその仕草は、上着の中に『上目遣いにあたりを見渡す気弱な少年』の姿を連想させるのに十分だった。
羽織っているコートはサリヴァンのものだろう。ケヴィンは、アルヴィンに着るものを用意することを失念していた自分に歯噛みした。
「あー、えっと」
気まずそうにサリヴァンが言う。
「……実は、どこかで服を拝借しようにもですね、大人用しかなくて。ちょうどおれと身長が同じくらいだったので……おいジジ、ちょっとあっち行ってろ」
「お客様に席を譲れってわけね? 」
「そういうこと」
「はいはい。分かりましたよ」
音もなくサリヴァンの影の中に消えた魔人を見届けて、サリヴァンはソファを勧めた。自分は予備のスツールを部屋の隅から引っ張ってきて座る。
「足の調子はどうだろうか」
「歩くのに支障はありません。おかげさまで、殿下の応急手当てがよかったようです。医療の心得が? 」
「少し興味があった時期があったんだ。よく怪我をして帰ってくる兄弟がいたからね」
「ああ、なるほど」
思い当たるところがあるのか、少年は嫌味のない笑顔を見せた。
「おれも、それで包帯を巻くのが上達しました」
「きみにも兄弟が? 」
「妹が一人います。でも一緒に育ったわけでは無いので、この場合はヒースのことですね。あいつ、とにかくどっか高い所に登りたがる子供だったので、付いていくおれのほうが怪我が絶えなくて。
「意外だな。彼女、大人しそうなのに」
「大人しいやつが勝手に船乗りの弟子入りを決めてきたりはしませんよ」
「彼女のご両親は、さぞ心配しただろうね」
「猛反対でしたね。身分に隔てなく育ったとはいえ、陰王の娘が男所帯の船乗りになりたいって言うんだから」
「そのとき君は? 」
「十一歳です。あいつは、おれが止めて止まった試しがない」
サリヴァンは遠い目をした。その口元は微笑んでいる。そんな穏やかな顔をしていると、この遠い親類の少年の面差しはケヴィンの兄グウィンに雰囲気が似ていないこともなかった。
そう言うと、サリヴァンは複雑そうに首を掻く。喜べばいいのか、生まれ持った体格の差に嘆けばいいのか、分かりかねている表情だった。
「―――アルヴィン、お前はどう思う? 」
気配を消していたアルヴィンは、とつぜん水を向けられて肩を揺らした。手がなにがしかの動きをして、伝わらないことに項垂れる。
そのとき、すかさずテーブルの上に紙とペンとインクの小瓶が差し出された。
「ありがとう、マリア」
アルヴィンが慌ててペンを走らせる。
――――ありがとう。
ヴェールの下で、女の唇が笑んだ。
話題が途切れたあたりで、ケヴィンは意を決して口火を切った。話したことはヒースにしたものと変わらない。加えて、ヒースの言葉の解説を求めた。
「……きみに訊けという意味かと思ってね」
「あー……なるほど」
出会った女が『エリカ・クロックフォード』と名乗ったこと。そのあたりからずっと顔を険しくしていたサリヴァンは、気まずそうに首の後ろを掻いた。
「魔術師ってもんはですね、嘘をつけないんですよ」
「嘘をつけない? なぜ」
「魔法の力が弱くなるからです。魔力の源といわれているものって、ようするに『どれだけ神々を信じているか』だと言われてるんですよ。それで神様っていうのは、だいたい嘘を嫌うんです。だからこう……『言いたいけど言えない』ときは、回りくどい言い方になる」
「確かに……よそで会った魔法使いはみんな回りくどい言い方をしていたな」
「立場があったり、公の場であったり。魔術を研鑽することを目標としていたりすると、古臭いやり方ですが、日常的に厳守しなければいけません。
『言ってはいけない言葉』が厳粛に決められていることも多いんです。そうすれば身を守られるっていう呪術もあります。そしてそういう呪術は、かかっていることを知っていても言葉に出してはいけない。掛けたほうも、そのことを口に出さない。それを続けるとより効果が大きくなるんです。
逆にそれが
「それじゃあ……彼女は、あの魔女から何か魔術を受けているのか」
サリヴァンは遠回しに肯定した。
「
「彼女は、誰なんだ? 」
「おれとヒースの……後見人の一人ってとこですかね。ヒースが船乗りになりたいって言ったとき、あの人だけが賛成してくれたんです。だから、ほんとうに悪い間柄じゃあないんですよ。殿下が拾ったそれも、呪いをかける意図があったわけじゃないと思います」
「そうなんだろうか……」
「ヒースの言ったことが気になってるんだったら、おれが預かりましょうか? 」
「……いや」ケヴィンは首を横に振った。
「しかし、そうだな。見てもらうだけ見てもらいたいんだ。いいだろうか」
サリヴァンは驚いた顔をした。
「今、持ってるんですか? 」
「いや、持っていない。まだ城にあるんだが……」
ケヴィンは困りはてた顔をした。
「これからの目的地は、その……第18海層だ。できればあれを返したいと思う……あんまり言いたくなかったんだが、さっきまで取りに行ってたんだ。しかし――――」
「取りにいけなかった? 」
「……道が塞がっていて」
ケヴィンは、項垂れるようにして頷いた。
「魔人に取りに行かせようかとも思ったんだが、ほら、きみがどこかで、魔術について話していただろう。マリアが触れることで、何かがあったら……そう思うと」
ケヴィンの意識の向く方向に、アルヴィンがいる。
意志ある魔法、魔人を構成する『核』。魔法の銅板を身に宿し、生き永らえた弟の存在。蘇った父。たくさんの魂たち。首都を覆うほど空に咲いていたあの紅蓮の花。
その奇跡すべてが、『魔法』によって引き起こされた。
――――魔法というものは。
ケヴィンは思う。
(……僕にとっての魔法というものは、火薬を知らないものがそれを持つようなもの、なのかもしれない)
あれ自体が恐ろしいわけではない。
しかしケヴィンは、その扱い方を知らない。
知らないことで引き起こされるかもしれない何かが怖い。
「頼まれてくれないだろうか……」
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