1-3 ヒース・エリカ・クロックフォード
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「サリーがベットから起きらんないから」
と少し唇を尖らせて、少年姿の魔人は、ヒースを夜更けの『散歩』へと誘った。
散歩とは名ばかりで、ケヴィン皇子からの依頼の件である。ヒースは言い出しっぺのようなものなので、二つ返事で了承した。
ケヴィン皇子はいっしょに行きたがったが、それはサリヴァンを含めた三人から却下された。
理由は三つ。
ひとつ。移動は箒が早いこと。とうぜんながら、ケヴィンは魔法使いではないので箒に乗ったことはない。
ふたつ。一国の皇子をあまり危険な場所へ連れ出したくはないこと。
みっつ。ジジの魔人としての機能があれば、道案内は必要ない。
ヒースは箒にまたがり、ジジが後ろに相乗りする。丈夫な作業ブーツを履いた足の後ろで、何も履いていない白い脚がぶら下がって風を切った。
ジジの年の頃は十と少し。着古した大人の外套を着て、大きなつば広の帽子を被った魔人は、魔法使いサリヴァンが契約している
22人のうちのひとり、『愚者』に選ばれしものでもある彼は、語り部たちともまた違う規定外さをもって日々を奔放に暮らしている。
今回のフェルヴィン皇国の戦いでもサリヴァンの相棒として大きな働きをしたが、無茶をしたことが堪えたらしく、サリヴァンの陰でまる一日籠っていたことをヒースは知っていた。
「もう体は大丈夫なの? 」
ヒースの問いに、ジジは右手をくるくる回して答えた。
「今日の昼までかけて、きっちりメンテナンスしてもらったからね。もう万全さ」
(そういえば、ジジの『核』って、なんなんだろうな)
魔人は、無機物に呪文を刻み、魔法をかけてつくるという。
無機物の部分を核と呼び、彼らにとっての心臓にあたる。フェルヴィンの語り部たちの核は、鍛冶神の炉で練り上げられた『原初の泥』を含む銅板だった。
魔人であるからには、ジジにもその『核』は存在するはずだったが、ヒースをしてもジジの核については一片の情報も与えられていなかった。
そうかからずに、二人は地面を踏むことができた。
ジジが事前に見つけておいた地下から城へと続く隠し通路は、山深い森の中にあった。
フェルヴィン特有の火山に強い細長い灰色の木が、斜面に下生えを茂らせてヒョロヒョロと枝を伸ばしている。小柄な背中は躊躇いもなく、ずんずん山へと続く坂道を登っていった。
隠れるようにあった洞窟。朽ちかけた坑道跡に擬態された入口は、そうと知らなければ行き止まりの土壁を叩いて終わるだろう。
ジジが指を向けると、壁面を魔力で編まれたオレンジ色の炎があたりを照らす。
通路はまるで生き物の食道のようだった。
土の壁はそう経たずに煉瓦造りになり、地面は石畳になった。曲がりくねった一本道を進むうち、石畳は幾何学的なタイル張りになり、やがて立派な樫の木でできた大扉が現われた。
フェルヴィン王家の祖神であるアトラス神が彫りこまれている。古い蝶番は、呻くように軋んだ。
フェルヴィンの王城は、いまや地下の多くが崩落している。ヒースは、ジジが霧状にして放つ体の一部が感知した安全な道筋を進んだ。
戦いのさなか、開いてしまった冥界の口を閉じなければならなかった。選んだのが爆破という暴力的な手段だったが、王家の住まう北の棟は、山肌に面して他の棟の陰になっており、被害を免れていた。
青い月明かりが差し込んでいる。
住民の性質を反映して、王家の住まいだというのに、質素というほどではないが素朴なものが目につく。
静寂に包まれた王城の中で、北の棟に残る生活の名残りは、どこか暖かかった。
職人の技を凝らした調度品の中にこっそりと混ざる、小さな手作りの品。子供が手習いで作った皿や手芸品だろうか。
フェルヴィンは鉱山とともにある鍛冶と工芸の国だ。皇子たちにも一通りのことをやらせていたのだろう。
『それ』は、ケヴィンが言ったとおりに、彼の部屋の机の奥にしまってあった。
両手で持つほどでもない大きさの平べったい木箱には、とりとめもないものが整然と収まっている。
「こりゃあ宝箱だ」ジジが笑った。
「大事にされてるね」
「ヒース、わかってるじゃないか。そう、これはとっても大事にされてる。分かりやすくね」
「どうする? これごと持って帰る? 」
「それがいいでしょ。だってこれは宝箱だから」
ヒースが手に取った、その時に。
「えっ」
互いに声を上げた。ジジが目を剥いてこちらを見ている。視界が渦を巻いて波打ちながら
ジジの淡く翠ががった金色の瞳の輝きがぐにゃりと潰れ、細い帯を引きながら、波紋状に歪む世界を巡っていく。
ぐるぐる、ぐるぐると。
打ち付けられる体。遅れてきた痺れるような痛み。しかしその感覚も、針を刺したように刹那のことで。
(音がしない。やっぱり何か、まずいしろものだったんだ)
泥のような闇の中、ヒースは頭を巡らせる。
(どういう作用だろう。『あの人』の持ち物だと予想されるもの。視界が
暗転する視界の中で、つい伸ばした手を誰かが掴んだ。
(――――ジジ? )
「……やっぱり駄目だったんだ。ボクなんて……」
(ジジの声だ)
「生まれてくるべきじゃアなかった……」
ヒースは驚いた。とつぜん弱気なことを言っている。
指に力を込めてみた。握り込んだ温もりは、応えるように握り返してきた。
「……ごめんねェ。ボクは、いかなきゃいけないんだ」
涙声のジジが言う。
(今どんな状況だ? 目を開けなきゃ。確認しないと……)
瞼が重い。しかしゆっくりと、切れ目のような視界が広がっていく。目が見えてくると、急速に感覚が戻ってきた。
頬に震える吐息がかかっている。
翠がかった金の両眼がまぶしい。
生臭い――――血の匂いがする。
ヒースはしっかりと目を開いた。
見慣れた顔に血が散っている。ジジの歯が、少し尖っているのは知っていたし、猫のようだと思ったこともある。今しがた獲物を食んでいたように、顔の下半分が生温いもので濡れて顎から滴っている。歯列まで赤く濡れた咥内が開いた。
「ボクは、生まれてくるべきじゃあなかったんだよ」
(そんなこと言うなよ)と、ヒースは言うつもりだった。うう、やら、ああ、やら、言葉にならない唸り声が喉から出る。
視界の端で動くもの。まさかそれが、自分の手足だろうか。
(赤ん坊の体じゃあないか!)
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