エピローグ【"RE”volution】
ジジは暗闇を歩いている。
隙間の無い闇は、すっぽりと体を包みこみ、自分の指先すら分からない。
探るように前に伸ばした指先を、誰かが握った。
「こっち」
「……ミケ? 」
返事の代わりに、ぬるい手指がジジの手を握りなおす。
滑るように歩いていく。ようやくジジは、これが夢だと気が付いた。
「キミは本物のミケ? 」
微かに笑った気配がした。「……本物だな」ため息をつく。
「キミはどうなったの? 」
ミケは答えない。
「まだあの星の海にいる? 」
ミケはまた答えない。
明かり一つ無い闇が、薄れていく。
明るくなっていくわけではない。
闇に色が重なると同時に、指先の感覚が遠ざかり、覚醒の感覚が押し寄せる。
「……気を付けて」ミケがようやく言葉を口にした。
「わたしたちは銅板のかけらで繋がっている――――――」
遠ざかる夢の残滓の中に目を凝らしても、ミケの後ろ姿すら見られないまま、ジジは目をひらいた。
夢の中に比べてれば、薄絹のような闇。
低い無骨な天井は、飛鯨船のものだった。
はっと身を起こしたジジは、自分が枕にしていた物体に手をかけ、それに巻き付けた自分の『影』を剥ぎ取る。中からゴロリと転がったものが、飛鯨船の座席でバウンドし、ジジの膝にぶつかって転がった。
黒く変色した古い頭蓋骨を見下ろし、ジジは大きな舌打ちをした。
「――――――サリー! 逃げられた! 」
✡
暗闇の中で目を開いた。
自らの意志で、目を開いた。
冥界の闇は、『
長い長い、冥界での孤独の中で、摩耗した意識は二つに別たれていたのを、ようやく自覚した。
無知な己は言う。
『
そんな己に、もう一人の己が言う。
『つまらないことを言うな。目を背け、逃げ回ったとて、この怒りからは逃げられない。苦しむのならば
忘れるものかと、目を開く。
無知で無垢な、真実に怯える己と、怒りに震える己とが、混ざり合い、意志のありかを奪い合う。
怒りが己に告げている。
忘れるな。
目を開け。
見ろ! 思い出せ!
あの裏切りを!
我が身を焼いた苦痛を!!!
無知が罪だというならば、無知であれと意志を奪ったのは、他でもない神々である。
運命などという言葉で、我が意思を汚した人類も同罪である。
無垢な己は、炎とともに汚された。
三晩ものあいだ焼かれた傷の痛みは、まだこの魂に刻まれている。
深く。
深く。
黒く。
そして、赤く。
乾き、ひび割れながら、その下の血も、骨の髄まで捧げても、消えなかった炎の傷が、いまだこの心を苛んでいるのだ。
―――――なぜ己が、こんな痛みを受けなければならない?
なぜ?
答えが与えられないということは、意味など無かったのだ。
人々が後付けで見出した理由など、納得できるわけがない。
己は正しい。
―――—この怒りは正しい!
……ああでも、それでも。
全てを焼き尽くしたあとは、ひどく悲しかった。あの美しい世界を壊したのが己だということに震え、怯えてうずくまる臆病なほうの己の体を、『憤怒』の己は、蔑み、無様だと罵っている。
森は消えた。泉も、木漏れ日も、あの親子も、ともども、この炎が喰い尽くしてしまった。
ああ……取り返しのつかない、悲しいことをしてしまった。
臆病な己には、憤怒の己が主張する絶対的な正しさが分からない。
「その憤怒は、我らが抱くものと同じでございます」
灰の雨とともに、灼熱の風が吹く。
うずくまる己の前に、いつしか立っていたのは、四人の亡者たちだった。
「己は愛する人を殺されました」と、黒髪の男。
「己は愛したものに裏切られました」と、赤い衣の武者。
「己は生まれながらに虐げられました」と、灰色の娘。
「我らに救いなど与えられませんでした」と、黒い目の女。
「……あなたは正しい」
「いいや。正しさなど、どうでもいいでしょう。正統性など無意味なこと」
「そのとおり。この悲しみは癒されることはないのだから。地上の正義などにこだわる必要がどこに? 」
「我々はもう死んでいる。いま再び、この地上の土を踏んだ意味を思い出しましょうぞ。千載一遇の機会ではありませんか」
「そう! そうだ!
「すべては手遅れ。我らの心は癒されない。しかし、我らはここにいる。ただ痛みを抱え、耐えるなどできない。ならば、神にも人にも、この世はやりません。『審判』されるのは神々だ。この世界を、我らの炎であまねく焼き尽くすのです。最後に立つのが我々か、人類か、神々か―――――正しさなど、残った者が決めること」
「涙を薪に。怒りを炎に変えましょう」
「望まれるように、愚かで醜い獣になりましょう。この世に災禍を降り注ぎ、満たしてやりましょう」
「冷たいこの体を温めるのは、復讐だけ。もう一度生まれてしまったのなら、私はせめて、笑って死にたい」
暗闇の中で、目を開いた。自らの意志で、目を開いた。
灰の雨とともに、灼熱の風が吹く。火花の赤は、この身を苛んだあの炎と同じもの。蹂躙され、燃え尽きた森は、この心そのものだった。
「……気に入った」
立ち上がる。
「運命とやらがあるのならば。正しさがこの世を創るのならば。己の手が、それを壊したい。この行いに善も悪もない。……やりたいから、
亡者たちの瞳が輝く。
宿るのは、色は違えど希望の光だ。
この胸にも、同じ光が灯っている。
恐れが消え、迷いを振り払う。
「……天空へ。あの空の先、神々おわす空の最果てまで、我らの
この心が赴くまま、前に進もう。
失うのは命だけ。
恐れるものなど、何もない。
✡第一部 『星よきいてくれ』完
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