幕間:語らう魔法使いたち


 蝋燭が一本だけ灯っている。

 わびしい明かりの中、テーブルを囲んで三人の人影が蠢いている。


「預言の時が迫っている」

 老人の声が言った。

「アイリーン……『影の王』が唱えた預言の時が迫っている」


「預言はもう始まっているのではないのか? 」

 男の声が老人に尋ねる。


「なにせ……最下層タルタロス墓守アトラスの民は落ちたのだろう? 」

「確かに」老人が頷く気配がした。


「『最後の審判』は始まった。我が曾孫は、それに巻き込まれたのだろうよ。確かに、『最後の審判』は魔女が預言したとおりに始まった。しかし、俺が言っているのは、『影の王』の預言のほうさ、クロシュカ」

 存外若々しい口調をしている老人の影は、ゆっくりと背を丸めて、テーブルの上に両肘をついて指を組んだ。


「『影の王』の預言? なんじゃそれは。わしはそんなもんは知らんぞ」

 反対に、『クロシュカ』と呼ばれた男のほうは、声の印象よりも老けた口調である。



「知らんのも仕方ないだろうよ。影の王の預言は三十年前のことだ。クロシュカはあのころ子育てで忙しかったろ。俺もそうだが」

「カ―――――ッ! 愚息の話は今はするでないわッ! 胸が悪い! 」

「すまん。口がすべった」

「ふん! して、その預言とやらは、どういう内容であったのだッ! 」

 男のものと思われる細長い影法師が、ドスンとテーブルにちんまりとした両足を乗せて腕を組んだ。老人の隣にいる黙ったままでいる女の影が、静かに含み笑う。


「ふうむ、俺も伝え聞いただけなのだが……」

「なんじゃ役に立たんのう! 」

「まあそう言うな。そのころ俺は、新しい当主の補佐に本腰を入れるという時でな」「ハん! 噂の『良く出来た孫』とやらか! 」「そうだ。若いがちゃんとした当主がいる以上、預言の内容を聴くのは辞退したんだ。もともと入り婿の外国人だからな、俺は」


「お前がそう言うっちゅうことは、その預言とやらは国に関わることだったのか? 」


「そうだ。うちが預言を聴くことができたのも、どうやらその預言には、うちのボンが関わっていると思われたからだ。……そのときは、ボンは影も形も無かったわけだが、恐らくそこに書かれている人物は、うちの孫の息子だろう……つまり俺のとこの曾孫ボンだろうってことになったのさ。転じて、我が国は近々『最後の審判』が起きると考えたわけだな」


「なるほど……おまえの曾孫の時代に『最後の審判』が起きると預言されていたわけじゃな。あいや分かった! つまりアレだな? この国にとってのおまえの曾孫は、天使になるか悪魔になるかで会議は踊るってところかのう? くふふふふ……なるほろなるほろ……我が身ながら面白い時に来たものだのう」


「面白く思ってくれて結構だがね、それで、おまえさんは俺たちに協力する気は起きたのか? どうなんだ」


「するともさァ。ここで参戦しないでどうする。最後の審判に『次』は無かろ? うくくくく……」



「ハ―――――――ッハッハッハ! 」


 男の笑い声で、蝋燭の火が頼りなく揺れる。

 細長い影法師が椅子を蹴とばして立ち上がると、テーブルに前のめりに乗り上げ、握りこぶしを蝋燭にむかって突き出した。


 皺も節もない、つるりと剥けた卵のようなこぶしが、炎に突き入れられる。

 炎を握った手のひらが、焼けることもなくそこにある。それどころか、握られた炎は油をまいたように高く燃え上がり、揺らめいたかと思うと、無数の綺羅星を散りばめたように輝く燐光をまぶした黒へと変わった。



「おいコネリウスッ! わしに助力を求めたこと、後悔するでないぞ! 」



 銀河を宿す黒い炎に照らし出されたのは、幼い少女のかんばせ

 そこにあどけない魅力はみじんも無く、あるのは剥き出しの闘争心だけである。

 小さな頭蓋の左右からは、山羊のように巻いた角が突き出している。



「このクロシュカ・エラバント! いつ『悪魔』に転じるとも知れんのだからなッ!! ハ――――――ッハッハッハッハッ! 」


 幼女は太い男の声で、薄い胸を反らして高々と哄笑こうしょうした。



 ✡



 昼間の回廊は白く輝いている。


 大きく半円型にくり貫かれて見える外から差し込む陽光が、足早に進むわたしの影を断続的に照らし出した。

 交互に続く、目に痛いほど白い日向と青ざめた影が、この長い回廊がいつまでも続くように錯覚させる。

 足元だけを背景にして考え事をしながら一心に歩くのは、嫌いではない。

 ……楽しいことを考えている時ならば。



 カツコツと続くヒールの足音をテンポにして、頭の中で何度も自分の声がする。

 ―――――時は来たれり。時は来たれり。

 ―――――三千五百年の猶予はついに破られた。

 ―――――『終わり』がついにやってきた。


 文明が栄えるのと反比例して、神秘は衰退した。

 三千五百年。この期間は、いわば津波の前の引き潮だ。水が引くほど、あとから来る災いは大きい。

 神秘という、この世界を覆っていたものが捲れ上がり、隠されていたものが露見しようとしている。

 人々がそれを目にしたときには、もう何もかもが遅いのだ。

 津波は―――――災いは――――――すぐそこにまで来ている。


 三千五百年と十八年。途方もなく長いようで、いざ辿り着くと短い生だったと思う。

 後悔はない。わたしはそう選択し、今まで生きてきた。

 ―――――今! この時に辿り着くために!


 回廊が終わる。目の前に扉がある。

 青い旗を交差して掲げた門番たちが道をゆずった。わたしは足を止めることなく、ドレスを翻して独りでに開いた純白の扉の向こうへ行く。


 広間がある。高い天井には、色鮮やかに荘厳な宗教画が踊っている。その天井を照らすために、四方にずらりと、青空を映す大きな天窓がある。

 回廊と同じく白い床には、金銀の縁取りがついた青い絨毯が、まるで玉座への誘導案内のように敷かれていた。


 いくつもの視線が、わたしの行進を全方位から見つめている。

 わたしはその中心を迷いなく進む。


『ここはわたしの場所でもあるのだ』とでもいうように。


 もっと見ればいい。――――――わたしはここにいるのだから。


 玉座から、王もわたしを見下ろしている。

 口が開く。相変わらず舞台役者のようによく通る声。


「――――――エリカ・アイリーン・クロックフォード」


「はい。ここに」


 玉座の足元でうやうやしく跪いた。

 金糸で編んだレースの縁取りをされた紺碧のドレスが扇形に広がる。身に纏うわたしは、その、夜空を模したドレスに負けない髪と、肌と、瞳と、声を持っている。


 王は……オズワルド・ロォエンは、満足げに笑った。

 男も女も息をのむ。

 金糸のような髪、褐色に焼けた肌、深い海のような青い瞳、厚い胸板、長い手足―――――オズワルドもまた、美貌で知られる男だった。


 美貌の王に、跪く乙女。

 乙女わたしと王の目が交差する。


 ――――――どうだ。美しかろう。


 目元だけで笑む。わたしたちは同じことを考えていた。


 ここは舞台。わたしたちは演者。

 一世一代、世界の命運をかけた大舞台を、わたしたちは演じ切らなくてはならない。役に喰われたほうは、この世界もろとも破滅する。



 これはそういうだ。



「【陛下、お知らせすることがございます】」

「【よい。申してみよ】」

「【影の王の従者、サリヴァン・ライトが帰国いたしました。ひいては――――】」


 さあ。


 幕が上がる。


 呼吸を整えろ。


 瞬きをするな。


 まれなる魔女。


 魔術の王女が、ここにいる。



「【――――――その御出迎えのお役目を、であるわたくしに、お任せいただきたく存じます】」


 オズワルドは、また、満足げに笑った。



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