『星よ きいてくれ』

 ✡



 冥界に、打ち捨てられた骸があった。

『……むごいことだ。終末の天使を、このように――――』

 丘の上からでも、その巨体はよく見えた。

「……止めないのか? あれ。もしくは回収するだとか」

 石の草木が生える不毛のかの地で、アイリーンは寒そうに両手を擦り合わせ、かたわらに立つ翁に問いかける。


『回収してどうする? 今、神であるわしらがそうすると、地上の審判に手を出したとされるだろうよ。ましてやわしは、前科のある神ゆえな。ほほほ』

「知恵の神ならば、知恵を絞って助けてやりゃいいのに」

『そうもいかんさ。これは人間たちの試練じゃからのう』


 まだ腐臭を放つに至っていない、瑞々しい死体だった。

 逞しい背中をさらし、昆虫に似た顔は横を向いてねじ曲がっている。むしり取られた翼のあとが、濡れてテラテラと光っていた。

 その翼は、ぶつぎりになって、岩場のあちこちに破れ傘のように転がっている。


 アイリーンは下唇を噛んで、両手をきつくコートのポケットに押し込んだ。


「どんどん生まれていくぞ」

『ほほほ。辛抱、辛抱』

「……愛弟子があいつらに食われてたりしたら覚えてろよ」

『あの勢いだ。すぐ終わる』

「…………」


 歌声が聞こえてくる。


 ――――崇め湛えよ。我らがあるじ。

 ――――奈落の王にしてしょくの王。大いなる食事に感謝せよ。

 ――――飽食は我らがつとめ。目玉を捧げ、前菜に指のソテー。脊髄のスープ。森と家畜のサラダ。腸詰の血煮込み。手足のロースト。デザートは脳髄のゼリー寄せ。

 ―――――食らえ、食らえ、食らえ。

 ――――崇め湛えよ。我らがあるじ。

 ――――いなごの王にして神の毒。混沌の蛇のきょうだいよ。

 ――――あらゆる食事は赦された。

 ―――――我らいまこそ飽食に耽るとき。

 ―――――目玉を捧げ、前菜に……。


 無数の蝗たちは、奈落の王の遺骸をみ、飲み込み、謡う。

 腹が満ちたものから翅を広げ、地上へと飛んでいく。


 ――――崇め湛えよ。我らがあるじ。

 ――――奈落の王にしてしょくの王。

 ―――――大いなる食事に感謝せよ。



 ✡ 




 飛鯨船の操縦席で、グウィンは大きく息をついた。

「……時間だな。―――――ベルリオズ」



 ✡




「承知いたしました」

 ベルリオズら、語り部たちは、王城の地下にいた。


「お時間ですぞ。お二方、準備はよろしいですか? 」

「はい」

「はぁーい」

 それぞれ、間にある壁すら飛び越えて、合図を交わす。


「スート鉄人兵の皆様も、準備は万端ですね? 」

 スート兵は言葉を持たない。

 しかしベルリオズは、持ち前の語り部の広い視野で、配置から動いていない兵たちを感知すると満足そうに頷き、地下講堂の中心で右腕を振り上げた。


「それでは……いち、にの、さん! ―――――発破はっぱっ! 」




 ✡



「ハハハッ! なるほど、を潰したか」

『……神聖な冥界への入り口を、巣穴呼ばわりするとな? 』

「害虫が湧いてるんだから、巣穴以外の何ものでもなかろうよ」



 ✡



 黄金の人。


 神々が最初に創造した、最初の生者にして死者。

 禁断の炎を受け取った者。

 人類に永劫の罪を背負わせた罪過の人。

 それは魔女が降り立つよりもさらに遥か昔、世界がまだ、天と地と海の一つの塊だったころのこと。


 神話では、その者はただ『黄金の人』と表現され、後世に創作された詩曲では篝火を意味する『イグニス』と名付けられた。


 無知でものを知らないイグニスは、神々に祝福されて生まれたときには不死の黄金の心臓を持っていた。

 そのころ世界には、太陽と月と星々しか明かりが無く、炎とは天にあるものだったから、一人の神がその炎を彼に分け与えようとしたのである。

 彼は、それが何か分からなかった。

 火は瞬く間に彼の立つ土地を包み、燃え盛る地の中心にいるイグニスの黄金の心臓は、溶け爛れても彼を生かし続けた。

 彼は神々に、この苦痛を取り除いてくれと懇願する。

 願いを聞き入れた神は、イグニスから黄金の心臓を取り除くと、彼は不死の力を失い、焼け死んでしまった。

 神々は彼の灰を掬い取り、鍛冶の神に二度目の人類を創るように依頼する。


『黄金の人』から生まれた人類は、不死ではなく病と老いの運命に苛まれてはいたものの、神の火から得た知恵を受け継いだ『銀の人』であったという。


 そのイグニスが、もしも復讐するとしたならば……ああ、確かに、彼にはこの審判に横やりを入れる理由があるだろう。

 その後、『銀の人類』は炎の知恵を以て繁栄するが、一人の女をきっかけに争い尽くし、親殺し兄弟殺し子殺しの罪を得てもろとも根絶した。


 次に生まれたのは『銅の人』であったけれど、彼らもまた繁栄の果てに秩序を失い、醜悪な不義にまみれたことで水に沈む。

 そして最後に『鉄の人』が生まれ、これが今の人類であると伝えられる。


 イグニスは、無知であるがゆえに罪を負って苦痛の中に死んだ。


 けれど今の人類は、炎の知恵を得てもなお、罪を二度も繰り返した果てに生まれ、一度は滅ぼされる寸前にまで手を下されている。

 魔女の手により生き延びた『鉄の人』の子孫たちは、温情により再びの繁栄の機会すら得た。


 なんて理不尽な話なんだと思う。


 たった一人の『黄金の人』は、他でもない神が差し出した炎のせいで焼け死んだというのに……。



 ✡



「……”天にしらほし”……”地に塩の原”」



 星空が罅割れた。

『花』の赤い根が、空にしがみついている。天空に根付く花は、満開を迎えてまばゆい白に発光している。

 根は血管のようにも見え、雲を呑み込んだ花は、鼓動する心臓にも似ていた。


 箒の柄の金具につけたベルトは、サリヴァンの腰に繋がっている。二又に分かれて、ズボンの腰のあたりに回されたそれは、見ての通りの命綱だ。

 吹き出した蝗の群れの一匹に、サリヴァンは剣をかかげて攻撃をしかけた。

 呪文をつむぎ、炎蛇のあぎとが群れを端から飲み干していく。



「”誓いは胸の内にある”

 ”指針が示すは、黄昏たそがれのふもと”

 ”声届かずとも、手は触れている”」


 鋭い棘のあるカギ爪が頬をかすめる。剣が沸騰したように粟立って膨れ上がり、柔らかな卵色の腹を殴るように切り裂いた。

 急降下に、尻が箒の柄から浮く。

 雄たけびを上げ、二匹目の炎蛇を絞り出す。


「”願いはどこと母が問う”

 ”捨てるべきは何かと父が問う”」


 真っ二つにした蝗の死体が上から降ってくる。目が潰れるほどの光が、サリヴァンを襲った。

 とっさに閉じた目蓋すら透かし、網膜に白く光が焼き付く。

 閉じた目蓋ごしに、炎蛇の姿が赤いすじになって踊る。

 上を見上げ、サリヴァンは急上昇を始めた。

 箒の柄を立て、顎と腹を平行になるようにしがみつく。



「”剣はすでに置いてきた”

 ”花は芽吹かずとも、喉を旅立つうたは枯れることがない”」



 ――――――ォォオオオォォォオオオオオォォォオオオオォォォオ


『花』が叫んでいる。

 根が、鼓動するように明滅を繰り返す。花びらの淵に、赤が戻っていく。


(ミケ! おまえの主人は、ここにいるぞ――――!!! )

 火花が降り注ぐ。熱で溶けだした金属の飛沫が、サリヴァンを襲う。全身から焦げ臭い匂いがする。

 かまわず、剣を振り上げる。目蓋は空けなくても、



 アルヴィンは腕を広げて、天に向かって叫ぶ。




「―――――””! 」



 ”黄金の人イグニス”が、大きく口を広げて何事かを叫んでいる。眼孔は白く、それ以外は紅く発熱している。

 切っ先は吸い込まれるように、そのくびに差し込まれた。

 肉を切るというよりも、粘力のある液体に突っ込んだような、奇妙な感触。

 ぶくり、と、その頭蓋が泡のように膨らむ。


 ――――――切っ先が、抜けない。

 肉の中で何かに掴まれているように、刃が動かない。

 どろりと、溶け出した白い熱源がサリヴァンを呑み込もうとしている。

 意を決して、融解しかけた”黄金の人”の肩に左足をかけた。蹴り上げた一瞬で、じゅうっとひどい音がする。


「―――――ッォォオオオおりゃぁぁぁぁぁあああああ!!!! 」


「”誓いの言葉を”! ”望みはひとつ! この足が止まろうとも”—————……」



 蹴り上げた時の衝撃で、箒の柄が手から滑り落ちる。重力を全身に感じながら視界が巡る中、サリヴァンは腰のベルトから箒を手繰ろうとして、その先に何もないことに気が付いた。



「――――――……”あなたが頭上で輝く夜が、続くこと”」



 せきが切れたような浮遊感。

 見開いたサリヴァンの視界は、真っ白に曇っている。風で転がされている自分の体が、上を向いているのか、下を向いているのかもわからない。

 地面に叩きつけられるのは、はたして一分後か、三秒後か―――――?


 とっくに規則性を失っていた自分の呼吸のリズムが、フッ、と途切れたのが分かった。

 張り詰めた意識の糸が千切れる。

 息をつめ、『その時』に備えた。



「―――――ッサリィィイイ! 」


(———――懐かしい声が聞こえる)




 ✡




 感じるのは、柔らかく着地した強烈な油のにおいのする温かい振動する床。

 脳みそがくらくらする爆竹のようなエンジン音。

 そして、確かめるように額から首にかけてをなぞる、柔らかい手の感触。


「間に合って良かった……」


 サイドカーに重なる幼馴染兼要救助者一名を見下ろし、ヒースは、よりエンジンをふかしてハンドルをきった。

 銀色の機体は、魔法の箒の発展型。流線形を描く車体の内側には、二輪駆動に三つの魔力蓄積型エンジン。

 従来の箒との最大の違いは、重量級の運搬とスピードを両立するそのパワフルな機能性。


 まだ法整備もできていない開発中の機体は、ヒース自慢の隠し財産のひとつである。ケトー号には負けるものの、手塩にかけて育てた愛機だった。


 ヒースは風に乱される黒髪を撫でつけるように耳にかけ、大きなため息を吐く。

 グローブの中はもちろん、剥き出しの二の腕や、下着の中の胸の谷間まで、肌という肌は、冷や汗でびっしょりと濡れている。

 密室の運転席ではラフな格好を好むヒースであるが、これでも幼少期から厳しく教育されている彼女は、袖の無い恰好のまま空の下に出たのは、今日が初めての経験だった。


「……世話が焼ける婚約者だこと」


 ヒースは小さく笑って、空に浮かぶ自分の船へと舵を切った。



 ✡



『花』が瓦解していく。

 ―――――いや、瓦解というのは正しくない。崩れた端から、光の粒になって、星空へと風に乗って消えていく。


 アルヴィンは城の尖塔に立ち、空を見上げていた。


「”天にしらほし””地に塩の原”

 ”誓いは胸の内にある”

 ”指針が示すは、黄昏たそがれのふもと”

 ”声届かずとも、手は触れている”

 ”願いはどこと母が問う”

 ”捨てるべきは何かと父が問う”

 ”剣はすでに置いてきた”

 ”花は芽吹かずとも、喉を旅立つうたは枯れることがない”


 ”星よ きいてくれ”

 ”誓いのことばを”

 ”望みはひとつ”

 ”この足が止まろうとも”

 ”あなたが頭上で輝く夜が、続くこと”……」


 風の音がするだけで、何も起こらない。

「……駄目かぁ」

 溜息とともに、脱力感がアルヴィンを襲う。屋根を降り、出窓に腰掛けた。


 ふと、考える。

 こんなことは、ほんの数日前の自分ならできなかっただろう。城の屋根に上るなんて。


「……はは」

 光の粒が目の前にも落ちてくる。見たことがない『雪』のようだった。

 空はまだ晴れている。


 自分のこの体も含め、すべてが奇跡によってできた光景だった。

 ジーン・アトラスだって、絶対に見たことがない奇跡だった。


 ぶらぶらと足を揺らす。体から炎が抜け出ていって、また魂が剥き出しになっていく。

 けれど。

 足は両方とも膝まであったし、両手もある。

 心臓のあたりで揺れる炎には、ときおり赤いものが混ざる。

 ミケとダッチェスが分け与えてくれた種火が、この体には宿っている。


 強くなろう。

 そうして取り戻そう。


 いつかまた、ミケの名前が呼べる日が来る。



「待ってますよ」


(うん。待ってて。会いに行くから)

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