16-2 『星』の娘
『黄金の子』を失った神々の悲しみは大きく、鍛冶の神のもとには、次なる人類の製作が依頼された。
しかし、最も大きな悲しみを抱えていたのは、他ならぬ鍛冶神であった。
白亜の宮殿の奥深く。山肌に食い込む、ぽつんとある鍛冶神の工房には、いつもかの神が一人きり。
その相貌ゆえ、生みの母に拒まれ、妻でさえ寄り付かぬ。
『黄金の子』は彼の息子であったが、同時に作品でもあった。
主たる神の王へと捧げられ、灰になって帰ってきた息子の変わり果てた姿を目にした鍛冶神の心を、誰が分かろうか。
寡黙な男神が人知れず涙を溢したのか、それとも職人の矜持として、すべてをこらえて作品にあたったのか。
それは誰にも分からぬことだが、鍛冶神が悲しみを抱えて『銀の人』に命を吹き込んだのは確かであった。
材料は、女神の冠にも使われる『高貴なる神々の銀』。鍛冶神はそれを『叡智の炎』で溶かし、『黄金の子の遺灰』を注ぎ、冷やし、固めた。
その冷たい水に流れ落ちた涙こそが、『銀の人』にあり『黄金の子』に無かったもの。
のちも人類は
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フェルヴィン皇国を構成する列島を蓋のように覆う黒雲は、火炎によってヌラヌラと焼けた鉄のように輝いていた。
傘の骨のように、放射線状に黄金の光が伸びていく。浮遊する真紅の火炎の花が、岩石のように黒々とした厚い雲に光の根を張っていった。
空に食い込み、花は浮上していく。花芯にある人影は、ぐんぐんとそれと分からぬほどに遠ざかり、炎の放つ光の粒の中に隠れてしまう。
空へ、空へ。雲を穿ち、さらに先へ―――――――。
しかし。
「……止まった」
ジジが渇いた声で呟いた。
緊張で瞳孔が針のように細くなっている。
地上には青白い濃霧が漂い、屋根の際まで埋めていた。ジジは、その家屋の屋根の上のひとつに立ち、強張った吐息を漏らす。
濃霧は海まで流れ出し、最下層の表層を覆い尽くしているのだろう。
広がる光景に、首のあたりまで肌が粟立つ。
ふと、吐いたと息が白く煙っていることに気が付いて、顔をしかめた。
燃え盛る
やがては生き物が死に絶えた、乾いた大地になるだろう。
✡
「人類を審判するどころではない。このままでは、冥界にこの世界が呑まれるぞ」
アイリーンは暗闇を見上げて、そう口にした。
そこは、古代式の裁判所だった。
石造りの円形舞台である。円を描く、すり鉢状の階段は、裁判官と傍聴者の席だ。被告人は下に立ち、彼らを見上げながら罪を裁かれる。
その落ち窪んだ中心に立ち、アイリーンは、上から見下ろす無数の視線を受けながら腕を組んだ。
「冥界の神々よ。秩序の守護者たるあなた方が、いつまで手をこまねいている? 」
時空蛇め、と声が飛んだ。《これもすべて、貴様の手の上か? 》
神が威圧のために発した声である。アイリーンはよろめき、膝をついたが、なんとか持ち直して首を持ち上げた。
白い肌を黒髪が縁取っている。真紅の瞳は、ほの青い暗闇に輝く。黒い瞳孔が切れ目のように鋭く尖る。
一歩。踏み出す。
二歩。大きく足を踏み鳴らす。
さざ波のような声が静寂に落ち、神々の視線が円形舞台に放射状に降り注ぐ。
「……何を言っている? 」
壇上の一角に向け、アイリーンは呟いた。
「何を言っている!? こんな時に、重要なのは責任の所在か! 高い矜持をさらすことか! 矮小な人間ふぜいに堕ちた時空蛇の言葉が、そんなに耳に痛かったか!? 今の言葉を口にしたのは誰か! 名乗りを上げろ! 」
すっ、と一つの影が、段上を降りた。
《そういきり立つでない。同僚の非礼を詫びよう……》
滑るように人影が降りてくる。華奢な人影はアイリーンのもとへ近づくたびに色を取り、薄汚れた老人の姿が浮かび上がる。
まるで、毛玉だらけの灰色のローブを、枯れ木に引っかけたようにも錯覚するだろう。
突き出た鼻と、六角のランタンを握る乾いた五指が、枯れ木をヒトたらしめている。
《……皆、焦っておるのじゃ》
「まさか打つ手がないとは言うまいな? 」
《その通りじゃ。面目申し訳ないことに、古代より秩序を守り抜いてきた神々が八百といながら、我々は手を打てないでおる。嘆かわしいことに! 》
老人はランタンごと大きく腕を広げた。
《我々は神であるからこそ、この事態に対処する術がないのだよ》
「なぜ、と訊いたら説明してくれるのだろうな? 」
《もちろんだとも。そのために集まっていたのだからな。なあ、みんな? 》
ざわめきが戻る。困惑と焦燥、憤り、そして期待の匂いをアイリーンは感じ取った。
傍聴席の中から、もう一柱、影が降りてくる。ここまで案内してきた旅装の神である。
彼は、当たり前のようにアイリーンの横に立つと、灰色の老人に向かい合った。
空に向かって老人が掲げたランタンから、白い火花が漏れる。
《……まずは……そう。昔話をせねばなるまい……》
✡
『魔術師』はふたたびフェルヴィン皇国に降り立った。
ゲルヴァン火山の中腹である。高台に立ち、霧に沈んだ地上を見下ろせる。
しかし、その視線は地上には無い。空を見上げる黒々とした瞳には、紅い花が咲いていた。
「ああ…………」
うっとりと『魔術師』は声を漏らす。震える自らの体を掻き抱き、
「この時を何度夢に見たことか…………あぁ……世界が終わるときは、こんな景色なのですね……」
✡
《むかし……むかし……》
老爺語るに、それは遥かな神話の時代、その栄華が散りゆくころのこと。
アトランティスが海に沈む少し前、大陸の砂漠に、豊かな国があった。
大河のほとりにあるその国に、ひとりの娘が生まれる。そこでは名を与えられるのは男児のみ。女児は名無しのまま、嫁ぐまでは父の名を、嫁いでからは夫の名を、自らの所有者として刻まれた。
娘は、
かの国の王が、娘の美貌に目を止め、宮殿へと迎え入れるほどに。
顔に刺青を刻まれ、王の所有物として宮殿へと召し抱えられた娘は、あまりの美しさに国王の目を眩ませた。
娘は美しかったが、まだ幼かった。
国王は嫉妬深くなり、残虐となる。
母恋しさに贅沢を欲しがらぬ娘に業を煮やした国王は、まず娘の父に娘の母を差し出させ、いわれなき姦淫の罪で処刑する。同じく恋しいと漏らした兄も、母親との近親相姦があったとして、その
残る父は葬儀代を受け取ると砂漠へ追放され、幼い弟だけが、娘に仕える奴隷として養育されることを許された。
娘はひとり、舌を抜かれたわずかな召使いとともに尖塔へと監禁される。
人々は噂した。
【王の城には星の姫がいる】と。
時ほどなくして、国王乱心の噂を聞きつけた隣国が、大河のほとりに目を付けた。大陸を横断し、海へと続く大河を手に入れれば、臣民の繁栄は約束される。
戦争になった。
統率の取れぬ大河の国は、みるみる領土を切り取られ、国王も討取られる。
すぐさま王弟が即位したことで、大河の国はようやく持ち直し、からくも終戦と相成った。
若き王弟は、非常に聡明な人物であった。そしてその賢さと同じだけ、臆病な男でもあった。
新しき国王は、塔を開き、娘をはじめて目にしたとたん、胸が疼いた。
娘は十五になっていた。
長年の幽閉の中でも美貌に磨きがかかることは止められず、四年の間に憑りついた闇が、よりいっそう娘の魅力に拍車をかけた。
若い王は、胸に覚えたその疼きに怯えた。娘の魅力に怯えた。兄がこの娘に、指一本も触れないまま閉じ込めていたということに褥で気づき、また戦慄した。
そう、娘は次なる王の妃となった。王は怯えたまま、娘の魅力に屈したのだ。
娘はほどなくして、姫を孕む。
姫君は、いまや誰もが忘れた言葉で『星』をあらわす名を与えられた。
そうして――――――生まれてすぐに、あの尖塔に入れられたのである。
大河の王国はもはや姿が無かった。虎視眈々と好機を待ち、英気を養っていた隣国により、あっさりと都は陥落し、星の姫君は喉を突いて自死した。もちろん、国王も後を追った。
大河に住まう臣民は虜囚となり、奴隷となった。隣国は大河を得て増長し、宮殿は異国の王によって娼館へとなり果てる。
星の名を持つ娘は、美貌を約束されているとして、尖塔へと閉じ込められた。
温情という名の、ていのいい飼い殺しの見世物であった。
御付きは去勢された男奴隷が一人。星の娘の弟、伯父である。
苛烈な環境であった。
少年ひとり、赤子ひとり。
まず、全身に刺青を入れられた娘が三月寝込んだ。僅かな食事を注ぎこみながら、なんとか生き永らえる。
時に食事すら届けられないこともあった。空腹に窓から鳥を釣り、爪で腹を割ると血を啜ってはらわたを呑む。
それでも食事ができないと、少年は自らの血を吸わせ、どうにか生かした。
そんな日々にも、十年で終わりが訪れる。
『混沌の夜』の訪れである。
大河が洪水となって国を襲った。尖塔にいた彼らは無事であったが、こんどは疫病の影が落ちる。さらに、恵みをもたらす大河が干乾び、蝗害が雲となって訪れた。
ひもじさの中、娘だけは生き延びた。伯父の死肉すら食んで、娘はようやく、尖塔から外へとまろび出る。
呪いあれ、と娘は言った。
この世よ滅びたまえ、と娘は祈った。
荒野に立つその小さな体を、蝗の雲が襲った――――――。
✡
《……死後、娘の魂は、父親の信仰にもとずいて冥府の慈悲深きネベトフトゥに引き取られた。名を呼ぶものを失った彼女は、
老人はそのまま、本当に枯れ木になったように、杖にもたれてしばらく動かなくなった。
旅装の神が言う。
《……きっかけならば、あの黒い泉であろう》
「黒い泉? 」
《地上の見たい場所が見える泉だ。未練ある霊を慰めるため、魔術に長けた女神が作って隠したのだ。欲する者のみに泉への道は拓かれる》
《……娘はいまや名前を得た》
老人が、とつぜん沈黙から顔を上げた。
《娘は『星』を意味する名を、仕える女主人から得たのだ。冥府で働くには、ただの亡霊では話にならぬ。女主人は娘に同情し、重宝するためにとびきりの名を与えた。『星』を意味する、新たな名だ》
「その名は? 」
《……【イシス】。青き星の化身にして、星を頂く玉座の守り手》
「―――――女神の名じゃないか! 」
アイリーンはドンッとまた石畳を踏みしめた。
「力ある名だ! ありすぎる! しかも女神みずから名を与えただと!? それでは本当に女神のようなものではないか! 」
《……それだけ憐れみに足る娘であった。そして娘もまた、誰かを憐れんだのだ……そう『黄金の子』を。彼の遺灰は、三つに分けて保管されている。その一つが、この冥府にあった》
「娘はそれを盗み、逃げた? 」
《ああ……冥府の王に、呪いをばら撒いてな。大立ち回りだったとも。ああ、思い出したくもないのう……。主であった女神を人質に取り、冥王に約束させたのだ。『与えられた仕事の成功のあかつきには、命をひとつ蘇らせる』と。冥王は頷いた。亡者が一人生き返るのと、女神が一柱いなくなるのとでは、後者のほうが痛手となるからの。ただし、娘が指定した亡者というのが、『黄金の子』であった》
「それで、娘は、『黄金の子』を蘇らせるために、フェルヴィンを襲ったのか。『語り部』の銅板と新たな体を……アルヴィン・アトラスの肉体を手に入れるために」
《……そうであろうな》
✡
神話には語られぬ続きがある。
大河の国を追放された父親は、諸国を巡る魔術師となった。残りの半生を贖罪に勤め、神々に祈りの言葉を唱えながら、各地で信仰と善行を広めた。
世界が暗闇に堕ちたあとも、彼はなんとか生き延び、魔女の隊列に加わる。
その先、男の名は歴史に埋もれてしまったが――――――やがて海の果てにある小さな島で、魔女とともに新たな国づくりに従事した一人だったのは、おそらく確かなことである。
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