16-1 ヒース・E・クロックフォード


 ―――――その日、ぼくらの街に星が堕ちてきた。

 のちに語り部トゥルーズは、そう記した。



 ✡



 ヒースはおもむろにぎった予感に、はっと俯いていた顔を上げた。

「……何か? 」

 怪訝そうにこちらを見下ろす男に向かって奥歯を噛み、ヒースは「もういいです! 」と、声を荒げる。

 テーブルを平手で叩き、立ち上がると、やんわりと進行方向を塞いでくる男たちの膝を蹴って軽く転ばせ、ヒースは堂々と、真正面から貿易ギルドのビルを出た。


 厚い雲のかかる空から、淡雪が僅かに降り注いでいる。年中こんな感じだが、『魔法使いの国』の空は、フェルヴィンの空に比べるとずいぶん明るい、青みがかった灰色をしている。

 港町特有の潮風が、木枯らしと氷をはらんで次々に街道を洗う。海風と、途切れることの無い人の足で削られた石造りの街道は、無骨で薄汚いねずみ色だった。


 宿に戻ると、ヴェロニカ皇女が出迎えてくれた。

「……どうだった? 出航許可のほうは」

「駄目でした。あやうく拘束されるところでしたよ」

 ヒースはがりがりと頭を掻く。


「……やはりと言うべきか、『魔法使いの国うちの国』の王様は、何か企んでいるらしい。私の情報がくまなく広がっています。何が何でも『影の王』の関係者を国から出したくないんだ」


「……心当たりはありますの? 」


「ありすぎて数え切れませんよ。我が母……『影の王』は、政務には関わらない王です。三千年以上そうだった。

 反面、『陽の王』は、代を重ねてこの国の政治と担ってきた。今の『陽の王』は、かなり革新的な考え方をする方です。歴代を見ても、あんなに野心家な王様は珍しい。

 世界大戦も終わって大戦を知る次の世代が育ってきた。このタイミングで、今の『陽の王』は、神秘の威光を借りた旧式の政治から、かなり現実的な政策に舵を切りつつあるんです」


「『審判』の預言のことは……当然ご存じなのよね? 」

「ええ。だから、内々に私たちを拘束したいんでしょう。『選ばれしもの』の関係者ですから。『陽の王』は『審判』の時を虎視眈々と狙っていたに違いありません」


「……なぜ、と訊くのは愚問ね。『選ばれしもの』が人類の代表だというのなら、自分の国からは、なるべく多くの『選ばれしもの』を送り出したい。そういうことでしょう」


「ええ。うちの国は神秘を否定しない。同時に『陽の王』は、この審判を、世界諸国と渡り合うためのカードとして数えている。……頭が痛い話です。まさか、自分の国の王様に邪魔されるなんて」


 ヒースは大きくため息を吐いた。

 けっして安っぽい宿ではないが、宿屋のどれもが体の大きなヴェロニカ皇女には手狭で、ひどく申し訳ない。


「そういえば、モニカさんは? 」

「モニカさんなら、お買い物に」

「買い物!? 」

「大丈夫ですわ。彼女なら、うまくやります。どうかお掛けになって。疲れた顔をされてるわ。さあ」

 皇女自ら椅子を引かれては、座るしかない。


(今こうしている間でも、サリーたちは最下層で戦っているかもしれないのに……)


 海層を抜けた先に、必ずしも大都会が広がっているというわけではない。とくにフェルヴィンへの航路は整備されていないこともあって、『下』から出てきたら、『魔法使いの国』こと、エルバーン諸島の北西沖に出ることになる。

 飛鯨船が降りられるだけの一番近くて大きな港を有するのは、北西端に位置する、サーナガーンという港街だった。

『陽の王』側もそれは承知であったのだろう。

 この街で足止めとくらってまだ一晩だが、これから時間がたつに従って、拘束の手は強くなることは容易に予想できることだった。

 しかし、補給ができる別の街へ向かうにしても時間がかかるうえ、そこに陽の王の手が届いていないと考えるほうが楽観的すぎる考え方だ。


 ふと、扉がノックされる。

 ついに実力行使か、と、皇女とそろって身構えた。

「……お客様、失礼いたします。お客様をお訪ねになっていらした方が」


 ヒースは、ぐっと眉根を寄せた。



 ✡



 夕暮れになる前に、ヒースは指定された飯屋へと出向いた。

 表通りに面したその店は、新鮮な魚介が売りで繁盛しているレストランである。

 素朴な木の内装に、甘いオレンジ色の照明と、香ばしい料理の薫香が染み着いている。

 指定された二階席は完全な個室で、団体客が貸し切っているということだった。


 ドアを開けると、影を抱えた真っ黒な巨体が腕を組んで立ち塞がっている。

 ヒースは、見慣れた仁王立ちにグッと奥歯を噛み締めた。


「――――—こンのバカ息子がッ! 」


 作業着に包まれた矮躯が吹っ飛ぶ。

 一階と吹き抜けになっている手すりに背中からぶつかり、ヒースは殴られたみぞおちの痛みに耐えながら、強張る顎の骨を開いた。

「……お、おやじ……」

 か細い声が出た。


「ネェェエエエロッ! 」

 鼻ずらまで黒い顔の中に、青い瞳と鋭い白い牙が光る。尻尾の先からヒゲの先、中折れした耳の先まで怒りに震え、ビーズを編み込んだ腰巻がシャラシャラと爽やかな音を立てた。

 ぐるぐると威嚇の音を出しながら、その異種族の男は冷酷にヒースを見下ろす。


「――――未熟者が! 魔の海に挑むなどと! 」

「……ごめん。おやじ。いや……師匠。……約束、守れなかった」


 ヒースを『黒いのネーロ』と呼ぶのはこの世でただ一人。ヒースが『おやじ』と呼ぶのも、この男ただ一人である。

 項垂れるヒースの肩を、船乗りの大きな手がパンッと叩く。ヒースは飛び上がるように立ち上がると、首根っこを掴まれて個室の中に連れ込まれた。


 一階と同じようなオレンジ色の照明で、船乗りの瞳孔は黒々と半月型を描いていた。裸の胸に下げた木の実の種でできた首飾りも、存在感を以て肩から続く大きな黒い翼も、翼の中ごろにある手のひらの分厚さも、ヒースの記憶と一寸も違いはない。


『ケツルの民』と呼ばれる、ヤマネコの頭に渡り鳥の翼を持つこの種族は、国を持たない流浪の民である。

 と、同時に、『雲海』を唯一生身で渡ることができる『空の民』として、腕のいい航海士の代名詞でもあった。


 十四の夏、ヒースはこのケツルの男が率いる船団へと迎えられ、以来息子として、義理の親子の契りを交わしている。それはケトー号を与えられ、独立しても、変わらない関係性だった。


 船乗りは、ヒースに椅子に座るように促した。テーブルの上にはすでに魚料理が並べられ、男の手ずからハチミツ色のワインがグラスに注がれる。


「……まぐれだ」

 船乗りは言った。

「わかってる。……僕は運が良かった」

 ヒースも短く返し、グラスを受け取った。


 乾杯の音頭も取らず、食事が始まる。

 先ほどの剣幕が嘘のように、船乗りは言葉少なだった。ヒースもわずかな相槌で返し、食事に集中する。

 やがて、皿の中身が空になると、ヒースは背筋を伸ばして、テーブル越しに座す義父の青い瞳を見上げた。


「僕はフェルヴィンに行かなきゃいけない」

「まぐれは二度は起こらん。第一、船はどうする。ケトー号で行くつもりか? 」

「……わかってる。ケトー号には無理をさせすぎた。整備はできるだけはしたけど、正直、往復までもつ可能性は五分だと思ってる」

「帰還するだけでも、可能性は二割を切る。……そんな状態で行くつもりか? 」

「行かなくちゃいけない。僕を信じて待ってくれている人がいるから」

「……あの小僧か。ったく……」


 男は喉を鳴らしながら、深く深く息を吐いた。苛立ちに瞳孔が細くなり、平たく長い足の先でテーブルの足を叩く。


「……十四歳のお前は言ったな? 『なんでもするから船に乗せてくれ』それは俺に、『息子にしてくれ』って意味だ」

「……うん」

「~~ったぁっく! いつかこの時が来ることはわかっとったんだがな! 」

 船乗りは大口を開けて船乗りらしい悪態をつくと、息子そっくりの仕草で、がりがりと頭を掻いた。

 テーブルに勢いよくこぶしを叩きつける。皿が一瞬宙へと浮いた。


「受け取れ」


 テーブルの上に、何の飾りも無い、無骨な鍵が転がっている。

 ヒースは鍵と義父の顔を何度も見比べると、そっと鍵を引き寄せた。


「なんの鍵? まさか」

「倉庫の鍵だ。中の女は小型で古いが、ケトー号ほどババアじゃねえ。整備もしてある。俺が手ずからな」

「そんな! 受け取れない! ケトー号だけで、僕は」

「ガラスの靴じゃあ走れねえだろうが。迎えに行くんだろ? 馬車は用意してやる。必ず返しに来い」

「おやじ……」

「俺がお前を飛ばしてやる」


 ヒースは大きく目を瞬いた。瞳の表面に張った膜が、今にも零れそうに揺れている。

 唇を引き結んでぐっと堪えると、ヒースは椅子を引き、深々と頭を下げた。


「ネーロ。お前の魔法は解けるときが来たんだろ」

「……はいっ! 」

「本当のお前に戻るんだ。お前がどこの誰であっても、俺の船に乗った子供が俺の子だということは何ら変わらねえ。俺を頼れよ。手前てめえの親爺なんだからよ」

「―――――うん……っ! かならず、かならず帰るから」

「あーもう行けよ! 次はあの小僧連れてこい」

 ヒースは椅子を蹴とばす勢いで立ち上がった。

 紫紺の瞳が涙の粒で、きらきらと輝いている。


「―――――行ってきます! 」


 扉が閉まった部屋で、船乗りはやれやれと首を振った。耳は名残惜し気に遠ざかる足音を追い、瞳は、入れ替わりで部屋に入って来た男たちを見やる。


「おやじも隅におけねえや」

「ほんとほんと。オッサンのツンデレは可愛くねえし」

「いやあ、まさかウチの末っ子がなあ。大それたことをしやがるぜ」

「おまえら……聴いていやがったのか」


 男たちはニンマリと白い歯を剥き出しにして親指を立てた。


「バッチリだぜぇオヤジィ~」

「そうそう! 感動的だったぜェ」

「オレ泣いちゃったよ」

「ふん! いいやがる! 」

「照れんなよォ。いいことしたんだからよ。ひひひ」


 船乗りは鼻筋に皺をよせ、まとわりつく乗組員息子たちを振り払いながら立ち上がった。足音はとっくに消えている。

 窓からは海原へと続く、寂しい無人の埠頭が見えた。曇天から降り注ぐ雪は、いつしか大粒に変わりつつある。

 年の瀬が近づいた街は活気づき、その喧騒がここまで聞こえる。


「……シンデレラの靴ねえ」

 胸元に下げた首飾りを弄びながら、船乗りは空を見た。


「なんだよオヤジ。娘が嫁に行ったみたいな顔してさ」

「……行ったようなもんさ。お前ら、次にネーロに会った時はたまげるかもしれんぞ」

「どういう意味だよ。オヤジィ」

「ウチのシンデレラは、勇ましく馬車を駆って王子を迎えに行ったのさ」


 船乗りは、我が子を想ってぐるぐると喉を鳴らした。


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