16-3 墓守の国

 ✡




 兄が呟く声を聴いた。

「……僕がここで果てたら、遺言代わりにモニカのことを伝記の末尾に加えてくれ」

「承知いたしました」

 語り部ベルリオズが滑らかに応える。



 語り部と話すのに、声を出す必要は無い。自分に聴かせるためだと分かっていた。

 ……『何かあったら彼女を頼む』と、兄はそう伝えたいのだ。




(……トゥルーズ)


『なんですかぁ』


(分かってるな。


『……はい。分かっておりますよ。我があるじ


(ならいい。いいんだ)


『はい。……あの、そのう』


(なんだよ)


『あなたが死んだら、たぶんこの国にとって、とても大きな打撃になります。もしかしたら、象徴である皇帝を失うよりも』


(それは助言か? おまえらしくもないな)


『前のぼくなら言わなかったかも。でも真実です。人には向き不向きがある。あなたは外交の要になるでしょう。これから、この国の復興にはあなたの人脈が必ず必要になる。グウィン様たちは、あまりそういったことに長けていません』


(買い被りすぎだ)


『そんなことはありません。だって僕は、あなたのその溢れる才覚に惹かれてきたのですから。語り部は嘘を申しません』


(……何をしろと言うんだ)


『いいえ。ぼくらは誰にも『何かをしろ』とは言いません。誓約に触れますからね。ぼくは消えたくない。これは願いです。ぼくの願望を口にするだけのことです。ダッチェスやミケの真似ですよ』


(トゥルーズ……)


『――――ここにアトラスの末裔在りて。あらゆる古き血を継ぐ墓守りの一族。三千五百の年月、一切一度も誓いを誤ず。偉大なる魔女の魔法と共に、盟約の審判の時、先陣を斬り、そして散る……。

 —————そんな締めくくり、とてもドラマチックですけれど…………。

 ぼくらはアトラス王家にお仕えする魔人。トゥルーズにはまだ五人の主にお仕えするだけの時間が残っております。これからアトラス王家の血が絶え、語り部だけが残る。ぼくらが語るべき物語の主人公が、誰一人この世にいなくなって、お役目をまっとうできないまま朽ちていくなんて……そんなのは嫌だなあって、そう思うんです』


(…………願いかぁ)


『始まってしまったからには時は戻れません。この国はもう、元通りにはならないでしょう。でも、まだぼくにはヒューゴ様がいる。ぼくらは語り部。未来に望みは持ちません。現在いまだけを見て、刻一刻と進む過去を記します。ただ思うのは……記したものを受け継ぐ人がいなくなるのは、想像しがたいほどにとても、とても、寂しいことでしょう。語り部ぼくらそのものの意味を失うのは、とても……とても……ぼくは……トゥルーズは、寂しいのです』


(……トゥルーズ。おれたちの願いは同じだよ)


『…………』


(もとには戻らなくていい。でもせめて、せめて受け継ぐことくらいは……。残りカスみてーなモンだとしてもさ、意味は遺したいじゃねぇか……。何かを変えてみてえじゃねえかよ。それがロマンってもんだ。情熱を忘れちゃア、人間駄目だろ)



「……そうですね。ええ、その通りです! さすがぼくのご主人様」

「それもミケの真似か? 」

「違いますよぅ! ほんとうにそう思ったんです! 」




 ✡




「ジジ、どうだった? 」

 サリヴァンが立ち上がって尋ねた。

「なんとも言えない」

 ドアを開けて入って来たジジは、扉を開けたまま短く答える。


「あの火の玉があるのはだいたい五千メートル上空。そこから止まって動かなくなった」

「いずれ落ちてくるだろうな」

「なんでそう思うの? 」

「勘」

「論理的に」

「魔術的根拠を述べる」

 サリヴァンは椅子から立ち上がって、暗い部屋を出た。

 港近くの寄り合い場のような場所である。埠頭の先の黒い海も、青白い霧が立ち込めていた。

 壁の煉瓦の小さな出っ張りに足をかけ、サリヴァンはするすると屋根の上に上がり、霧の切れ目に顔を出す。

 海を背に、城を見上げた。

 空が燃えている。


「あの炎の怪物は叡智の炎を身に宿している。鍛冶神の炉にある火、命すら生み出す無限の燃料だ。種火になったのは、語り部の銅板。薪になったのはアルヴィン皇子の首から下の体。『魔術師』とやらが最初からこの状況が目的だったと仮定すると、これは大掛かりな魔術儀式だ」

「何の儀式? 」

「結論を急かすな。いいか? アルヴィン皇子は生贄だ。そして生贄は、アルヴィン皇子じゃなきゃいけなかった理由が、たぶんある。逆算して考えるとな。ここは最下層。最も冥界に近い場所で、今まさに冥界に落ちかけてる。……ここを冥界にする意味はなんだと思う」

「ごはんがいらなくなる」

「『魔術師』の側で考えろ。答えはシンプルだ。『そのほうが近くなるから』だ」

「わかんないんだけど」

「だから急かすなって。いいか、『審判』でフェルヴィン皇国は冥界に近づき、死者たちが溢れる。本来、それをどうにかするのが、『選ばれしもの』たちの最初の試練なんだと思う。『審判』の号令を上げる『皇帝』になる資格があるのは魔女の墓守であるこの国の国王だから『冥界を閉ざす試練』というのは理にかなってる。綺麗な形だ。そこを『魔術師』は利用した。『魔術師』の目的は、『冥界と地上を繋ぐこと』だ。じゃ、繋いでどうする? 」

「……死者蘇生? キミが、苦手な反魂の儀式を成功させたように、冥界と地上が繋がると、魂を呼び出しやすくなる? 」

「それだ。あの炎の怪物はそいつが宿る器だと考えると、儀式の形式は取れている。……あいつ、ダッチェスを襲っただろ? あれは、『銅板』が欲しかったんじゃないか? 叡智の炎が足りないんだ。

「でも、その割れた半分は、『魔術師』が拾ったんでしょ? 」

「半分じゃねえよ」

「え? でも……」

「『魔術師』は半分にしたつもりだろうが、違ったんだよ。その前に欠片がひとつ出来てる。ミケは先に腕を切断されてるんだ」

 サリヴァンは胸ポケットから、鈍い色を放つ金属片を取り出すと、ジジの目の前に掲げた。


「ミケの欠片だ。レイバーン王が拾ってた」

「サリー!? 」

「お前が持っとけ。たぶんそのほうが良い」

 ジジが指し出した手に、サリヴァンが銅板の欠片を握らせる。小さな金属片は、ほんのコインほどの大きさしか無く、ジジの手の中にすっぽりと隠れた。

 サリヴァンの体温だけではない温もりが宿っている、尖った感触がジジの皮膚を刺す。

 ジジが顔を上げると、サリヴァンの視線はすでに城の方向へと戻っていた。

 霧の青白さと天の紅で、赤毛が強調されて肌が奇妙に白く浮かび上がって見える。強張った横顔には青みがかった深い影が落ち、サリヴァンの顔を十歳は老けさせた。


「たぶん、それが鍵だ」

「この欠片が? 」

「ああ。切り札になるかもしんねえ。あいつが銅板を補填できない限り、儀式は未完成だ。『魔術師』は何か手を打ってくるぞ。そう、例えば……この国にあのでっかいのを落っことして、石になった市民たちを、燃料の足しにするとかな」

「……それをすぐにしないのは、なぜ? 」

「すぐには出来ないんだろ。あれはきっと、羽化する前のサナギといっしょだ。見ての通りなんだと思う。花が蕾のうちは、準備ができていないんだ」

「勘かい? 」

「どうだろうな……『予感』というのが近いかも。どちらにしろ、打って出るなら早いほうが良い」

「どう倒す? 空のてっぺんにある花相手に」

「真正面からは行かねえ。土台を責めるのが、魔術師流さ」



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