15-7 絶望の紅い花④


「ジーン。こんな小さきものを、どうしてこれ以上さいなむ必要がある? さあ、おちび。行こう」

「アポリュオン……おまえは何故、この子を」

「このアポリュオン、黙示録に記されし『文明を食らう者』だが、魂までをも傷つけようとは思わぬ。いずれ滅びるさだめとしても、この小さきものたちを憎んでいるわけではない」

「……ならば、なぜ『魔術師』にくみした……! おまえが『魔術師』に手を貸し、冥府の門を破ってフェルヴィンに来なければ、今頃この子やその父親も―――――! 」

「…………」


 アポリュオンは黙って、少年をうながすように歩き始めた。


! おまえは『星』だ! 『星』に選ばれたのだ! 」


「……行こう。おちび」


「『星』よ! 『星』よ!!! 頭蓋骨は必ず返す! 地上に希望はまだある! おまえの兄が、父が、姉が、おまえを待っている! 」


「…………」


「おまえの物語は終わっていない! まだ引き返せるんだぞ! 」


 少年は温かい鱗の手を振りほどき、暗闇の中を駆け出した。

「おちび! 」



 アルヴィンは叫ぶ。


「でも『星』なんて別の人がやったらいいじゃないか! 」



 ジーン・アトラスは、アルヴィンに向かってすかさず反論した。


「お前が最初に選ばれたことに意味がある! 『星』とは指針! 希望の道しるべという意味だ! おまえにはこの広大な世界の誰よりも、その役目の素質があった! 」


「地上は苦しいことしか無い! 」


「それは嘘だ! おまえは兄姉きょうだいに愛されていた!

 語り部にも! 」


「そうさ! 分かってるよ! だから……だから、逃げたんだ……! 」

 矢継ぎ早に言葉が飛び出す。


「死ねば楽になると思った。ずっと眠ったまま眼が覚めなくなればいいと思ったのは、一度や二度じゃない。姉さんを苦しめてるのは僕だ。父さんを兄さんが責めるのは僕のせいだ。父さんには幻滅された。一番上の兄さんは、結婚するのに、僕といるとき気まずそうにしている気がする。幸せを心から喜べないのは僕のせいだ。全部……苦しいことは全部……! 僕はもう、忘れたい……! 」

「それでも、おまえは英雄になるさだめにある」

「そんなの出来ない……英雄なんてなれない。僕なんか……」

「英雄はとつぜん英雄になるものだ。運命はとつぜんやってくる」

「それは……暴走車、みたいに……? 」

「そうだ! 」


 目を手で覆う。涙が出ない体になってしまって、これほど良かったことはない。

「ぼくは……いろんなものが、足りなくて」

「そんなもの、取り返せばいい。この私からも、あの『魔術師』からも」

「そんなの、できないよ……」

「頼む。この通りだ。アルヴィン。できないことはないのだと言ってくれ。地上にあるものを信じてくれ」

 ジーンは、アルヴィンのもとに跪き、その足の甲に額をつけるほど頭を下げた。

 アルヴィンは身を固くして後ずさる。ジーンは身じろぎもしなかった。


「……おまえは手前勝手なことを言っているな、ジーン・アトラス」

 アポリュオンが、ジーンを見下ろして言った。


「子供は絶対的な希望だ! 子を亡くしたものが、幼い弟を亡くすことが、どんな絶望かを知っている! ああ、子孫を遺さなかった俺が言えた義理ではないことは分かっているとも!

 これからのアルヴィンの未来に、これ以上の苦難が待ち受けているかもしれないと、そう思っていながら――――ああそうさ……! 俺は勝手なことを、小さな甥っ子に押し付けている!

 これは俺のエゴだ。死に向かう子供なんて見たくないんだ! アルヴィン、頼む。聞き届けてくれ。

 ともに地上へ戻ってくれ。これ以上、俺は、俺の家族が悲しむ姿を見たくない。

 そんなものを見たくない……! 」


「ぼく……ぼくは」


「どこまで勝手なことを押し付けるつもりだ! 」

 アポリュオンが叩きつけるように吠えた。


「このちっぽけなやつが、何を出来ると!? 戦うこともできない子供だ! それも魂だぞ! 恥ずかしくはないのか! 」


「わかっているとも! この子の弱さも、この子の抱える悲しみも、全部見てきたことだ! 」


 ジーンは言った。


「……冥界の深く、石の森の中に、黒い泉がある。何かを忘れそうになったとき、おれはそこを覗き込んだ。おれはそこで、おまえの姿をずっと見ていた。……アルヴィン、あのときほど、歯がゆさを感じたことはない」

 ジーンの顎から雫が滴った。


「……おまえの姿がそうなるのも、無理はなかった。おまえは魔術師によって頭蓋骨を奪われ、語り部の銅板にこめられた『混沌の泥』によって蘇ったが……お前の声を目の前で聴いて、おれは確信をしたよ。おまえに何が起こったのかを。そしてそれが、『魔術師』の狙いだったということも。


 お前の中には、神の血が入っている。それだけでなく、龍の血も、いにしえの巨人族の血も、獣人も、人間も、古い魔法使いたちの血も流れている。

 かつて、フェルヴィンの地には、多くの罪人たちが住み着いた。

 彼らは地の深く、世界の果てにいた流刑者たち。アトランティス王国をはじめとした、罪ある行いをした国々の、王や姫君、その側近たちだった。

 彼らは、流刑地にいたからこそ、『混沌の夜』を生き残り、魔女の隊列に加わって、すべてが終わったあと、また地の果てで国を創ったんだ。それがフェルヴィン皇国の起こりだった。


 ……アルヴィン。ゆえに、お前とその兄弟の身体には、『鉄』の人類だけでなく、それよりずっと昔、『銅』も『銀』の欠片も、多く流れている。

 そして、多くの古い血が流れているということは、『黄金の人』が遺した灰も、地上の人々よりも、多く体に宿しているということだ。


 ……『魔術師』は、きっとおまえたち兄弟の誰かなら、それで良かったのだ。しかし、お前が選ばれたのは……お前がひときわ純粋で、弱っていたからだ。

 お前の魂は、いまだ傷を残し、血を流している。『魔術師』は、その血の匂いを嗅ぎつけた。


『魔術師』にとっても、お前が『星』に選ばれて蘇ることは、予想外の出来事だったはずだ。

 だから魔術師は、生贄ではなく、『星のアルヴィン』としてのお前を、手に要れなくてはならなくなった。

 ……お前は暴力を嫌ったね? 『魔術師』は、そこに付け込んだのだ。


『魔術師』は、その魂により傷をつけ、『星』の選ばれしものの体を手に入れようと考えた。

 ……高貴なる血が流れる肉体だけを。『選ばれしもの』の宿命をもつ肉体を。


『魔術師』の目的は、『黄金の人』を復活させ、この世界に復讐をすることだ。

 あの女は、人類を憎んでいる。のみならず、神々も、世界そのものも、自分を救ってくれなかった全てを憎んでいる。

 その復讐の同行者として、『黄金の人』を選び、お前の身体を使って蘇らせようとしているのだ。


 魂の無い肉体は、滅びるだけ。……しかし、お前の肉体は生命の源泉たる『混沌の泥』によって蘇った。

 魂なくとも滅びることはなく、誰にも殺せない。あの鎧は、『永遠』そのものだ。

 『魔術師』は、あの鎧を操ることで、お前の魂を故意に傷付け、アルヴィン・アトラスの魂と肉体とを分離させた。


 地上へ戻れアルヴィン! 『魔術師』の思惑に乗ってはいけない!

 あの灼熱の『星』を止められるのは、お前だけだ! あの肉体に宿るべき魂であるお前が戻れば、破壊は止められる!

 お前が止めなければ、あの鎧はこんどこそフェルヴィンを破壊するだろう! 」


 アルヴィンは胸の前で、指の力が抜けた手を握りしめた。震えるこぶしを身体に寄せ、ゆっくりと後ずさる。

「そんなの……聞いてしまったら、余計に無理だよ……! ぼくなんかに! 」


「アルヴィン! 聴け! 『星』の選ばれしもの、それがお前だ! お前自身が選んだ道だ! 」


「あ……、ああするしか無かっただけだ。……こんなことになるのなら、僕は、蘇えったりしなかった……! だってミケは―――――ミケには、何もなかったじゃあないか……! 奇跡は無かった! ミケは死んでしまった! 恐ろしい地上なんかに、僕が戻る理由は、もう無いんだ!!!! 」




「おちび! 」


「アルヴィン! 」


 アルヴィンは今度こそ駆けだした。背中から悲鳴のように呼ぶ声がしたが、振り切って逃げた。

 いまだ闇ばかりで、何も見えない。しかし、彼らは追ってはこれない。

 なぜなら、今のアルヴィンを見つけることなど、誰にも出来はしないからだ。

『石の木』が目の前をさえぎったとしても、アルヴィンの体をすり抜けていく。

 音が遠ざかり、肌に当たる風の感触は希薄で、足だけが、蹴る地の感触を感じている。

 心に宿るのは、恐怖だけだった。


 先ほどまで平気だった闇が怖い。

 音の無い世界が怖い。

『星の選ばれしものである』と突きつけられた使命が、背後から追いかけて来るようで怖い。


 この恐怖からは、どこまで走ったら逃げられるのだろう。いつまでも逃げなければならないのだろうか。と、それも怖い。


 永遠まで走り続けなければならないのなら、そのうち忘れることがあるのだろうか。

 忘れてしまえるまで、いつまでかかるのだろう。


「ぼく、ぼ、ぼくは、ぼくは――――――」


 震えていた。

 後悔に押しつぶされそうだった。

「逃げられない……この気持ちからは、ずっと逃げられない、逃げ、逃げて、逃げても―――――ぜったいに! ぼくは、ぼくは…………ああ、なんてことを……——————」


 謝ったところで、言葉が届くことは無いのだ。だって一番謝りたい人は、もうこの世のどこにもいないのだから。


「うう…………うぅうぅぅぅぅぅ……たすけて……! だれかぁ……」


 結局、アルヴィンは何も変わっていなかった。

 自分からは助けを求めることもできず、暗い部屋で一人になって初めて『助けて』などと口にする。なんて浅ましい卑怯者なのか。

 





「たすけて…………! 」



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