15-6 シリウス③

 これ聴きながら読んでください。


la la larks 『ego-izm』

https://youtu.be/rruiHDiePo0

歌詞 http://j-lyric.net/artist/a058208/l031806.html



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 レイバーンと離れたジーンは、冥界の土を踏んでいた。

『アルヴィン・アトラスの魂の所在を確かめる』は、ここしか浮かばなかった。

 死者の目に、この世界は淡く青い燐光をまとって見える。

 荒涼とした黒い大地が広がり、石でできた木々がまばらに生えて宝石の実をつけていた。


 冥界は広大である。

 果てしないその大きな空洞を、あまたの『死』を司る神々が区画ごとに管理し、それぞれの法で信者の魂を裁いている。

 死者の魂は裁判によって区別され、様々な流れをたどることとなる。

 そこにあるのは、絶対的な秩序だと云われるが、例外もある。


 神々は英雄と悪人が好きだ。歴史に名を遺した魂を、ことさらに好む。

 お眼鏡に叶えば、冥府にある彼らの宮殿へと仕えることが許される。あるいは、箱庭のような場所で、永遠に望むままの生活が与えられる。あるいは、次に生まれ変わるときに気まぐれに願いを叶えてもらうこともできる。

 待遇は、信仰する神々によって様々だ。

 共通するのは、生前の行いは死後に反映されるということ。

 死の先の安寧を求め、さらなる生へと挑む魂もいる。

 輪廻転生を望む魂は、次の裁判で、裁かれる神の名を選び、次の人生での試練に挑む。そうしてまた冥府で裁かれるのである。


 死は終わりではないということは、冥府を訪れて初めて分かる。

 ジーンは地上に呼び出されるまで、ジーン・アトラスという名と記憶を持ったまま、この冥府の端にある十字路に佇んでいた。

 英雄として歴史に刻まれたことを笠に着て、十字路で待ち人を探すことを交渉したのだ。


 ―――――冥府にやってきてから、およそ六十年余り。


 待ち続けていたのは、双子の弟コネリウスであった。

 ジーンの魂には、死しても消せなかった弟との再会という望みが刻まれている。


『魔術師』には、それを利用されたのだ。

 ジーンの魂は、まんまと血族の頭蓋骨を使って釣り上げられ、このざまになった。


 遠い異国、ジーンの知らぬところで、今も子孫たちと穏やかに暮らしているだろう弟を、百年でも二百年でも待つつもりでいた。待つ時間は長ければ長ければいいと思っていた。


 それなのに、待ち続けたジーンの心は孤独に倦んでいたらしい。


(城の前で聴いたあの声は……コネリウスの曾孫の声だったんだな)

 記憶に染み着いた弟の声そのものであったことを思い出す。再会の錯覚に一瞬震えが奔ったほどだった。

 あの声でようやくジーンは自覚したのだ。

 しかし死者が生者と現世で再会するなど、けっして望んではいけないのだと、ジーンは自らを強く戒める。


 ジーンの中には今、現世との楔としてアルヴィンの頭蓋骨がある。

 この冥府に、たしかにアルヴィンの残り香を感じている。


(アルヴィンよ。お前は今どこにいる……! )



 ✡



 少年は困っていた。

 行けども行けども暗い場所が続いていたから、まるで記憶にある『あかり』という概念こそが、夢か幻のように思えてきていた。

 闇は深く、底がない。足裏に感じる砂利の感触だけが、少年の存在を確かなものにしている。

 前に進むだけ足を止めずに歩いてきたが、このままでは、この闇に融けてしまいそうなほど退屈だった。


 そんな退屈の旅路に終わりが訪れるのは、唐突のことだった。


「そこにいるのは……誰だ? 」

 少年の暗闇にはじめて聞こえた声は、困惑の色濃く少年に尋ねた。

 足首に触れる空気の流れが変わり、その者が少年の前に立ったのを感じる。吐息の音を頭上のずっと上のほうから聞き、(ずいぶん背の高い人なんだな)と思う。


 その人物は「ハァ……」と、溜息のような吐息を少年に浴びせかけた。生臭い吐息は、生きるものの臭いがしている。少年は首を背けようとして、ようやく、自分がそれをできないことに気が付いた。


「喋れないのか? ……無理もない。その様子ではなぁ」

 いったい自分はどうなっているのだろう。

 


「ここまで歩いてきたのか? ……そうか。足は……あるんだな。手もある。ほら、ここだ。わかるか? 」


 そっと、『手』が握られた。いや、『握る』というよりは、下から持ち上げるようにして、『乗せてもらった』というのが正しい。

 指先を動かしてザラザラした『それ』に触れ、かすかな体温に、それがその『人』の一部なのだと知った。


「こら、くすぐったいだろう」

 声が笑う。

 触れているのは、鱗が生えている大きな手『の、ようなもの』だ。


 少年の胸に何かがよぎる。思い出したのは、『恐怖』—————しかし、この手を離す理由にはならない。

 鱗のザラザラが少年の手の甲をそっと撫でる。

「こんなに小さいのに……かわいそうに。おいで、おちび。おまえの魂を、あるべき場所へ導いてやろうね」


 少年は怪物とともに歩き出した。

 少しだけ怖い。

 しかし鱗の手は、少年にとって最後のよすがだ。

 怪物は、いくらも歩き出さないうちに、ハァハァと荒い息の音を立てた。尋ねるように鱗をさすると、「優しい子だね。大丈夫だよ」と、笑った気配がする。


「ハァ……ハァ……フウ……ハッ、ハッ、ハァア……」

 少年は知っていた。これは、苦痛をこらえるときの息の仕方だ。


(そう、確か、お父さんが一度、こんなふうに倒れたことが―――――)



 その時だ。



「止まれ! アポリュオン! 」

 鋭い声が、少年と怪物を遮る。先導する怪物が足を止めたので、少年も立ち止まった。怪物が獣がするように喉を鳴らして全身に怒気をまとう。


「―――――ジーン・アトラス……! 」

 怪物が口にしたのは、少年の全身を強張らせる効果がある単語だった。


「アポリュオンきさま、どこへ行く? 『魔術師』のもとへ戻るつもりか! その子を連れて! 」

「貴様と交わす言葉は無い。この擦り切れた魂は、しかるべき冥府へ届ける途中だ! 」

「…………」

『ジーン』は沈黙した。少年はそれがひどく不気味に思え、怪物に身を寄せる。

 すると、ジーンは溜息をつき、声から険を取って言った。


「……アポリュオン。その擦り切れて融けてしまいそうな魂が、いったい誰なのか。分かっていないのか? 」

「……何? 」

「その子をこちらに。その魂が行くべき場所は、まだ冥府にはない。その子は私の甥子なんだ」

「……なんだと? 」

 視線を感じる。怪物から、はじめて冷たい感情が伝わってくる。

 怯えて鱗の肌から放そうとした少年の手首を、横入りから三番目の手が掴んだ。


「待ってくれ。行かないで。きみを見つけられなくなる」

 切実な響きが込められていた。

「おまえの父さんや兄さんが待っているんだ」


「無駄だ。声を出せない。自分がなぜここにいるのかも分かっていない。この様子だと、自分のことも、このアポリュオンのことも、お前のことも分かっていない」

「…………」

『ジーン』はまた黙り、それから、小さく「そうか」と言った。


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