15-5 絶望の紅い花③
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〈……贖罪とは、どういう意味だ〉
旅人はアイリーンに尋ねた。
「そのままの意味さ。わたしは罪を犯したが、それは誰にも裁かれることがない。罪だと思っているのは、わたし自身だけなのだ」
アイリーンは溜息を吐いた。
「そのとき……わたしの心はまだ幼く、人の心というものを分かっていなかった。不用意に預言などするものではない。わたしの言葉ひとつで、その男は、生まれてくる息子たちに対して道に迷った。わたしは、一人の運命を変えるということが、必ずしも幸福を招くわけではないと知らなかった……いや、本当の『幸福』というものを、まだ知らなかったのだ」
〈無知ゆえに傷つけたのか〉
「そうだ」
アイリーンは大きく息を吸った。
「―――――それは、死の預言だった。わたしは、まだ生まれてもいない息子が、若くして死ぬという預言を与えた。父は、息子たちがその年に近づくたびに怯えていたのだろうね。人間の心は柔らかいから、父親は怯えるたびに傷付いたのだろう。結果的に、父親は息子たちと決定的に溝を残したまま死んでしまった」
〈探している男の子というのは、その息子か? 〉
「そうとも。……父の愛が届かなかったまま死んでしまった息子のことさ」
〈……胸に痛いな〉
「そうだね。あなたなら、分かってくれると思っていた。わたしは罪人だろう? 」
〈罪人かは別として、神であっても忘れるべきではない出来事だろうな〉
「忘れないとも。だからわたしは冥界(ここ)に来た。誤解したままでは、あまりに可哀想だ。まだ間に合うかもしれない。せめて一目でも、冥界の門をくぐって全てを忘れてしまう前に」
〈……それだけか? 〉
「それとついでに、冥界神たちの尻を叩きにな」
〈ふふ……〉
旅人は小さく笑った。
〈その子供の名を、なんという? 〉
「協力してくれるのか? 」
〈わたしは最初から協力的だったろう〉
「そうだな。『混沌の夜』のときも、きみは太陽を取り戻すため、我々に手を貸してくれたね」
〈……『混沌の夜』のとき? 〉
旅人は足を止めた。
「おや、まだ気が付いていなかったか。きみは太陽奪還の作戦で、みごとにダブルスパイをやってのけた。親友である、あの派手好きの太陽神のためにね。あまりに懐かしい話だったから忘れたか? 」
まじまじと、帽子の陰から視線が注がれる。
旅人は、肺を絞るように肺から息を吐きだした。
〈……な――――――なんッたるッ、ことだッ!!! 〉
「大きな声を出すな」
〈なぜ早く言わないのですか! あ、あ、あな、あなた、あなたさまは……〉
「まあ待て。慌てるな。今のわたしはしがない……しがない……? なんだろうな。……ああ、そう、しがない通りすがりの兼業主婦だ。趣味で王様をやっているが、ふだんは自宅で夫と娘の帰りを待っている。このままでは世界ごと不味いことになりそうなので、はるばる冥界までやってきたのだ。どうだ、これで分かりやすかろう? 」
〈……そっ、ええ……うう……ぐぅう……〉
ついに頭を抱えてうずくまった旅の神に、アイリーンは首をかしげる。
「どうした」
〈……ああ、いや、昔のことを思い出しました。そうでした。あなたはそういう方だった。しかも昔より酷くなっている……〉
「すこし平和ボケしたのさ。結婚は人を丸くするものだ。一般的にそうらしい」
〈……ああぁ〉
「その『ああ』は溜息か? 相槌か? 」
〈私には荷が重くて、あなたのトンチンカンにはもう突っ込めません……勘弁してください……あの魔女とかいう娘はおらんのですか〉
「ンなもんとっくに死んでいるに決まっとろうが。わたしが虐めたみたいな言い草だな。失敬だぞ」
〈あぁ、よく喋られるようになられて……ほんとうに昔より酷くなっている……。
あのですね、サプライズのつもりですか? 神々に会うのにアポイントを取らない? なぜ? そうすればこんな回りくどいことにならずに、わたしが叔父上に直送で話を通して………まさか! 何か名乗りを上げてはならぬという呪いでも? 〉
「その手段が無かっただけだ。冥界にどうやって手紙を出せと? 」
〈……ああ、はい。ですよね……〉
旅人はがっくりと肩を落とす。アイリーンは腰に手をやり、昔馴染みを急かした。
「こちらは急いでいるんだ」
〈……ああ、はい。はい。わかりました。わかりましたとも……あなた様の要求は、少年の亡霊を探すことでしたね? 〉
「それは第一目的だ。第二目的は、地上を襲った『死者の王』とやらの情報になる」
〈それを冥界の王たちに尋ねにきたと? ……恐れながら、混沌の姉君。それはいささか遠回りですよ〉
「遠回り? では、もっと良い方法があると? 」
〈もちろんですとも。この私にお尋ねくださればよろしい。先ほどは地上の迷子かと思って伏せましたが、あなた様でしたらば、詳らかにお答えする用意がございます。少なくとも、第二目的は達成できるかと〉
「なんだ。回りくどいな」
〈……どの口が〉
「ん? 」
〈いいえ! 何がお知りになりたいので? 〉
「そうだな……まずは、冥界から盗まれたというものだ」
アイリーンは、その場で胡坐をかいた。火傷の痕がある指で顎をなぞり、上目遣いに旅の神を見やる。
旅人は肩をすくめ、外套を地面に敷くとその上に腰を下ろした。
外套の下から現れたのは、彼本来の『神』としての、杖をたずさえた姿だ。
帽子を取った頭には黒髪が茂り、理知的な黒い瞳が彫りの深い鼻筋の両側に収まっている。現代ではほとんど裸と謂ってもいい布一枚の装束に、純金の金具が光った。蛇が巻き付く杖を傍らに、男神は口火を切る。
〈盗まれたのは、【最も古き魂】にして【最古の死者】です〉
「やはり狙いは【黄金の子】か。それを手に入れて、何ができる? 」
〈何も〉
「何も? 何もと言ったか」
〈ええ、『何も』できません。少なくとも私には、その価値を見出せない。【黄金の子】の自我は何万年ものあいだに擦り切れ、ただの亡霊よりも脆く、小さい。そもそも、生まれてから大した経験をしていませんからね。人間は代を重ねて学び、成長することを目的として創られた生物です。【黄金の子】は、今地上を支配している【鉄の人類】に、宿る魂の質も大きさも何倍も劣る〉
「まあそうだろうな。では、目的は利用することではないのかもしれない……」
〈……? 利用する以外に、何がありますか。ものは使いようと言いますし……〉
「『もの』ではなかろう? 盗まれたのは『人』だ。もしかしたら、『手に入れる』こと、そもそもが目的だったのかもしれない」
〈『手に入れて』それで、どうするのです〉
「さあ? しかしヒトは、そうしたことをするものだ。飾るか、愛でるか……愛するか。可能性はある。おまえなら、どうしたい」
〈コレクションするというのですか? 〉
「可能性の話さ。人は愛することを『手に入れる』という。おまえの父君や親友の太陽神も、よく同じようなことをしていただろう? 」
〈……あの亡者は、【黄金の子】を『愛する』ために攫ったと? 〉
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―――—胎動する。
―――—目覚めようとしているのが、
―――—かの御方は微睡(まどろ)んでいる。
『魔術師』はにっこりと笑んでいた。
冷たい冥界の風が、彼女の髪を撫でる。
冥界の奥深く、石でできた森の中、小さな黒い泉があった。
そこには触れた亡者が求める現世のようすが写るという。亡者たちを癒すために古き魔法がかけられたまま、誰もから忘れられた泉だった。
しどけなく少女の裸をさらして泉を覗き込む彼女の髪が、泉から流れ出した小川のように、長々と地面に波打っている。
褐色の肌には傷ひとつ無い。生まれて来たばかりのように艶めかしい。
「アルヴィン・アトラスは、三つに別たれた……」
黒い泉に映るのは、醜悪な奇像である。
黒鉄でできた歪な卵のようなもの。
それは彼女にとっては正しく卵だ。
沈黙を保つその中に、彼女が恋焦がれた御方が
「頭蓋骨は、ジーン・アトラスへの生贄に。
魂は、無力と絶望にまみれて重くなり、肉体から剥がれ落ちた。
首から下は、あの御方のために。
『混沌の泥』を含んだ語り部の銅板は、おもいのほか良い材料になった……これであの御方の体は、『泥』によって常に万全に保たれる……」
長い舌で唇を舐め、魔術師は待ちきれないというように、そわそわと両の手を擦り合わせた。黒光りする鋭い爪が、お互いにカチカチと音を立てる。
「嗚呼……! 待ちきれない……っ! もうすぐ、もうすぐ、もうすぐ、貴方に逢える……っ! 」
キャッキャッキャッと、少女は手を打ち鳴らして笑った。
―――――冥界の奥深く、石でできた森の中。
黒い泉に、魔術師の無邪気な笑い声が響く。
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