15-2 シリウス①

 

 赤黒い空には、鳥一匹も飛んではいなかった。気温は湿気を含んでやや肌寒く、低い場所にうっすら霧がかかっている。

 サリヴァンは、手頃な石で道の横にそびえる崖の土を掘り、湿った粘土質のそれを、石と一緒に袋へ入れた。

「何をしているんだ? 」

 先を行くヒューゴが尋ねる。

「あとで使うかもしれないので」

 サリヴァンは駆け足でアトラスの兄弟が歩く場所まで戻ると、土に塗れた手を叩いて落とす。

 ポケットから携帯食料を取り出し、齧りながら歩く。二人にも勧めたが、兄弟は三人とも、遠慮して食べなかった。



 ✡



 サリヴァン、グウィン、ヒューゴの三人は、城下町の街道で港へ向かうケヴィンと別れ、マリア以外の語り部たちを連れて城へと向かった。

「二人とも、ほんとうに腹は減ってないんですか? 」

「ああ。不思議とな。緊張しているからかもしれない」

「そうだな。こりゃ後で死ぬほど減るぞ」

 兄に向ってヒューゴはそう言ってカラカラと笑ったが、サリヴァンの顔は晴れなかった。ヒューゴも笑顔を収める。


「どうした? 」

「ちょっと嫌な予感がします。……いえ、対処法は分かってるんですが、少しまずいことになったかもしれません。確かめる時間を、三十分だけください」

 ダッチェスの金色の目が、値踏みするように、下からサリヴァンを見つめた。


 不安そうな二人を連れ、サリヴァンが城下町から山肌が触れる場所まで戻った。山沿いに歩けば、そのまま城壁のすそにつくという適当な場所だ。

「ここに何かあったか? 」

 あたりを見渡してグウィンが尋ねた。

「土があります。それで十分なんで」


 サリヴァンは土の上に腰を下ろすと、準備を始めた。

 左耳に下がった黒い雫型のピアスを確かめるように片手で少し触れながら、ポケットから石と土を入れた袋を取り出し、銀杖を指先ほどの刃がついた剃刀にして握ると、ピアスをいじっていた手で自分の後ろ頭を探った。

 後ろ頭で一本に縛って垂れ下がる髪の中から、特に長いところの束を小指ほどの太さだけ切り取り、右の指にぐるぐる巻く。

 その髪を切る様子を見て、グウィンとヒューゴは、サリヴァンの束ねた髪がざんばらの長さになっている理由を察した。


 手慣れた仕草だったが、サリヴァンの表情は固い。

「これからやるのは、いわゆる交霊術です。占いみたいなもんですね。本当は失せもの探しや、死者からの証言を取るためにする術なんですけど。

 先に言っておきます。俺は、こういう『魔術』は苦手なんです」

「魔術にも個人差があるのか? 」

 サリヴァンは頷いて、鼻に皺を寄せた。


「魔術は学問の一面がありますから、そりゃ個人で得意不得意の分野があります。俺は本当に、こうした深くて繊細な手間を求められる魔法は得意じゃあない。成功した試しが無いんです。

 でも今回の場合は、成功のきざしがある。

 ここが冥界に最も近いフェルヴィンで、しかも冥界の扉そのものが開いたこと、俺にひい爺さんの血が流れていること、一緒に陛下たちがいること。

 こうした条件が、俺の適正よりも成功に傾くかもしれない。土地が味方をしてくれるかもしれません」

「じゃあやってくれ。それで、何を確かめるつもりなんだ? 」

 円座になるように、ヒューゴとグウィンも土の上にあぐらをかいた。


「…………」

 グウィンの後ろで見守る姿勢のダッチェスの視線を気にしながら、サリヴァンは苦い唾を飲んで口を開く。


「冥界神の真意を尋ねたいと思います」

「冥界神の真意……? それを急いで確かめる理由が何かあるのか」

「気づいたんです。殿下たちは、いつから食事をとっていないんです? 最後に肉や、肉を加工したものを食べたのはいつですか? 」

 グウィンとヒューゴは顔を見合わせた。二人が口を開くより先に、語り部が答える。


「グウィン様は八日間、ヒューゴ様は六日以上、水も食事も口にしておりません」

「最後に食事をしたのもそれくらい前ですね。口にされたのは、穀物粥だったかと思います。肉類は十日以上口にされていません。たぶん、ケヴィン殿下もそうだと思います」

「陛下。皇子。おれは二人に会ってから、少なくとも三回は、この携帯食を勧めました。……この意味、わかりますよね? 」


 兄弟はぽかんと語り部たちを見た。

「……嘘だろ? 」

 冷や汗を垂らして苦笑いする弟の右隣りで、兄の方はこぶしで口を押えて考え込んでいる。

 二人の不安を断ち切るように、サリヴァンは大きな声を出した。

「ああ、大丈夫ですから! 二人はちゃんと生きてますって。ただ……少し、食事の手間がいらない体になっているだけです。そこで、この儀式なんです」


 サリヴァンは身振りも交えて説明した。


「『最後の審判』とは、神々の試練です。選ばれし22人が天上の神の庭まで辿り着くことが試練だといいますが、おれは、『試練』がそれだけだとは思いません。今は飛鯨船がありますしね。

 この国の状態がそれを表しています。

 人々が石になる『石の試練』。これは、第三の世代である『銅の人類』が滅びのときに起こった災いの一つです。そうですね」

 皇子たちは緩慢に、語り部たちはうんうんと何度も頷いた。


「おそらく神々は、今までの人類に与えた災厄も『試練』として与えるつもりなんでしょう。そこで、です。『石の試練』。これはどういった試練か? ってことですよ。最初から思い出してみてください。まず何が起こったか? 」


「それは……最初に『魔術師』が現れて城を蹂躙し、父上とアルヴィンも殺されて、ジーン・アトラスが……そうか。—————」


「そうです。『石の試練』とは、

 そういう試練です。

 だとすれば、この試練は冥界神の采配なくば行えない。冥界の神々の別名は、『魂の裁判官』、『平等を敷く者』、『秩序の管理者』。冥界の法律に従い、一日に命を失う魂の総数は明確に決まっていて、例外はありません。

 冥界の神々にとって、死者たちはどうでもいい存在ではないはずです。何千、何万年と一日も欠かさず管理してきた魂たちが、現世へ出ることを見逃すはずが無い。

 冥界神はなんらかの処置をして、霊たちを現世へ送り出していると仮説します。その『処置』のせいで、殿下たちは食事が必要なくなっている。

 結論から言いましょう。


 おそらくこの最下層……第二十海層は、今、冥界に落ちています」


 沈黙が落ちる。二人は考え込むように黙った。

 思いのほか自分の言葉が重く届いたことに、言ってからサリヴァンは戸惑った。「あの……いや、『冥界です』なんて断言しちゃいましたけど、まだそれを確かめる段階ではあるので、もしかしたら違うかも……」

「……いや」

 グウィンは顎にこぶしを当てて首を振った。


「前から思っていたんだ。ダッチェスは言っただろう? 」

『今回、『審判』においては、いくつかの不測の事態イレギュラーが発生いたしました』

『ひとつ。冥界から死者が蘇っているということ。一度冥府の門をくぐれば、人は『審判』に選ばれる資格を失います。『魔術師』はその当たり前のルールを無視して、死者を『選ばれしもの』へと据えました』

『ふたつ。『皇帝』は自らの意志でもって宣誓をしたわけではないということ。あまつ『皇帝』はすでに死者。『審判』は世界規模の魔法ということはお話しました。魔法とはシステム。これでは、魔女の組み立てた一部の隙も無い魔法システムにどんなエラーが起きるか予想もつきません』

『そしてみっつめ』

『消えゆくさだめであったが、まさかアルヴィン殿下を救うがために『宇宙』となるなんて誰が予想できましたかしら! 『魔術師』のつくった混乱に乗じ、アルヴィン皇子に与えられた死の運命を捻じ曲げるため、自らも消えなればならない運命であるというのに、重ねてミケは、触れてはならぬ禁忌を侵しました! 冥界に堕ちかけたアルヴィン皇子の魂を引き戻し! 損なった肉体に、根源たる混沌を含んだ自らの本体をあてがい! 幼く、未熟なあの子は、愛する主人を、第十八のさだめ『星』としてこの世へ蘇らせたのです! 』


「どうしてアルヴィンは蘇ることができたんだろうかって。

『ミケがアルヴィンの魂を引き戻した』と言うが……そんな簡単なものなのか? 僕はまだ今のアルヴィンの姿を見てはいないが……あれはどうあっても、生き残れる状態では無かった。頭が完全に潰れていたのを見たんだ。ミケが自分の銅板を頭蓋骨として提供した、としても……あれは、痛みを感じる間もない即死だったろうと思うんだよ。頭蓋骨が無いんだから、『命を繋ぐ』暇も無かったんじゃ、と思うんだ。

 でも、それなら……辻褄があうような気がする」


「確かめてくれ」ヒューゴも言った。

「恐怖は未知からやってくるんだ。分からないうちは、何も動けない。きちんと準備してから、向き合おう」



 ✡



 ジジを呼び出すのに、少し時間を取った。

 サリヴァンが占いや呪術のたぐいを苦手としているのは本当だ。本来なら、そういった術は基本中の基本でありながら、極めようと思っても極めきれない、奥の深い一道である。

 祈祷師、霊媒師、巫女、預言者、占師などがその筋を極めた専門家であるし、師である『影の王』アイリーンも、『時空蛇の化身』で『神の声を聴いて予言する』という立場上、巫女という扱いを受けることもある。

 そんな師を持っているのに、サリヴァンはそういった人たちから、「お前には神の声を聴く適性が無い」と言われ続けて来た。しかしその信心深さから「神に愛されてはいる」「声が聴こえないから、力を借りるというよりも、押し付けられている」というのだから、奇妙なものだった。

 だからサリヴァンは、『神の声が聴こえない』のに、シンプルに『火力がある魔法が得意』である。


 そんなサリヴァンという魔法使いに、ジジという魔人の性質は、欠点を補うという点でぴったりとはまっていた。

 ジジは、『意志ある魔法』である。陰に潜み、ときに不可視の微細の粒となり、この世界に潜むことができる。

 ジジの五感は鋭敏で、サリヴァンの代わりに聞き、、触れることが出来た。


 サリヴァンは、例えるなら、蛇口から流れた水をまき散らすことでしか魔法を使えないが、ジジは、水を溜めたり、シャワーにして広くバラまいたり、湯気にしたり、凍らせたり、それを利用して室温を下げたり上げたりすることが出来る。


 呼べばすぐ来るのが常だったジジは、このときに限っては、数分呼びかけてようやく陰から形を取った上に、ひどく不機嫌なようすだった。どこか疲れてもいる。

 サリヴァンにだけは、ミケとのことだと分かっていた。

 姿を現したジジが、何も言わず小さな黒猫になって膝の上で寝る姿勢になっても、サリヴァンは背中をひと撫でするだけで、指示も懇願もしなかった。

 いるだけでも、十分だ。

 子猫の閉じた目蓋の下で、油断なく五感を張り巡らせているジジの感覚は、サリヴァンにも繋がっている。


 サリヴァンはジジを膝に乗せたまま、両手にそれぞれ小石と、耳から外した黒い石のピアスを指にはさんでいた。目蓋と耳の裏には、山から採った粘土質の土を塗り、てのひらにも擦りつけてある。

 グウィンとヒューゴは、山肌を背にするサリヴァンから少し離れたところで座った。

 時刻は昼を過ぎ、日暮れまであと一時間といったところだろうか。厚い黒い雲がねっとりと空を流れ、ときおり真紅の陽光が斜めに射し込んだ。


(黄昏時はいい時間だ)


 サリヴァンは小さく、呪文を呟いた。

 魔法使いが神に語り掛ける言葉は、自分で組み上げなければならない。借りものではない自分の言葉で、神々にお願いをするのである。しかしある程度の定型文はある。冥界の神ならば、『魂の裁判官』、『平等を敷く者』、『秩序の管理者』、『沈黙の吐息』などがそれだ。

 しかし、思春期が終わりかけた少年には、こうした呪文を堂々と口にするのはいささか恥ずかしい。


 サリヴァンは、自らの内側に流れる血を意識した。

『深く』、『繊細に』、ふだん意識しない自分を構成するものたちを手繰り、その先に通ずる道を探す。ジジの鋭敏な感覚を借りながら。


 本来なら、牛一頭でも二頭でも生贄を捧げるべきだが、そんな用意があるはずもないので、サリヴァン自身の髪と血で代用する。

 恐れ多くも、冥界の神そのものを呼ぼうとは思っていない。真意を探りたいのだから、それを知っている死者の魂を呼び出すつもりだった。

 血筋で土地との縁は結ばれているはずだから、声を掛けて手を貸してくれる霊がいる可能性ことに賭けた。


 内側に潜ると、不思議と周囲のことが分かってくる。

 やがて、右斜め後ろで座っているグウィンとヒューゴが、何かに反応して身じろぎしたのが分かった。


 冥界神の使者がやってきたのだ。


 サリヴァンは、呪文が途絶えないようにする。

 最初から、サリヴァン自身には質問はできないと想定していた。質問するのは、ヒューゴに頼んである。神々は芸術家を好むからだ。


 しかし、呼び出せたのは想定外のものだったらしい。

「貴女は……いや、あなた様は……」

 ヒューゴの驚愕する声が聴こえてくる。膝の上で丸くなっていたジジが、パチッと目を開けて身を起こした。ジジの金色の瞳を通じて、その姿が、サリヴァンにも見える。


 古めかしいドレスを纏った貴婦人だった。古い霊ではない。すくなくとも、百年は経っていないいないだろう。呪文を途絶えさせないよう注意しながら、サリヴァンはジジに頭の中で語り掛けた。

(……失敗ではない、か? )

(呼び出せただけ重畳じゃない? 血筋が仕事をしたね。まあ、これだけ血族がそろってるんだから、使者に親戚が来るのは当然か)


 ヒューゴには、死者の名前が分かっても、決して呼んではいけないと言い含めてあった。生前の名前は、現世へ引き留めるくさびになってしまうからだ。


 貴婦人は、赤ん坊を抱くように腕に頭蓋骨を抱いていた。

(ヴェロニカ皇女に似ている)

 サリヴァンは思った。しかし皇女よりもずっとやせ細り、禍々しいほどの貫禄と、硬く冷たい美貌を持っている。身長も、皇女よりずっと低いようだった。


『……コネリウスの声がする』

 貴婦人は、ガラスのように震える高い声で言った。見えない瞳が、冥界の青い炎の色に光っている。

『……オーガスタスの血のにおいがする―――――そこにいるのは、誰? 』

 サリヴァンは、ヒューゴに『名乗ってはならない』とも言い含めてあった。名乗るのなら、サリヴァンのほうの名前を言ってくれとも。


「……ここにいるのは、コネリウス・サリヴァン・アトラス・ライト。コネリウス・アトラスの曾孫です」

『……まあ。そうなの……コネリウスの……もうそんな時が経ったのですね』

「……あなた様が亡くなってから、八十年近く経ちました」

『あら……わたくしのことを知っているのね』

「はい。恐れながら……」

 歴史に刻まれている偉人を前に、ヒューゴの声が震えている。ヒューゴにとっては、自分の語り部の前の主の関係者でもある。



『では、わたくしを呼んだあなたは、あたくしの玄孫、ということになるのかしら』


 偽りの女帝、大淫婦ユリア・アトラスは、死してもなお、腕にオーガスタス・アトラスを抱いていた。


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