14-3 叫び


 相棒サリヴァンの気配が消えた。


 ジジは、じっと自分にしがみついたままのミケを抱きしめたまま振り返り、細く息をついた。

「ミケ、教えて。この星の海はどこ? 」

 顔を上げたミケの金眼は落ち着きを取り戻している。涙の痕をぬぐいながら、ミケは言った。


「ここは、簡易的な世界の中心。命さえあれば、誰もが、このあたりに――――」ミケの指が、ジジの胸の中心を突いた。「――——持っている場所。『宇宙』と呼ぶ場所と、物質世界の『境目』、と呼ぶのが正しいところでしょうね」


「物質世界っていうのが、いつもいるボクたちの世界だね? どうしたらそっちに戻れる? 」

 ミケは「行ってほしくない」というように瞼を震わせたが、すぐに立ち上がった。

「……案内します」


 ジジには、ミケが進む先が道なのかもわからない。ただ、水が果てしなく続いていて、空にはまばゆい星空があるだけの、そういう場所にしか見えなかった。

 しかしミケは、立ち止まることなく、水面を滑るようにするすると進んでいく。

 後ろのジジが付いてきているか、確認することもしない。


 ジジはふと、ミケの足元では、水が波を立てていないことに気が付いた。

 ミケが口を開く。

「わたしは物質世界には、もう戻れません。本体を失ったわたしは、もう魔人でもない」

「……そう。ねえ、キミに何があってそんなことになってるの」

 ミケは足を止めた。

「主を――――アルヴィン様を救い出すことを約束したのです」

「誰に? 」

「……レイバーン様に」

 ミケは何かを振り払うように頭を振った。


「もし……もしも、アルヴィン様が助かったなら、アルヴィン様に伝えて。レイバーン様は貴方を見捨てたりはしていなかった。お父様は貴方を想っておりました、と」

「……そういうのは、他人が言うより自分で言ったほうがいいだろ」

「アルヴィン様にとっては他人でも、わたしにとっては違うのでしょう? 」

「ミケ、あんた、自分のことは諦めるつもりか? 」

「いいえ」

 ミケは、今度は否定の意味で首を振った。

「諦めるわけではありません。違う形で、お役に立つだけです」


 風が無いのにジジの外套がふわりとなびいた。

「おい、ミケ! 」

「身を任せるだけで、あなたの主のもとへ帰れますよ」

 頑なに振り返らない背中が、暗闇に遠ざかる。


「死んだりするなよ! あんたには、まだ山ほど聞きたいことや話したいことが――――――」

「―――——わたしもあります! だから! あなたも死なないで! 」


 直前、星の海に取り残されたままのミケは振り返って、歯を見せてはにかんだ。



 ✡



 空が赤く燃えていた。

 どす黒い雲が厚く垂れこめ、まるで岩を切り出したようだ。

 全員が、知らずのうちに細かい土埃を被っていた。

 王城地下はやがて岩の洞窟に変わり、その出口は、鉱山跡とみられる山の中腹にあった。

 グウィンをはじめとしたアトラス兄弟たちは、サリヴァンの合図で外へ出た。低い裸木がまばらに繁っているだけで、見通しのいい急こう配の坂が、ずっと下のほうまで続いている。

 思っていたより小さく西の方向に王城が見えた。その下、南に城下町が広がり、さらにその先に墨を流したような黒い海が見える。

 ヒューゴがぺろりと唇を舐めた。


「こりゃあ二手に分かれるべきだな」

「そうだな。ケヴィンが限界だ」

「ちょっと待ってください! 」

 兄と弟の言葉に、洞窟の壁で休憩していたケヴィンは慌てて立ち上がった。


「兄さん、僕はまだ大丈夫です! 」

「これ以上はおまえの体力がもたない。二手に分かれて、おまえはヒューゴと先に船を待つんだ」

「兄さん、僕は」

「兄貴。あんたは足手まといになるって、兄さんは言ってるんだぜ」

 ケヴィンが鋭くヒューゴを睨んだ。ヒューゴは伸びた顎の髭を触り、逞しい肩をすくめる。


「体力の問題だけじゃない。兄貴は精神的にも追い詰められてるだろ。自覚無いのか? 」

「そんなことはない! 」

「じゃあ自覚させてやる。国を出てばっかりの俺たちと違って、父さんの一番近くにいたのはケヴィン兄さんだった。父さんのこと、アルヴィンのこと。一番責任を感じてるのはアンタのはずだ。

 分断する意味もあるんだぜ。アンタの頭の中には、父さんとの仕事の一切が入ってるだろう。

 ケヴィン兄さんが皇帝となった今、仕事を引き継ぐにはアンタが死んじゃあいけないんだ!

 ケヴィン・アトラスほどの人が、そんなことも分からなくなってンのがヤバイって言ってるんだよ! ここまで言ったら分かるだろ! 」


 ケヴィンは青ざめた顔で苦し気に呻いた。その息は浅く、肌に血の気は無い。青い光彩の瞳は充血し、疲労に暗く濁っている。

「……わかった。でもヒューゴ、おまえは兄さんたちと行け。体力馬鹿なんだから」

 ヒューゴは片方の眉を上げていたずらっぽく笑った。

「いいのかよ? 」

「一人じゃない。語り部マリアがいる」

「駄目だ! ヒューゴもケヴィンと行け! 」

 声を荒げたグウィンを、弟たちの四つの青い目が射貫く。


「いいや。おれは決めたぜ、兄さん。ケヴィンも港くらい行けるだろ。いい大人なんだから」

「陛下……いいえ、グウィン兄さん。これから父上に会いに行くのでしょう? なら、ヒューゴがいたほうがいい。こいつは逃げ足が速くて決断力にも優れている。成人男性一人の力は侮れません。親戚といえど、外国人の少年一人をあなたの伴にするのは、あまりに道理が違うでしょう。こいつなら、迷いなく迅速に、あなたの盾になるはずだ。そうだな? 」

「おーおー。ケヴィン兄上ったら言ってくれんじゃねーの」

「僕と違って、こいつは血の気も体力も残ってます。

 兄さん、僕は逃げるだけだ。でもあなたたちは戦いに行くんだ。ここでヒューゴを介助に借りて兄さんが死んだら、僕はヴェロニカ姉さんに顔向けできない」

「ケヴィン兄さんがこう言うんだから、おれは陛下のほうへ着いてくぜ」


「兄さん」


「王よ」


「……ああ、もう! わかった! 悪かったよ! 」



 グウィンは顔を拭うように手の平で覆って深いため息を吐いた。

「私にとってはね、お前たちはいくつになっても守るべき可愛い弟なんだってことを忘れないでくれ! 」


 ヒューゴとケヴィンは顔を合わせて肩をすくめた。

「兄さん、おれたちもう三十路男なんだけど? 」

「いくつになってもって言っただろ! 」

「爺さんになっても、『可愛い弟』なのか? 」

「当たり前だ! いいか、忘れるなよ。ぼくはまだまだモニカと結婚して我が子を抱くつもりだし、姪や、甥や、その子供や孫たちに囲まれて誕生日を祝ったり祝われたりするつもりでいるんだからな! いいか、お前たちの子孫もそこにいる予定だ! もちろんサリヴァンくん! キミもだぞ! おまえたち自身もだ! 一人残らず欠けるのは許さんからな! 」

「そこに……アルヴィンはいるのか? 」

 ケヴィンがはっと息を飲んだ。


「当たり前だろ! それがぼくの夢だ! 」


 グウィンは胸を張った。「アルヴィンも連れて戻る! この国で、みんなで……! それがぼくの夢だ! 」


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