14-4 ここに。


 ✡



 レイバーン・アトラスはゆっくりと闇の中で目を開いた。

 ……自分は今、夢を観ている。

 レイバーンは、亡霊となっても夢を観る自分に笑った。

 腕は掲げられたまま手枷に繋がれ、痩せた裸の胸に石造りの牢の下冷えが堪える。


 ――――これは、ほんの少し過去の再生だ。

 レイバーンは再び、暗い笑い声を漏らした。


 ギィ、と牢の入口が軋む。青い炎が宿った松明たいまつをかかげ、『魔術師』がレイバーンの前に立った。

 レイバーンの肌が青白く照らされ、灰色のローブは、夜闇と松明で群青に染まっている。そのフードの奥にあるものに、当時のレイバーンは息を飲んだ。


「きさまは――――何者だ……? 」

「ふふ」『魔術師』はさえずるように笑う。「わたしは。そうですね、名前を付けるなら……『ドゥ』とでもお呼びくださいな。名も無き死者、打ち捨てられ、忘れられた死体。それがわたし」

 男かも女かも分からないが、不思議と甘やかな声で『魔術師ドゥ』は言う。


 ドゥは、松明を牢にある松明立てに置くと、手を叩いて配下のものを三人呼び寄せた。

 石の床に跪くレイバーンの正面に、三脚の簡素なテーブルを置くと、配下を牢の外まで下がらせて、自分ごと牢の鍵を閉めさせた。

 甘い声でドゥは言う。


「語り部を出しなさい。皇帝」

 レイバーンは顔をしかめて黙ったまま、床を見ていた。

「皇帝よ。命令です。……我が子たちがどうなっても? 」

 レイバーンは悔し気に呻いた。胸の奥で語り部を呼ぶと、牢の壁に長く伸びる影から幼子の姿をした語り部が顕れる。

 ダッチェスは表面上は感情を閉ざし、レイバーンの斜め後ろにちょこんと立った。


「……皇帝よ。全員です。息子たちの語り部も、全員呼び出しなさい」

「…………」

 松明の青い炎が揺らめく。ダッチェスの眉がわずかに動き、視線だけでレイバーンの意志を読み取った。

 ダッチェスの白い手袋に包まれた手が、手のひらを上にして、肩の位置に上げられる。空気を握るように小さな指が動くと、牢の四方から黒衣の語り部たちが、五人、あらたに現れた。


「……これで良いか」

「ええ。ありがとう」

 ドゥは、レイバーンの脇を固めるように扇状に立った語り部たちを、テーブルの上に並ぶ御馳走を見るようにぐるりと見渡した。そしておもむろに、ローブのポケットからコトン、と何かを置く。


(何をさせるつもりだ……? )

 袖に隠れた指先が、『何か』を置いてテーブルから離れた。

 香水瓶のような雫型の小瓶が、テーブルの上に置かれている。ドゥは続けて牢の外からボトルとグラスを二つ受け取り、それを小瓶の後ろに置いた。


「乾杯といたしましょう。運命を否定するものどうし、我々の出会いを祝うのです」

「何を……」

「ここに、血のように赤い酒がありますでしょう? 」音を立てて、ボトルからワインが注がれた。「そして、これがとっておきのスパイス―――――」

 袖に隠れた指が小瓶をつまみ、軽く揺らす。薄く色のついた小瓶の中で、黒い液体がトプトプと揺れた。


 ダッチェスが身動ぎをする。

 ワインが満たされたグラスの中に、液体が半分ずつ垂らされた。


(ダッチェス……あの小瓶の中身は、毒か? )

「…………」

 何も言わず、ダッチェスは強く唇を噛む。


「これを飲んだら、我々は同志です」

 ドゥは朗らかに言った。

「同志、だと? 毒の盃を飲ませることが? 」

「ええ。預言しましょう。あなたは必ずこれを飲む。ふふ……だって、息子たちを失いたくないでしょう? それに……語り部だって」

「……きさまに語り部に手を出すことは出来ぬ。彼らは何人にも傷つけることはできない」

「例外の方法が、あったとしたら? その方法をわたしが知っている……と、したら? 」

 袖がめくれ、白い指先があらわれた。グラスのふちに触れたところから、かちん、と硬質な音が鳴る。

 白骨の手がワインの雫を滴らせる。


「同志になるのです。レイバーン・アトラス。父上にお会いしたくはありませんか? あこがれのジーン陛下とは? 数々の英霊たち、伝説のなかを生きた亡霊たちとは? 」

 レイバーンは暗がりに落ちるドゥの顔を睨みつけた。

「未来を見つめるのです『皇帝』。あなた亡きあとでも、あなたの役割を継ぐものはいるでしょう。しかし『語り部』は違う。彼らに替えはきかない。そうでしょう?

 あなたがこの盃を飲み干せば、わたしは、そう……。

 と誓いましょう」

 レイバーンの顔に濃い影が落ちた。


「ああ……そんな顔をしないで! 預言は成就するだけ! それだけです! わたしという、大いなる脅威に、あなたは成す術もなく他の皇子たちと、この世界の未来を守るのです! 」

 レイバーンの顔がうつむいていく。


「ああ……可哀想なアトラス皇帝……これから先、何代重なったとしても、彼らの中には幼い皇子を切り捨て運命を拓いた皇帝の血が流れている……。いいえ、恥じることはありません。あなたの選択が、世界を救うのです。……そうでしょう? ねえ。同志レイバーンよ―――――」

 その顔に向かって、赤い飛沫がかけられた。語り部たちが息を飲む音がする。

 ダッチェスが常にない怒号を上げた。

「――――――ミケ! だめよ! 」


 五人の語り部の中で、ダッチェスの次に小柄な姿をした語り部が、肩で息をしながら空のグラスを床に叩きつけた。金色の瞳が暗がりに怒りに燃え、風もないのに、背から伸びる長い三つ編みが蛇のように空を泳いでいる。


「貴様——————アルヴィン様を殺すと言ったのか……! 」

「退きなさいミケ! 誓約を忘れたのッ! 」

「誓約など知ったことかッ! 」

 悲鳴のようなダッチェスの声に、ミケは吠えた。そしてレイバーンを振り返り、憎悪を宿して見下ろした。


「―――—誰もあの人を助けてくれないのなら、わたしだけでもやってみせる! 」

「ミケ! やめろ! 消えてしまうぞ! 」

「止める資格はあなたには無い! 語り部も皇子もたくさんいる! でもアルヴィン・アトラスの語り部は、このミケだけなのだから! 」

「……ふ、ふふ」

 魔術師の声に、誰もが動きを止めた。

「ふふ……ふふふふふ……なるほど。語り部の中に欠陥品が混じっているようですねぇ。いやあ、ご苦労なことだ。皇帝よ」

 骨の指が空に何かを刻むと、レイバーンの手枷が落ちる。


「グラスを取りなさい。これは命令です」


 ミケは無言で、レイバーンとテーブルの間に、腕を広げて立ち塞がった。ドゥの顔が松明に照らされても、眉一つ動かさずに怒りをこめて睨みつける。

 その小さな肩に、レイバーンが枷が外れたばかりの手を置いた。

 レイバーンが立ち上がると、ミケが二人いてもまだ足りないほど大きな体を持っている。その頭の上から腕を伸ばしてテーブルの上にあるグラスを持ち上げ、一口含んだ。


「―――—レイ! 」

「ダッチェス」

 一歩、踏み出しかけたダッチェスをレイバーンは片腕を上げることで制す。


「全部飲み干すのが、礼儀というモノですよ? 」

「……分かっている。

 ミケ」

「あ、ああぁ……陛下……」


 ミケの語り部としての目には、見上げたレイバーンに、死の運命が迫っているところが見えていた。

 震える息を飲みこみ、この状況で微笑むレイバーンを不思議そうに見つめたミケは、やがて決意を含んだ顔で、肩に置かれたレイバーンの手に自分の手を重ねる。


「―———アトラス皇帝としておまえに命ずる。できうる限り、我が息子アルヴィンの助けとなれ。これで少しは消滅が遅れるはずだ」

「レイバーン様……感謝します! 」

「――――――行け! 」

「フェルヴィンよ、永遠なれ! 」

 ミケが影に姿を消す。グラスを掲げたレイバーンは、それを確認するとグラスを傾け飲み干した。唇も拭わずに、背後へと告げる。

「……大儀であった」

 大きな背中が揺らめく。

 ゆっくりと、土にまみれた床へと崩れ落ちていく。


 ダッチェスは、その言葉が、自身に向けられたものだと気が付いていた。

 あれは、語り部の職務を貫き、動かなかった自分に対しての言葉だった。


 ―――――黄昏の国フェルヴィン。

 赤い空に沈む国を一望しながら、ダッチェスは、自分の胸の内に問いかける。

 主の命を救おうとしたミケ。

 ……何もしないで見届けた自分ダッチェス


(……ねえ、レイ。あたし、これで良かったのかしら)

 ダッチェスには分かっていた。

(あたし、どうしたら良かったのかしら……)

 あのときレイバーンは、『気にするな』という意味で、「大儀であった」と―――――。

(嗚呼……! あたし、ミケがうらやましいと思ってる! 思ってるのよ! レイ! )

 ダッチェスはインクに汚れた指先をさすった。西の空の下にある灰色の王城。そこにいる主を想って祈っていた。


(あたし、いま会いに行くわ……待っていてね。レイ)



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