14-1 ダッチェス

 

 ダッチェスは、皇子たちとともに薄暗い回廊を走り抜けながら、自らの短い手足を恨んだ。

 先導しているのは、同じ語り部のトゥルーズである。

 細身の青年の姿をした語り部は、かつて『無能王』と呼ばれた皇帝付きだった。この入り組んだ地下の迷路から地上へ出る道を知っているのは、この場では彼とダッチェスだけだった。

 語り部は、取る姿が主の心に依存する。だから純粋な力は、見た目には依存していない。しかし、この足の短さはそのまま足の遅さを意味している。


 ケヴィンの語り部マリアは、華奢な娘型の語り部である。ダッチェスは、そうそうに六世紀も若い彼女の腕に抱えられて回廊を運ばれている。

 女の細腕に見えても、語り部……いや、魔人ならば、疲れ知らずで子供一人抱えて走るなんて朝飯前なのだ。ダッチェスは手足を曲げて荷物に徹しながら、むう、と唇を尖らせた。


 ダッチェスと同じように、ベルリオズの腕の中にも運ばれている同行者がいる。

 第十八海層からやってきた少年魔法使い。コネリウス皇子の曾孫。その姿は、コネリウスに似ているところなどほとんど見受けられない。

(似てるのは声くらいかしら? )

 驚くことに、立ち上がった熊ほどもあったコネリウスの太い首から出ていた声と、この小柄な少年から出る声は、ひどく似ている。人間と違い、永久に記憶が薄れることがない語り部のお墨付きなのだから、間違いない。


 不思議な気分だった。

 まるで、まだジーンとコネリウスがこの国にいたころに自分が戻ったかのようだ。彼らがまだ英雄では無かった時代、主レイバーンは、ようやく字が読めるようになったころで、レイバーンは双子を兄のように慕っていた。

 激動の時代が訪れる少し前、束の間の平穏であった。

 無能王オーガスタスと、その実姉ユリアの間に生まれた禁忌の双子。その事実は隠された。

 オーガスタスと正妃のもとで三男として生まれたレイバーンは、双子を腹違いの兄とは知らず、伯父として彼らを崇めていた。


 すべてが歪んでおかしな時代だった。


 そして今、ダッチェスは、あのころと同じを感じている。


 ――――蘇りし死者たち。

 ――――弄ばれるレイバーンの魂。

 ――――怪物として生まれ変わったアルヴィン殿下。

 ――――誓約を破った語り部ミケ。

 ――—―石になった民。

 ————現われたコネリウスの曾孫。

 ———―選ばれしもの。


 ―――――……最後の審判。


(……何かが間違って、歪んでいる気がするのよ)


 頭の隅で、気づきかけていることがあるはずなのだ。


(……死者たちは、どうして蘇ったの? )

 忌々しい『魔術師』が蘇らせたからだ。


(『最後の審判』は、なぜ『』起きたの? )

『魔術師』がレイバーンに誓わせたからだ。

(……いいえ、違うわ。魔術師が『今』を選ぶ理由があるはずよ)


 審判が起きる条件は?

愚者はじまり』と『皇帝秩序』と『指針』と『宇宙すべて』が揃ったからで―――――。


 いや。

(もし、逆だったら? 根本から違っていたら? )


『審判』は、22人の選ばれしものが、世界の果てにある『神の庭』へと向かい、その行いで、人類の有用性を示すために行われるのだと伝わっている。

 22人の使者は、とうぜん人間の中から選ばれる。そしてそれは、生きている人間だ。

 死者ではない。死者ではいけないはずだ。

 なぜなら、これは人類の未来のために行われる裁判だから。

 裁かれ、断罪されるのは、今を生きている人間たちだ。その責任を、すでにこの世で役目を終えた死者が負うのはおかしい。

 だから魔女も、きちんと明言している。『この世で営みを行うすべての人類の中から』選ばれる、と。


 だというのに、『皇帝』レイバーンは死者だ。そして『星』アルヴィンも、生者とするには、あまりに命の所在が不確定にすぎないだろうか?


 アルヴィンを生かすために『宇宙』になったミケもまた、その魔人としての運命は絶たれていて―――――いや、違う。


(アルヴィン殿下は、なぜ死んでいないの? )


 アルヴィンは、炎を身に宿した怪物として蘇ったという。ただ蘇っただけならば、彼は頭蓋骨の無いままで蘇るはずだ。そしてそんな身体では、いくらも生きられないだろう。

 ミケだ。ミケが何かをしたのだ。アルヴィンを生かすため、何か手を加えたのだ。


 噴き出る赤い炎。魂を燃やす火。そして、命を生み出すもの。

 ———―そんなものは一つしかない。

『混沌の泥』。そこから生まれる、すべての生命を生み出した熱。

 かつて『黄金の子』を焼き、鍛冶神の炉に宿り、時空蛇の吐息に交じる、『叡智の火』。


 ダッチェスは悲しくなった。『混沌の泥』をアルヴィン皇子が身に宿しているということは、つまり、ミケが自らの本体である銅板を、差し出したという事に他ならないからだ。

 語り部は、本体だけは、主にも見せないし触れさせない。それは心臓であり、脳であり、血肉であり、魂であるから。

 ミケは、心臓も、脳も、血肉も、魂も、アルヴィン皇子ひとりの命のために捧げたのである。


(ミケ。それは『愛』というものが成せることだったの? )


 語り部の主への『愛』は、記録すること。物語として、永久に語り継がれるようにすることだ。

 ダッチェスには分からない。何より優先すべきその役目を、ミケはあまりにあっさりと捨てたように見えた。

 ダッチェスなら、アルヴィンの命が潰えた時点で、その人生をどう描くかと考える。それが終われば次の主を待つことになるので、出会いに期待を持って眠りにつく。

 語り部の記憶は劣化することなく、過去の主の記憶は、記録として語り部の中に残る。

 愛すればこそ、語り部は主の死を恐れない。

 主の死は悲しいが、悲しみは、物語を紡ぐための良い材料でもあるのだから。


 すべての『歪み』の根源は、やはり『魔術師』だ。

 あの者が、『魔術師』に選ばれるということも、不可解に思えてならない。

『あれ』は国を滅ぼそうとしている。民を殺し、王を殺し、人類の敵以外の何物でもない。

 それが、人類救済のために選出される使者の一人だなんて、どう考えてもおかしい。


 この審判は、根本的に歪んでいるとダッチェスは確信する。

 魔術師の存在、ミケの行動、暴れまわるアルヴィンも。


『星』は、選ばれしものたちを率いる『先導者』を暗示している。

『皇帝』が『秩序の守護者』と言われ、審判の鬨の声を上げることを役割として定められているように、旅の行く先を示す『指針』の役割が、『星』である。

 言葉も通じず、狂ったように暴虐を繰り返すのでは、『星』の役割を果たせるとは思えない。


 アルヴィンは、執拗にジーン・アトラスを狙ったという。

(……どうしてジーン様を狙う……? 頭蓋骨を持っているから? それだけ? )


 そのとき、回廊を駆けるマリアの足が止まった。

 周囲を見れば、全員が足を止めている。


「どうしたの」

「ダッチェス様、道が……」


 マリアがおずおずと頼りない声で言い、前方を指した。

 暗闇のように見えたそこは、グウィンが灯りを向けると、その全容をさらけ出した。

 思えば、何度も大きな地揺れがあった。通路の一つやふたつ、崩れていてもおかしくなかったのだ。


「引き返しましょう。別の道を行くのよ」

 マリアの腕から降り、ダッチェスは短い腕を大きく振って、もと来た道を指し示した。指先から、ぽろぽろと黄金の光の粒がこぼれている。


「だいじょうぶ! まだまだこれから。道はいくらでもあるんだから! 」


 けれど、ダッチェス自身に残された時間は僅かであった。

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