13-5 星のすみか

 


 ✡


「わたしは……もう、壊れています」


 顔を上げ、とぼとぼと、ミケは言った。

「あなたなら分かるでしょう」

 縋りつくように、地べたに項垂れるミケの両の手が、ジジの身体の横に垂れた右手を取る。

「わたしはもう、厳密にはアルヴィン・アトラスの語り部のミケでは無くなっている。『宇宙』をこの身に宿したわたしは、逆に、う、『宇宙』というものと、同化していっています。

 げ、げん、原初の海……混沌の泥の、う、う、う、上澄みたる『宇宙』の、え、選ばれしも、も、も、ものの、さだめ……! 」


「こ、こ、こんなはずでは、なかった」ミケはジジの手を額に押し当てた。


「こんな……こんなはずでは……! わ、わたしは、どうなっても、よかった。アルヴィン様さえ、無事、ならば、この身なんて、ど、どうでもよかった。だというのに……だというのに!

 ぎ、ぎ、犠牲を、はらい、た、辿り着く結、つ、末が、こ、こんな、こんなものだなんて! アルヴィンさまぁ――――――――ッ! 」


 後ろ姿しか見えないジジが、今どんな顔をしているのか、おれには見えなかった。ジジは右手に縋りつくミケの手を取って何かに確かめるように握り返し、跪いて、その体を抱きしめた。


「ジジ……」

「可哀そうだね、こいつ」

 抑揚の無い声でジジは言った。

「ボク、人を憐れむことはほとんど無いんだよ。基本的に他人には興味無いからさ。でも、こいつは可哀想だと思うよ」

 ミケではなくおれに向かって、淡々とジジは言った。細いため息が聞こえる。


「……よくわかった。『語り部』とボクじゃあ、性能と機能が全然違う。

 ボクはアンタみたいに主人のことを自分より重くなんて考えられないよ。ボクから見るアンタたち語り部は、自由が無くてすごく窮屈そうだ。

 でもアンタたちは、それが幸せなんだろうね。

 ボクにはそんな在り方は無理だ。ボクとアンタでは幸福の形が違う。永遠に相いれないんだろうね。

 ……ねえ、ミケ。キミはとても可哀想だね。

 アルヴィン・アトラスが、キミに何をしてくれたの? 」

「おいジジ……」

「……その人間は、ホントウにキミが命をかける価値がある人間だったの?


 三千五百年前に偉大なる魔女に製造された24枚の語り部の一人が、その身をていして守る価値がある存在だったの?


 ジーン・アトラスのときとはわけが違う。ジーンは英雄だった。国を救う人だった。多くの人を助けた。


 でも、アルヴィンはそうじゃあない。ただの十四歳の男の子だ。

 皇子っていっても、上に四人も優秀な兄貴たちがいる。スペアのスペアでしかない、チビで虚弱なすぐ死ぬ人間。それがアルヴィンだろ。


審判こんな』ときに、始祖の魔女の歯車である語り部のアンタが、消費されてまで救われるべき人間じゃあないだろう」


「ジジ! 」

「……なにさサリー」


 ようやく振り向いたジジは、うっとおしそうに眉をひそめていた。もっとどす黒い(うまく言えないけれど、闇の深いかんじの)顔をしていると思っていたおれは、いつも通りのジジの『ちょっと不機嫌な顔』にむしろ動揺した。


「……おまえにヒトの心は無いのか」

「ヒトじゃないもん」

 ジジは少し可愛い子ぶった仕草で口を尖らせ、ぷいっと顔をそむけた。


「ねえ、ミケ。ボクにはヒトの心は無いとおもう? 」


「わ、わ、わ、わかって、あ、あ、あ、あなたは、いい、言っている、の、ですね」

「ああ。わかって言ってる」

「わ、わ、わたたしにとって、ア、アルヴィンさまは、か、かけがえのない、方です。う、うまれた、ときから、いっしょ。で、でも、それだけじゃ、な、なくて」

「うん」

「か、かなしい。あ、あのひとが、かなしいと、わたしも、かなし、かった。く、暗い、部屋で、泣くあの、ひとの、涙、を。と、と、と、とめて、あげた、くて……で、できな、かった。ひ、ひとり、ぼっち。か、かわい、そう、で。さ、さいしょは、ち、ちい、さくて。あ、あんなに、ちい、さくて。で、でも、あ、あっと、いうま。に、わ、わたしの、腕で、は、抱き上げられ、なくなって……」

「うん」

「も、もう、わたしじゃ、だめ、だった。あ、あの人は、じ、自分で、考えて、わ、私を、拒絶、し、しました。や、や、や、闇に、あ、あ、悪意に、ひ、ひとりで、戦う、意思を持った、た、アル、ヴィン様、に、わ、私、は、あらがわ、なかった。そ、そ、それが、あ、あの人の、う、運命、だと。

 わ、わたしは、じ、自分に言い聞かせ、て、て、耐えた。耐えて、耐えて……

 な、なにも、できなか、った。でも、そんなのは、もうイヤ……! 」

 ミケは大きく頭を振った。



「ど、どうして―――――! あの人があんな目に遭うのですか!

 あ、あんなのが、さだめだと、ゆ、言うのな、ら!! わ、私は! 語り部で、無くなっても、いい!!!

 せ、世界、も、し、しし、審判、な、なんて、ししししらない! 」


 ジジの外套が強く掴まれる。ジジはミケの言葉に、何度も小さく頷いた。



「わ、私の、大事なひと! 取る世界なんて! いらない! あ、あの人が幸せになれない世界なんて、いらないッ! いらないのッ!!! 」




(……ああ、そうか。ジジの言う『可哀想』っていうのは、こういうことか……)

 残酷すぎる。

 ひどくグロテスクにも思うのは、おれが魔法使いだからなのか。ジジという魔人を知ってしまっているからだろうか。


 魔法使いは、魔法を使う時、その効果に純度を求める。

 たとえば炎を扱う時。煙や煤が不要に出るのは、未熟者の証だ。水を扱うときはもっと分かりやすい。無味無臭の飲み水を出そうとするには、熟練度がものを言う。


 魔人は『意志ある魔法』。魔女が考案した魔人の作り方は散逸して久しいが、『魔法』と名が付くのなら、それを作るときの姿勢はおれが知る魔法と同じなのだろう。


 ダッチェスは言った。『語り部』には、三つの役割と、それに対応した機能があると。

 ひとつはアトラスの一族を『記録』すること。

 一機の語り部につき九人。『選ばれしもの』の素質あるアトラスの子孫の生まれてから死ぬまでを『記録』すること。


 ひとつは主を『愛する』こと。魔女は語り部に心をさずけ、その関係を愛情をもって行うことを望んだ。

『記録』は、『伝記』という物語となり、語り部は、あるじの死後の栄光を守るものとなった。


 最後は『審判』においての歯車としての機能だ。

 時が来れば、『選ばれしもの』の語り部は、審判において働く歯車の一つとなる。『宇宙せかい』という『選ばれしもの』の一人として働く。

 ……その『宇宙』となった語り部がどうなるのかは、ダッチェスにも分からないのだと言った。しかし、名誉なことだとも。

 それは、『宇宙』に選ばれた語り部の主人は、『星』または『皇帝』に選ばれるからだろう。


 つまり語り部という『魔人』には、そうであれという魔法が込められている。

 創造主が『そうであれ』としたのなら、疑念や疑問などは持たないように。

 だって土壇場で想定外の動作をする魔法なんて、危なくて使えるもんじゃない。『意志ある魔法』というのは、、『自分で思考し最善を尽くして働く』ことが最良だということだ。


 きっと、『宇宙』に選ばれたのが他の語り部なら、ミケのようにはならなかった。

 彼らは、愛情をもって主を慕っているが、いざ主が命を落としたとき、ミケのようには動かない。その死を悼み、『伝記きろく』にすることを、まず考える。

 それこそが我が使命だと信じて疑わない。


 でも、ミケだけは違ったのだ。ミケは、ある意味では特別な語り部だったのだ。


 魔人としての動作不良。主をこと。


 それがミケを、皇子救出に走らせた。


 ジジが『可哀想』だというのはそこだろう。


 、アルヴィン・アトラスは――――――。



「キミは可哀想だね……」

 お互いの肩に頬を寄せ、二人は抱きしめ合っている。



「キミは人間じゃあないのに、人間の心を持ってしまったんだね……」


「わ、わ、私は、語り部、失格、です。へ、へんな、語り部、だから……こんな……無様な……ふふ。ははは。うふふ……


 う、うう……うぅうぅぅぅうう……うああぁああん―――――」


 ミケは声を上げて泣いた。

 まるで普通の子供のように、目の前の温もりに縋りついて、無様に泣いていた。



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