13-4 IMAGINARY LIKE THE JUSTICE
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《 警告 》
《 警告 》《 警告 》
『フレイヤの黄金船』が、大きく揺れた。
「ダッチェス! 戴冠の儀式は完遂されたのか!? 」
「ええ! 」
「儀式が終われば船が落ちるってことか!? 」
「それはありません! 原因は別の何かですわ! 」
絨毯の上に寝かせたままのサリヴァンを前にグウィンは少し悩んで、その体を肩に担ぎ上げる。魔人ジジは、サリヴァンの昏倒と同じくして、彼の『影』に戻っている。
グウィンは頭一つ小さい自らの語り部を見下ろし、短く言葉を交わした。
「ベルリオズ。私にできるか? 」
「はい陛下。あなた様はもう『皇帝』です」
「そうか。――――――みんな! 船を出るぞ! 」
先導しようとしたダッチェスをケヴィンが支えた。
代わりにまっさきに外へと飛び出したのは、語り部トゥルーズである。
一歩、船から出たトゥルーズは、胸元をかすめた火炎にあやうく焼かれるところだった。後ろに倒れ込んだトゥルーズを抱えながら、その襟首を掴んだままのヒューゴが冷や汗をかく。
「っぶねえ……」
ごちたヒューゴは、次の瞬間には、視界を埋め尽くすほどの
「――――それが貴様の答えかアポリュオン! 」
鋭い声が飛んだ。
船の遥か上空に、炎の大蛇の額に足を乗せ、すらりとした姿が立っている。炎を背負った黒い影は、髪をなびかせて真紅の瞳をマグマのように滾らせていた。
怪物―――――アポリュオンの黒い巨体は、その炎蛇に照らされ、油で濡れたように赤く光っていた。馬頭についたくちばし状の口が開き、煤の混じった息を吐く。
「―――――貴様が人であるのなら……ここで死ね! 影の王! 」
アポリュオンの翼を泥のような黒い光をまとう。羽ばたきと共に飛沫になって飛び散るそれは、アポリュオンが持つ深淵から汲みだした毒であった。
「小僧ども! 」影の王が叫ぶ。
「何をしている! グズグズするな! 早く城に戻れ! 」
「あなたは―――――」
「我が名はアイリーン・クロックフォード! 時空蛇の担い手にして影の王、『女教皇』の選ばれしものなりて! 」
アイリーンが中空へ伸ばした手が、炎をまとって銀の錫杖を握る。それを火炎を掻き回すようにくるりと回し、アポリュオンに突きつけた。
アポリュオンがより強く羽ばたこうとする。毒の風を遮って、あらたに生まれた鎌首を持ち上げた炎蛇たちが立ち向かう。
「――――――『
頷いて、グウィンは見えない回廊を駆け抜けた。
皇子たちが消えた縦穴で、アポリュオンはまた煤混じりの息を吐く。苛立たしげに火花を混ぜた溜息を吐いたアポリュオンは、ゆっくりと何度か首を振った。
「……影の王アイリーンよ。もう一度言う。人の身にはこのアポリュオンの相手は荷が重かろう。素直にこちらへ
「気が変わったのはどういう心境の変化だ? アポリュオンよ、貴様こそ、先ほどまでは確かに
「――――――ああ。確かに。確かに……先ほどまでは闘気が失せていた……しかしこちらにも事情があることを思い出した……それだけさ」
「その
アイリーンは失笑した。「……これ以上堕ちるか? 奈落の王、深淵の怪物アポリュオンよ」
アポリュオンの瞳が目に見えて怒りを宿す。
「――――――貴様にわかるか! 」
毒の唾を吐いて叫ぶアポリュオンに、アイリーンは錫杖を構えた。
「御託はいらん! ならば貴様と矛を交えるのみ!
私は一度も
見下し続けた
「―――――――ぬかせェエ!!! 」
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―――――ねえ、これ見て!
青い瞳に、わたしの影が映っている。
幼い指先に導かれた先は、少年の狭い膝の上だった。そこに、危うい均衡で広げられた本の中にある【青い空】というありふれた形容詞。
我々『語り部』には、当たり前に情景とともに登録されている言葉の一つでしかないそれ。
―――――空が青いって不思議だね。
この国にいる限り【青い空】を知ることは無いのだと、わたしはその時、ようやく察した。
雲は白いものなのですよ、と教えると、
その瞳の澄んだ『青』こそ、わたしにとっては、ありふれた空より尊いものだった。
―――――大人になったら、見に行けるかなあ。青い空とか、星……だとか。
見られますとも。
―――――ほんとう?
語り部は嘘をつかないのですよ。
主は唇を尖らせる。
―――――それは嘘だ。ミケはぼくに、『夜はおばけが来る前に寝なさい』って言うじゃない。
おや。それはノーカンというもの。嘘は方便というものがあるのです。まだ小さなアルヴィン様に早寝をおすすめするのは、語り部の特別処置なのです。
――――――ミケはむつかしい言葉を使う。ずるいぞ。
ずるくありません。ミケは語り部ですもの。
――――――ミケはいつまで語り部なの?
それはどういう質問ですか?
――――――その……ミケはいっしょに、空、見れる?
見られますとも! だってミケは、ずうっと語り部です。ず~っと、アルヴィン様が死んでしまうまで、ミケはあなたの語り部です。
――――――……ほんとう?
しろい肌が、頬だけべに色に染まっている。
こんな美しいものをずっと瞳に映していることが、わたしにとって何よりの幸福であった。
だからわたしは、約束したのだ。
――――――一緒に、この本の中にあるようなところ、連れて行ってくれる?
アルヴィン様。語り部はアルヴィン様を連れて行くことはできません。アルヴィン様が、わたしをそこへ連れて行くのです。
――――――わかった。ぼく、ぜったいミケを連れて行く!
……ええ。ええ! お待ちしています!
あなたと夢を見た。
語り部であるわたしにとって、何より美しい『未来』という夢を見た。
あの約束が忘れられない。
……あぁ。だからわたしは。
人は死ぬ。
語り部は傍観者にして記録者である。
人は死ぬ。
いつか忘れ去られる。
どんなにその人を愛していても。
そうして消える。
抱いた夢も、願った未来も、不確定のまま忘れられ、そして消える。
消えるのは、魂というものかもしれないし、別の何かなのかもしれない。それを観測する術は、我々であっても存在しない。
けれど、消えるのだ。
消えてしまう。
我々の
功績も悪徳も、ありふれた日常ですら、物語として編み上げれば、それは永遠になる。
トゥルーズは、主の人生を長い一曲の音楽にした。人々はその曲を聴くたびに、とある国の愚かな王のことを思い出す。血にまみれた歴史と、その歴史の登場人物たちを思い出す。
永遠になるとは、そういうことだ。
語り部は、どうあっても主に置いて逝かれる。
遺ってしまったものが、故人を忘れないでほしいと願うのは、人間も語り部も同じこと。
だからわたしたちは、主を物語にするのである。
それが定められた役目だとしても、それすら言い訳にして、紙にペンを走らせる。
大義名分。まさにそう。
だからわたしたちは、自分の仕事に誇りを持っている。
だからわたしは。
語り部は置いて逝かれるものだ。
だからわたしは。
―――――ああ。まだ幼いあなたを、まさかわたしの方が、置いて逝くことになるだなんて。
だからわたしは。
わたしは……。
憶えている。
まだ憶えている。
そのことに安堵する。
わたしは知っている。
あなたの好みも。
あなたの嫌いなものも。
あなたの夢も。
あなたの願いも。
あなたの痛みも。
あなたの恐怖も。
あなたの闇も。
あなたの希望だったものも。
あなたの心を切り裂いた、あの夜の
あなたがあなたであるための全てを、わたしがまだ憶えている。
あなたが忘れてしまっても。
誰もがあなたを忘れてしまっても。
だからわたしは。
だから、だから。わたしは。わたしは。わたしは。わたしは。わたしは。わたしは。わたしは。わたしは。わたしはわたしはわたしはわ、わた、わたしはわわたたたしわしわ『青い目』たしわわはたわたた『青い空を』あわたはしわわわ『いっしょに』あただからしわた―――――――………。
―――――――――嗚呼!! どうして!!
―――――――――なぜ、わたしは
ああ―――――――――ッアルヴィンさま――――――――――ッ!!!!!
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