終節【星よきいてくれ】

13-1 ジジ


 最初の『主人』のことは、おそらく男だっただろうとしか覚えていない。

 真っ白な紙のように、薄くてもろい自我しか無かったころ。

 持っていたものは、体と能力の使い方。『ジジ』という自分の名前だけ。


 ボクはその『ジジ』という語から、あたかも細菌の雫が培養皿の内側で蔓延るようにして『ジジ』という培養皿の中に『自分』という意志の塊を形成した。

 その現象はたった一晩のことだったのかもしれないし、十年、いや、もっと長い時間がかかっていたのかもしれない。


 だからボクは、自分がどこから生まれたのかはもちろんのこと、何年生きているか、だとかもよくわかっていない。


 こうした言い回しも、いったいどこで覚えたことやら。


 主人は四、五度ほど変わったし、いわゆる『ものごころついて』からは、野良猫だった時間のほうが、体感としては倍も長い。

 詐欺、強盗、盗み―――――なんでもやった。

 幸いにも、ボクの能力はそういったことに重宝したし、じっさい、それで地位と財産を抱えていたころもある。二十年くらいでつまらなくなってやめてしまったけれど。


 だいたい三回目の主人のときは、最初は金で雇われて使われていたものの、ボクというものを構成する呪文を――――つまり、魔人としての心臓を――――握られてしまったことで、見世物小屋の虎よりもひどい目に遭った。

 あんまりにも悔しくて、うまく仕返しできたからいいものの、ボクはもう二度とこんなヘマはするまいと誓ったものだ。次は無いだろうとも。


 けれど、どんなに気を付けていても人というものは間違える。魔人であっても例外ではない。

 あの日も、雨が降っていた。

 とはいっても、『魔法使いの国』は雨の国で知られる。降雨率67%、一年365日のうち、一日中雨が降らない日のほうが珍しい。そしてそんな国は、11海層より下の下層と呼ばれる地域では珍しくない。

 その日はとくに雲が厚くて、朝方でも真っ暗な灰色の雨が降るひどい天気だった。


「……おい詐欺師」

 低く唸るような声で、サリヴァンはボクを見下ろして言った。

「おまえ、死にたいのか? 」


 ボクはその黒い眼を初めて見上げた。苛立ちや迷いを含んで睨むように交わる鉄格子越しの視線。雨に打たれた襤褸を巻きつけたようなボクの姿はひどく惨めなもので、気持ちもずいぶんささくれていたけれど、それを吹き飛ばすほどの視線の強さに純粋に驚いて、疑問を持った。


「……どうしてキミがそんな顔をするの? 」

 このガキは、ボクを捕まえてそれで満足したわけでは無かったのか?

「きみは賭けに勝った。ボクはヘマしてこのざまさ。キミの秘密はもうどこにも漏れることは無い」


 ボクのこの体は魔人だ。『意志ある魔法』だ。生きているわけではない。そんな存在がやらかした事件は、ボクという存在の抹消によって、終息を迎えることが司法の手で決定していた。


「……。人のためにある手段のひとつというのが、キミたち魔法使いの主張だろう? 魔法が一つ消えるだけ。人間みたいに見えるのは見てくれだけだって、あの刑事さんの言う通りだ」

「でも、前に捕まったときは逃げたんだろ。死にたくなかったんだろうが! 」


 三回目のときだ。一緒に嫌なことも思い出し、ボクは深く深く嘆息して言った。


「前の時は、ボクを馬鹿にしたやつに仕返ししてやりたかったから。状況が違う」

「同じだろ……! 悪いやつがいて、おまえを利用するだけして、おまえ一人が殺されそうになってるじゃねえか! 何が違うんだ! それでいいのかよ! 」


 子供だなあと思った。

 世界のルールは、魔人の存在消滅を命だとは認めない。魔術師は、そのあたりがとくにシビアだ。

 魔人を人と認めてしまえば、破綻するルールがある。こいつは、それをまだ知らない子供なのだ。


「もし、逃げたとして……主のいない野良の魔人は危険で希少だ。ボクの能力なら、すぐに新しい主が見つかるだろう」

 図らずも、諭すような口調になった。

「……ボクはここを出たら。だって、全力で魔法をぶっ放すことの快楽を知ってしまっているからね。主人を持つと邪魔になることが分かったから、今度は一人でもやることになる。

 魔法に、成長や忘却はない。新しいことを知ってしまえば、それを試さずにはいられない。ボクはそういうふうに出来ているよ。

 ねえ、坊ちゃん。もし、善良な主が付いたとして、ボクの手綱を握る人がそうそういるかな?

 自慢じゃないけど、ボクの力は強くて便利がいい。この見目だしね。いろんな使い道がある。

 五百年も昔ならまだしも、現代の緩んだ魔法使いがボクを扱いきれる? 」


 子供は、血が滲むほど唇を噛んで、呟くように言った。


「……分かった」

「え? 」

「つまり、五百年前の魔法使いみたいに、緩んでないやつがお前の身元引受人として手綱を離さなかったらいいんだろ。台所で使うだけの便利なマッチじゃなくって、炎の剣で影の悪魔を斬るような。それでいて、社会的にも安心できる身分のやつが、お前の主人になればいい」

「……何を、言っているの? 」

「なんとかするって言ってんだよ。これはもう、おれの問題だ」


 鉄格子越しに、魔法使いサリヴァン魔人ボクに手を差し出した。

「今度は拒否したりしない。おれは公的にはただの奉公人だけど……そうじゃないってのは、もう知ってんだろ。

 お前の呪文を教えろよ。お前が悪魔になったなら、おれがお前をやる。

 魔法使いの約束は、絶対の契約だからな」


 驚いたことに、この子供は、心の底から本気で言っている。

「やりたいことがあるんだろう? 」

「ボクは……」

 ああ、なんてみっともないんだろう。ボクにはこいつの本気が分かってしまったから。


「知りたい」

 そうして、ボクは。


「ボクは、ボクがどうして生まれたのか――――――」


 ―――――それを、どうしても知りたいんだ。


 誰にも言ったことが無いことを、彼に口にした。


「―――――助けて……魔法使い」



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