幕間:フェルヴィン皇国歴史列伝「王に捧げる鎮魂歌」



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 祖父であるダミアン帝に養育された、ジーンとその弟コネリウスは、祖父亡きあと玉座についたオーガスタスと、その宰相ユリア皇女の手により、身体が弱いジーンの療養という名目で、幽閉生活を送るはめとなった。

 冷たい石造りの塔の上での三年間の幽閉生活から出た時には、二人は……いや、コネリウスはすっかり背も伸び、一見して立派な貴族子息の風格を兼ね備えていた。

 ユリアの血は、ジーンに並外れた美貌と頭脳を与えていた。コネリウスには咄嗟の判断力と瞬発力、そして丈夫な肉体である。

 ジーンが考え、コネリウスが動く。二人はかび臭い幽閉生活の中、実母にして戸籍上の姉であるユリアへ、反旗を翻すことを決意していた。


 ユリア四十五歳、オーガスタス三十三歳の秋のことである。


 ジーンとコネリウスが石塔を出るきっかけとなったのは、年初めのころから皇族たちを席捲している熱病のせいだった。


 弱い子供たちを中心に流行り出したその病は、数日の高熱ののち、まず手足の末端に青黒いができる。そのしこりは三晩ほどで肩まで覆うほどに膨らみ、鎧のように硬くなった。血の流れがなくなった手足は、生きながらにして腐っていくほかないが、痛みは無いのだという。

 熱病にうかされたまま、熟れて木から落ちる果実のように命が奪われていった。子供の次は体力の落ちた老人たちである。

 不思議と、市井においては流行らなかったのは幸いであった。


 さて、そのころフェルヴィンの先、魔の海を越えたずっと上層での戦禍の音は、遠く離れたこの最下層にも聞こえるほどであった。

 戦時中の軍事開発により、皮肉にも、短時間で飛躍的に成長した航空技術は、フェルヴィンが長年求めていた技術だったのだ。

 宰相ユリアは、最新型の飛鯨船を手に入れることに成功していた。

 長年の鎖国体制によって、フェルヴィン皇国と上層世界の技術格差は大きい。そのことをユリアは以前より問題視していた。ユリアは、幽閉を解いた双子に、上層世界への大使を命じたのだった。


 重ねるが、そのころ上層世界は苛烈な戦禍のさなかである。

 ユリアは双子の後も二人の子供を授かったが、勢力争いによる暗殺で一人、此度の流行り病で、十歳になったばかりの娘を亡くしたばかりであった。

 自らの手で幽閉した息子たちであるが、奇しくも生き残った彼らを病から遠ざけようとしたのか、それとも双子の存在を脅威と思って厄介払いしようとしたのか、真意は誰にも分からなかった。

 のちに救国の英雄と呼ばれるようになる二人は、そうして未知の長い旅へと出たのである。


 やがて、魔の手はユリア自身へも伸びた。


 いまや宰相ユリア皇女は、夫亡きあと弟である皇帝を支えた、真の王といってもいい存在であった。

 用いたのは、政略と恐怖である。弟オーガスタスを飾りの王とし、資格なき姉ユリアは、恐怖によって貴族たちを沈黙させ、王家の名誉復活を果たしていた。

 その覇道の道中、叔父一家やオーガスタス以外の兄弟たち、彼女に心を寄せて来た数多の愛人たちを冥界に送った彼女は、年を重ねてもなお美しいまま、四人の子供を産み、二人の子供を亡くし、のこりの二人を自らの手で国から追い出し、何百年も叶わなかった一時の静寂を王宮へもたらしたのだ。


 もはや王宮には、誅殺もわいろも横領も無い。やるとしたらそれはユリアの主導のものである。

 この王宮だけに流行る病が、『玉座に座る資格のないものが皇帝を気取るからだ』と揶揄されるようになるまで、そうはかからなかった。

 ユリアはその声を捨て置いた。どうでもよかったからだ。彼女にとって、王宮へ静寂を取り戻すことは、愛する弟が安心して過ごせるようにするためのことだった。

 そのためには、この流行り病が邪魔である。


 ユリアは夜な夜な弟のいる地下へ逢瀬を交すことが日課であったが、病が流行り出したとたん、その日課をぴたりとやめた。


(オーガスタスにうつしてしまったら大変だわ……! )

 ユリアが病に倒れたのは、そんな時である。


 ユリアを亡くしたあとの王宮は、しばし不気味な沈黙にまみれていた。

 皇女ユリアという舵取りを失った宮廷内は、その事実を噛み締めるうち、混乱に陥った。

 すると、誰かが言った。『次の皇帝を立てねばならぬ』


 皇帝オーガスタスは、愛する自室から引きずり出された。【無能王】オーガスタスは、その度重なる怠慢により、処刑されることと相成ったのである。

 断頭台に引き出されたオーガスタスは、姉の死を直前に知り、自身がどこにいるのかも理解していなかった。処刑はオーガスタスを置き去りにして極めて機械的に行われ、次の日には次代皇帝の選定が始まっていた。


 民衆は、もはや『語り部』によって皇帝を選ぶことを望んでいなかった。

 青き王家の血筋をすこしでも引いているのであれば皇帝の選定に足りるとし、これという候補者の中から皇帝を選ぶ、ということを繰り返した。

 その間も、病は宮廷内を吹き荒れた。

 資格なき王たちは、次々に霊廟の石塔となった。ついには病床の十四歳の少女まで皇帝として引き出され、資格なき皇帝たちだけで、十七人もの石塔が並ぶこととなった。


 残るは、かの毒婦ユリアの息子たちか、無能王の末息子、レイバーン・アトラスのみである。

 彼らには語り部があり、、皇帝となる正統な資格がある、とした。



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 皇帝ジーン・アトラスは、ひとり地下の離れ部屋へと踏み入った。配下はとうぜんのように止めに入ったが、振り切って闇に沈んでいく石段を軽やかに降りていった。


 なんでも、ここには無能王オーガスタスの亡霊が出るというのである。数々の冒険を遂げた英雄ジーン・アトラスの足は、たかが幽霊ごときには止められなかった。

 石造りの回廊は、底なしの静寂に包まれていた。自らの呼気の音すら耳に付く。

 手に下げたカンテラの不安定な灯りでは、なるほど確かに幽霊でも引き寄せそうな雰囲気である。


 オーガスタス帝は、この地下の部屋を『涼しい部屋』と呼んでいたという。

 フェルヴィンは年中を20度を下回ることがない温暖なうえ、多湿である。たしかに、ジーンも久々に故郷へ帰ってきて、湿気ですぐに皺になる書類にうんざりしてきたところだった。


 やがて、ジーンの耳に、自らの足音以外のものが聴こえて来た。

 それはおそらくジーンも馴染み深い弦楽器で、たしかオーガスタス帝が数多の楽器の中でも、とくに好んだものだった。

 音色が聴こえる扉の中は、一部の隙もない暗闇に包まれている。

 おそらく、オーガスタス帝がここを出たそのままなのだろう。灯りを向けると、生活の名残りの上に埃が積もっている。

 ジーンは迷いのない足取りで、暗闇を灯りで引き裂いて、音のある場所へ突き進んだ。


 はたしてそこには、待ち続ける語り部がひとり。


 暗闇の中、主の物語を音にして奏で続けた語り部は、次代の皇帝となるものをずっと待ち望んでいたのである。


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